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マリオネット・フォーミュラ  作者: 冴宮シオ
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第25話_潜入


 十数分後、礼人は闇の中を進んでいた。

 数十メートルおきに配置された非常用照明も、近づかないと役に立ってくれない。まるで小川のせせらぎのような音が、たえることなく聞こえてくる。生臭さに水銀と酸のにおいが混ざったような臭気が鼻の中をそいでいくような感覚だった。


「アルディめ……どうせならマスクも用意してこいっての」


 薄い革のような素材の手袋をしたまま、礼人は頬の汗をぬぐった。アルディからのスーツは動きやすいが、通気性が悪い。ただでさえ湿気の多い空間の中で注意深く進んでいるためか、まるで蒸し風呂の中にいるようだ。


 暗視ゴーグルのおかげで、かろうじながら周囲の様子はわかる。マンホールを使って中に入った香港の下水道は、礼人の予想よりも広かった。幅のある地下鉄通路の中央に川が流れているような構造だ。


 ほんの十数年前までは香港の下水処理施設も貧弱なもので、ごく一部にしか恩恵を与えていなかった。外資企業が進出してくる中で、香港当局が法的特権と引き換えに、下水処理施設のための資金を一部の企業から提供させたらしい。


 いくつめかの、上にのぼるハシゴをみつけた。そばの壁に金属板がとりつけてあるが、苔だらけだった。礼人は苔を手で落し、削りこまれた文字を確認した。


「間違いない。ついたぞ」、告げると、左の耳たぶを挟んでいたクリップ型の通信機が反応し、イヤフォンからアルディの声が届いた。


『よし。ハシゴを昇って、一○分ほど待て。間違っても、外へ出るなよ』

「長いな。五分にしろ」

『説明しただろう。いろいろ手間がかかるんだ。好き勝手に送電を停止できるなら……』

「とにかく急げ、いいな」


 礼人は会話を強引に切り上げた。ハシゴにも苔が生えており、ぬめりがあったものの、礼人はハシゴをのぼっていった。円筒形の縦通路を進み、マンホールの蓋の真下についたところで、足はハシゴにかけたまま、背中をハシゴとは反対側の壁に預けた。


「この上に出れば、美蕾(みらい)がいる場所にいけるんだよな……」


 礼人はマンホールの蓋を押し上げそうになり、


『あと三分だ』


 アルディの声で、手を止めた。今出れば、複数の監視カメラに発見されてしまう。アルディの連絡を待つしかなかった----K・H・Iの警備システムをのっとり、礼人が建物に潜入するのをサポートする。それが、アルディの作戦だった。詳しい話を聞く余裕はなく、礼人は着替えさせられ、下水道へもぐったのだった。


「本当に大丈夫なのかよ……」


 礼人は、腰につけた固定具から拳銃を取り出し、安全装置の位置を確認する。礼人は銃に詳しくない。万が一の護身用に、とアルディに渡されたものだが、礼人は一度拒否した。「そんなもの使いたくない」と言うと、アルディに叱られた。威嚇用に持つだけ持て、と押しつけられたようなものだ。


『始めるぞ』、不意に告げられ、礼人は身をかたくした。


『五秒前……電源カット』


 礼人のいる場所では、なんの変化もない。だが予定では、K・H・Iのビルがある一帯に供給されている電力が一瞬だけ、停止する手筈だ。そのコンマ数秒の、電子機器の反応の誤差をつき、K・H・Iの警備システムの制御を奪うことになっている。


『……よし、終わった。礼人、もういいぞ。これでこのビルの管理は俺たちのものだ』


 礼人の行動にあわせて、アルディは監視カメラの映像を誤魔化していくことになっている。メイベルは、ビル内部の捜索という分担だ。あまりにも早く終わったため、礼人は怪しんだ。


『普通はプロテクト解除でもっと時間がかかったりするものじゃないの?』、通信機の向こうで、(うらら)が尋ねる。

『不法なアクセスならば、な。

 俺が使ってるのは、あの会社の警備システムと同じプログラムで、アクセス認証コードとパスワードはシステム責任者のものだ』

 アルディの言葉には、勝ち誇ったような響きがあった。


『それも、先ほどの御方の御力添えによるものなのでしょうか?』、仄香(ほのか)の問いかけに、アルディもメイベルも応えない。


「わかった。開けて外に出るぞ」、


 礼人は、腹を括った。ゆっくりと、マンホールの蓋を押し上げる。まわりに人の気配がないことを確認すると、礼人は縦穴から出た。マンホールの蓋を、音を立てないようにして元に戻す。暗視ゴーグルを上へずらし、顔の汗を拭った。


 アスファルトの地面が広がる中、花壇や人工的な庭が幾何学的に配置されている。実際の敷地面積よりも広くみせる工夫がされているようだ。


『北側に本社ビルが立っているのがわかるな? 正面からは突破できない。現在の状態ではどのルートが確実に侵入できるか、メイベルたちが調べている。

 東側に遊歩道をそなえた人工林がある。まずはそこに身を潜めろ』


 礼人はその指示に従い、右手側に広がる木々の群れへと走った。人工林の手前に監視カメラがあることに気づき、足をとめたが、

『その装置はすでに俺が制御している。お前の映像を消去したうえで警備の監視室へ回しているから安心しろ』

 アルディの説明が背中を押した。


 遊歩道にそって夜間照明が設置されていた。近くには人がいないことをアルディが確認済みだった。しかし礼人はできるだけ、照明の明かりが届かない木々の間を抜けて、建物との距離を縮めていった。


 礼人は時計に目をやった。時刻はすでに深夜をすぎている。日本であれば、どの会社も静まりかえっているはずだ。しかし、目の前にそびえる建物の窓にはいくつもの灯りがあった。中で人間と遭遇したら、機械のように誤摩化すことはできないだろう。礼人の脳裏をそんな考えがよぎった。


「理由を正直に話せば、美蕾(みらい)を探すのに協力してくれる……わけないか」


 礼人の手が、腰の固定具に触れた。一瞬「拳銃で脅す」という方法がひらめいたが、礼人は頭をふって否定した。


 アルディから、目指す場所の連絡があった。礼人は遊歩道を大きく回りこみ、建物の東側へと向かった。そこには正面玄関のような豪華さや威厳もなく、広い道路を受け止める巨大なシャッターが閉まっているだけだった。照明も乏しい。


『資材搬入用の出入り口だ。明日の朝まで利用される予定がない。遠回りになるが、人目につく確率は大きくさがるはずだ』


 シャッターのすぐ脇に、通用口と思われるドアがあった。アルディが安全を確認し終わるまで待った後、礼人はそのドアの前まで走った。ドアに力を加えても、まったく動かない。


『カードキーでロックを解除しろ。カードキーのマスターは、スーツの右胸あたりのポケットに入れておいた』


 礼人はカードキーを取り出した。薄いプラスチック製のカードキーは、明らかに偽造とわかる代物だった。


「どうやって作ったのかはもう聞かないけどな……これでロックを解除したら記録が残るんじゃないのか?」


 礼人の疑問に対して、アルディはただ一言「消す」と応えただけだ。礼人もそれ以上この話題には触れなかった。カードキーをドアの横に設置された機械に通すと、ドアは自動的に横へ移動して開いた。その先は暗闇で、なにも見えなかった。礼人は暗視ゴーグルを装着し、足を踏み入れた。


「なんだ……ただの駐車場じゃないか。緊張して損したぜ」


 礼人は安堵の息をついた。


 印象としては、大型デパートの駐車場に似ている。地面のコンクリートには車を誘導する矢印が描かれ、白線で囲まれた停車枠が規則正しく並んでいる。乗用車というより、大型の貨物車向けと思われるものが多い。天井には複数のクレーンがぶらさがっており、レールによって位置を変えられるようになっていた。壁面にはいくつもの運搬用エレベーターの扉が設置されており、うち二つはまるで鯨を入れた水槽でも通れそうなほど、大きかった。


 どの方向へ進むべきか尋ねようとした時、アルディの緊張した声がさえぎった。


『まずいことになった。二台……いや、三台の大型トレーラーが正門を通過した。そちらに向かっている』

「なんだよ、それは!?」

『K・H・Iの公式スケジュールには、このトレーラーのことなんて載っていなかった。

 とにかく、どこかに身を隠せ!』

「いきなりそんなこと言われたって……」


 礼人は周囲を見渡した。隠れるのに都合のいい柱の陰も、停車中の車もない。エレベーターを利用することを考えたが、小さなエレベーターのひとつが降下中のランプを点滅させていた。誰かが、この場所に降りてこようとしている。


「いったん外へ出たほうが良さそうだな」


 舌打ちし、ドアの位置まで戻ろうとした時、壁に小さな梯子が据えつけてあることに気づいた。その梯子は一ヶ所だけではない。梯子の先を目で追うと、天井近くに細い通路があった。どうやらクレーンを操ったり、大型の荷物がきた場合の、作業用通路のようだ。この上へ登って身を伏せておけば、下から発見されることはなさそうだ。


 礼人がそんなことを考えていると、大形のシャッターがきしみとともにゆっくりと開いていこうとしていた。床との間に生まれたわずかな隙間から、光がもれてくる。どうやら車がすぐ外にいるようだ。


 礼人は大急ぎで梯子を登っていった。足元を見る余裕はなかったが、外から入ってくる光が追ってきているのがわかった。


 息をきらしながらも梯子を登りきった礼人は、細い通路にうつぶせになった。音を立てないようにして息を整えていると、低い震動が伝わってきた。顔だけを通路から出すと、アルディの言っていた大形トレーラーが入ってくるところだった。駐車場に設置されていた照明が連続して明るくなっていく。礼人は暗視ゴーグルのスイッチを切り替え、望遠機能を使った。


 トレーラーとはいえ、ただの荷物運搬用ではないことが、礼人にはわかった。コンテナの形状や、外に出ているアンテナから判断して、マリオネットの運搬と簡易整備を目的としたものだ。特注車両ではあるだろうが、その素となったであろうトレーラーは、質においても価格においても、「ready」のものよりも数段格上だ。


「正直うらやましいぜ……それにしたって、どうして三台も?

 まさか、K・H・Iのマリオネットは三体も用意されているってのか」


 二体のマリオネットを調整しておき、試合には調子のいいほうを出場させる。大きなチームであればよくある方法だ。その場合でも、莫大なコストがかかる。三体となれば、なおさらだ。


「金に余裕のあるところはやることが違うな……」


 トレーラーのエンジンが完全に止まる前に、降下中だったエレベーターが到着した。エレベーターから姿を見せたのは、中年をすぎたくらいの男だった。研究員らしく、スーツの上に白衣をまとっている。その男がトレーラーへ近づいていくと、一台のトレーラーの助手席から、飛び出す影があった。作業衣に身を包んだ、歳の頃は礼人とさほど変わらないような青年だ。


「主任!」、その青年の口から出てきたのは、日本語だった。青年は、主任と呼ばれた白衣の男へと駆けよっていった。


「開発チームをすべて呼び集めるなんて、何があったのですか? まさか、Aシリーズの開発が中止になったのですか?」

「いや、それはない」、主任が、青年に気圧されながら答える。

「では何故!? Aシリーズの暴走の要因を特定できるまで、我々はあの紛争地域で実戦データを集めることになっていたはずです」

「だからこそ、君たちに戻ってきてもらったのだ」

「どういうことですか?」

「詳しくは私から説明しよう」、三人目の人物の声が届く。その声に、礼人は聞き覚えがあった。


「間違いない、あいつだ」、礼人は歯軋りした。


 声の主は、主任が使ったものとは異なるエレベーターで、この場所に姿をみせたばかりだ。声の主----癸矢(きや)がネクタイを正しながら、ゆっくりと主任たちに近づいてくるところだった。



**********



「奴だ……美蕾(みらい)を脅えさせた奴がきやがった」


 礼人は吐き捨て、癸矢を睨みつけた。あの男がなにを企んでいるのか、礼人にはまったくわからない。しかし、すべての元凶であることは、礼人の直感が告げていた。


『下手な真似はするなよ。彼女を助けだすことが目的なんだからな。悔しいのはわかるが、そいつらの会話を聞き逃すな。手がかりがあるかもしれない』、アルディの言葉が釘を刺す。礼人は苦々しく感じながらも同意を示し、拳を握りしめた。


 メイベルの声が通信に割りこんできた。向こうでも状況がわかるように、指向性集音マイクを使えという。礼人は小指の先端ぐらいの大きさの板状マイクを取り出し、マイクの端子をクリップ型通信機に差しこんだ。


「どういうことなのですか? Aシリーズの完成は、社長御自身による最優先命令だったはずです」、青年が、礼を失わないようにしながらも語気を荒げる。

「だからだよ。阿修羅……いや、Aシリーズの完成の目処がついた。君たちを呼び戻したのは、そのためだ」、癸矢が涼しげに応える。その表情には、笑みさえ浮かんでいた。

「では、あの暴走の原因や解決策がわかったのですね? 教えてください!」

「単純なことだった。あれは、自律覚醒の際の不協和音だよ」

「不協和音……?」

「そうだ。Aシリーズが新たなPOSを採用していることは知っているな? 釈迦堂(しゃかどう)が考案したやつだ」

「はい。本人が失踪前に完成させていた一個を阿修羅に組みこみ、テストタイプの三体には、設計図を元に改良した別のPOSを採用したと伺っています」

「改良か……釈迦堂にしか理解できない論理部分、つまり、ブラックボックスを取り除いたわけだから、改悪POSというほうが正確かもしれん」、癸矢が自嘲じみた視線を、主任へ向ける。

「釈迦堂は本当の天才だよ。擬似ではない人格を生み出すシステムを開発できたわけだからな。

 同じ論理回路で構成されたならば、それはコピーに近いものだ。分別を備えた人間であれば、自分とまったく同じ外見の存在に出会ったとしても、思慮を働かせることができるだろう。

 だが、子供だったとしたらどうだ? または、判断すべき情報を充分に与えられていない不完全な自我、人格を備えたものであったら?」

「まさか、それが……」

「Aシリーズのテストタイプが遭遇した時に暴走した原因と考えられる。我々にはわからないが、あの新POSはお互いを識別する能力も備えているようだ」

「待ってください! テストタイプの件はそれで納得ができます。

 ですが、プロトタイプが試合中に暴走したことについては……」

「……いたのだよ。阿修羅に与えられたPOSと、共鳴しあう人間が」


 礼人の頭の奥、不快感を誘うなにかが引っかかった。


「何者ですか、その人物は? ぜひ私に会わせてください」

「気持ちはわかるが、今は許可できない。今後のため、第三研究室で脳波測定をおこなっている際中だ。

 夜が明ければ、釈迦堂の奴もこちらへ到着することになっている。奴を交えてゆっくり話をしようではないか。人形遊びの大会でも、阿修羅が勝利をおさめることになる。

 私の人生の中でも、最高の一日になりそうだよ」


 癸矢が、くぐもった笑い声をあげる。その声は次第に大きくなり、駐車場全体に不気味に響き渡った。


「私は執務室に戻る。君たちも今日は適当なところで作業を切り上げて休んでくれ。朝から忙しくなるからな」


 癸矢はそう告げ、元来たエレベーターの奥へと姿を消した。主任が咳払いをし、トレーラーに乗りこんでいた人々に指示を下し始めた。マリオネットや機材を収納する場所を告げているようだ。


 礼人は腹の奥から苦いものがこみあげてくるのを感じていた。


「なぁ、さっきの連中の話、聞こえたか?

 俺、うまく表現できないんだけど、ひょっとしたら……」

『ごちゃごちゃ余計なことを考えるんじゃないの!』、(うらら)の甲高い声が鼓膜を刺し、礼人は顔をしかめた。『いいこと、釈迦堂くん? 今は、美蕾ちゃんを取り戻すことだけを考える。他のことは全っ然、重要じゃないんだからね!』


 礼人は怒鳴り返そうとしたが、思いとどまった。大声をあげては、下の連中に気づかれてしまう。礼人は深呼吸を数回おこなった。


「そうだよな……美蕾にどんな秘密があろうが関係ない。あいつは俺たちの仲間だ。ありがとう、麗さん。アルディ、第三研究室にはどうやったら行ける?」


 アルディが説明した内容を、礼人は頭にたたきこんだ。まずは、この場所から出る必要がある。礼人がいる細い通路の端に、非常階段へと続く小さな扉があるのとことだった。クレーンを使った作業などを円滑にするためだろう。礼人は腹這いになったまま、音をたてないよう慎重に進んだ。扉に鍵は設置されていなかった。ほんのわずかに扉を開け、身体をすべりこませると、静かに扉を閉めた。非常階段の踊り場に赤色灯が設けられていた。人の気配はまったくない。


「建物の端っこだし、この時間だからな。好都合だ。

 で……この階段を登るんだっけ?」

『そうだ。三十七階に研究施設がある。とにかく急げ。到着するまでには、その階のシステムをすべて乗っ取っておくから』


 礼人は、ひとつ上の階の扉がある踊り場を見上げた。段の数を考える気にはならないが、大きなデパート並みの段数がありそうだ。


『なにしてるのよ。早くいきなさい!』、麗の声が届く。


「他人事だからって気楽に言いやがって……」、礼人は毒づいた、「わかったよ。やればいいんだろ、やれば!」


 礼人は覚悟を決め、階段を駆けあがり始めた。


 体力にはまったく自信がない。三階もいかないうちに、勢いは落ちてきた。通気性の悪いスーツや、身につけた機器のせいで、動きにくかった。十階に到達する頃には息も切れてしまい、走っているつもりなのに足は思うように動いてくれなくなっていた。


『おい、どうした? 進んでないぞ』、急かすアルディ。礼人は発信機も兼ねているクリップ型通信機を投げ捨てたい衝動を覚えた。


「少しだけ休憩させてくれ……息が……」、礼人は壁に両手をついて、身体を支えた。足がかすかに震えている。座ってしまったら、もう立てないような気もした。


『礼人さん、そんなにお辛いですか?』、いたわる声は仄香(ほのか)のものだった。礼人は肯定の返事をした。


『ですけど、美蕾さんを一刻も早くお救けしたいのですよね……論理的に考えれば、一秒も無駄に出来ないと思うのですが……間違ってますでしょうか?』


 仄香の声に皮肉の響きはない。むしろ、純粋な疑問のようだった。『……仄香、あんた真綿で首しめるようなこと言ってるよ』、麗がためらいがちに言葉を挟む。同感だった礼人は苦笑した。


「わかってるよ……まったく、怜奈(れな)も厳しいお目付け役をまわしてくれたもんだな」


 一人であれば、必要以上に努力することはないだろう。仲間がいるから、信じてくれる存在がいるから、実力以上の力を出したいと思えるのかもしれない。礼人はそんなことを考えた。


 礼人は左右の腿を拳でたたき、気合を入れなおした。


 残りの二十七階ぶん、礼人は全力で走った。


 三十階を通過した頃には、意識も朦朧としていた。


 三十七階の表示がある踊り場にたどりついた時には、そのまま倒れて大の字になりたかった。しかしその代わりに礼人は金属質の扉に手をつき、胃の中の物を外に吐いた。扉の冷たさだけが、礼人の意識をつなぎとめていた。


『大丈夫か?』

「大丈夫か、じゃねーよ。頭の奥が灼けそうだ。

 で……この向こう側へ行けばいいんだな?」

『そうなんだが……その鍵はアナログなディンプルキーだ。ここからでは開けられない。上か下へいって、開いている扉を探すしか……』

「何言ってやがる。そんな時間はないだろ。アルディ、扉の向こうに人はいるか?」

『いや、広い廊下に人影はないが……おい! どうするつもりだ?!』


 礼人は返事をせず、拳銃を抜いた。教わった通りに安全装置を解除し、銃口を鍵穴のあたりに接する。


 連続して数回、引き金に力を加えた。甲高い音が空気を裂く。鍵穴から、細い明かりがもれてきたところで、礼人は銃を撃つのをやめた。扉を押しても、動かなかった。礼人が全体重をこめて肩でぶつかると、扉は一瞬の抵抗の後、金属が折れるような音がして、動いた。


『おいおい……無茶するなよ。発見されたら元も子も……』

「俺はどっちへ行けばいい?」


 廊下は広く、明るかった。床には鮮やかな絨毯のような素材が敷いてあり、壁には複数の絵や工芸品が飾ってある。研究施設というよりも、高級なオフィスビルといった雰囲気だ。


 アルディの指示に従い、礼人は廊下を進んだ。この階にいるのは、五人の人間だけで、各研究室に散らばっているらしい。目的の研究室には二人の人間がいるはずだった。


 つきあたりの扉に取りつけられたプレートには、確かに第三研究室と記されていた。電子ロックは、例のマスターキーで解除できる。


 拳銃の残弾数も確認し、予備の弾倉も出しやすいポケットに移動した。


 礼人は目を閉じ、大きく息をついてから、電子ロックを解除した。




(つづく)

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