第24話_門前払い
K・H・Iは巨大企業だが、その歴史は古くない。十年ほど前までは、世界的にはまだ評価されていない企業だった。その後、成長したK・H・Iが香港に支社を構えるにあたり、ビクトリアピークの一部に最も高いビルを建設しようとしたのは有名な話である。
香港当局側の役人の腐敗も明るみになる一大事件ともなったが、最終的にはK・H・Iの支社ビルは香港の有名な夜景の一部となる位置に、広大な敷地面積を確保したうえで建設された。
K・H・Iの支社ビルの周辺は高い塀に囲まれ、内部がまったく見えないようになっている。幅のある正門には太い金属製のバーが三本わたされている。正門には警備員の詰め所もあり、頑強な二人の警備員が立っていた。
一台の乗用車が、正門に近づいてきた。重厚な造りの、威圧感さえ漂わせる高級車だ。
その車は警備員に制止させられた。運転手が窓から顔を出して何事かを告げる。警備員はその場から動かず、無言でかぶりをふっただけだった。運転手は後部座席の人物と言葉を交わすと、その人物から一枚のカードを受け取った。運転手は車からおり、警備員のところまで歩いた。
警備員はカードを受け取ると詰め所に向かい、中にいる人間へそのカードを手渡した。カードの照合が完了すると、警備員はカードを運転手に返した。運転手が車に戻る間に、金属製のバーが解除されていった。車が通過するとバーはすぐに元の位置に戻され、警備員たちは何事もなかったかのように、割り当てられた場所に戻った。
「--ずいぶん厳重だな……」
礼人は呟き、曲がり角から顔をひっこめた。K・H・Iの正門を横切る道の一画で、距離的には離れてはいるが、よく見える。
「裏門は完全に閉ざされ、正門もあのとおりときている。簡単に忍びこませてはくれないか」
礼人は腕を組み、喉の奥でうなった。そばに立っていた麗が長いため息をつく。
「あたりまえでしょう。わかりきっているのに、なんでK・H・Iにきたの?
美蕾ちゃんがここにいるとは限らないのよ」
「関係しているのがK・H・Iだから……手がかりはここにしかないだろ」
むきになった礼人の答えに、「単純」、麗は小さく言い、こめかみのあたりを指でおさえた。
「お二人のおっしゃる通りですわね。せめて、美蕾さんがこちらにいるのかどうかだけでも確かめられればいいのですが……」
「仄香、なにかいい手はないの? あんた、釈迦堂くんに協力するためにここまで来たんでしょ」
投げやりな麗。自分も力を貸すのではなかったか、と礼人は心の中でつっこんだ。
「そうですわね……なにか方法があればいいのですが」
仄香の表情は涼しいままだ。しかし、言葉の歯切れの悪さから、彼女なりに悩んでいることがわかった。
その時、礼人たちのいた場所が明るく照らし出された。礼人は目を細め、身体を緊張させた。K・H・Iの警備員がやってきたのではないか、と警戒した。
明かりの正体は、バイクのヘッドライトだった。一台のスクーターが礼人たちのそばを通過するところだった。礼人は広東語を読めないが、スクーターの後部にある小さな箱のイラストから、そのスクーターがピザ配達のものであることがわかった。
仄香が大きな声をあげた。日本語ではない。礼人にその内容は理解できなかったが、スクーターがすぐに速度を落し、停車した。仄香はそのスクーターへと駆けより、礼人にはわからない言語で、その配達員に早口で話しかけるのだった。
「なぁ……あれって何やってるんだと思う?」
同じように呆気にとられている麗に尋ねる。
「さぁ? 広東語らしいってのはわかるけど。あの子も少しピントがずれているからね」
配達員が困ったような表情で頭を横にふると、仄香は怒りを含んだ表情で声を荒げた。そして、和服の中から携帯電話を取り出し、すでに登録されていた番号へかけ始めるのだった。
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ピザ屋のスクーターはK・H・Iの正門前で停まり、クラクションを長く鳴らした。
「すいませーん! ここってK・H・Iとかいう会社ですよね?」
配達員が大きな声を出しながらスクーターを降り、ヘルメットのバイザーを上げた。その配達員は、ピザ屋の制服に身を包んだ仄香だ。接客慣れした配達員に相応しい笑顔を警備員に向ける。
「あの……ここの人ですよね? ご注文のピザ、お届けにあがったんですけど」
「ピザ? 私はなにも聞いてないぞ」
「えー、そんなはずないですよ。確かにK・H・Iって言ってましたもん.。あ、そういえば。『若い女の子に人気のあるピザと飲み物を適当にもってこい』っていう変な注文だったんですけど、なんか心当たりありません? どなたかの娘さんが遊びに来ている、とか」
仄香は、立っている警備員と、詰め所の窓から顔をのぞかせていたもう一人の若い警備員に向けて軽い調子で尋ねた。
若い警備員の表情に、わずかな反応があった。その若い警備員が、詰め所の奥へと向きなおる。
「主任、ひょっとしたら社長と一緒にいたあの女性のことでは……」
「おい、余計なことを口にするな」、詰め所の奥から恫喝がとぶ。若い警備員は身をすくめた。「念のため、私が問い合わせてみる」
仄香はつま先で立ち、若い警備員の肩越しに中を覗いた。監視カメラの映像と思われるものを映し出すモニターが何十と並び、他にも多くの機器が配置されていた。主任と呼ばれた男らしき人影は認められたが、仄香の位置では顔まではわからなかった。その人影はしばらく小声で話していたが、すぐに電話の受話器を置いた。
「確認した。生憎と、そんな若い女の子はいないそうだ。ピザ屋にはお引取り願え」
「え? ですが……この詰め所に入る前に見たばかりで、その後この門から出ていっていませんが」、若い警備員が首をかしげる。
「聞こえなかったのか。帰ってもらえ」、主任の声には脅しのような響きがあった。
「はぁ……最近多いんですよね、この手のイタズラが……わかりました。お仕事中にお邪魔してしまい、申し訳ございませんでした」
仄香は深々とお辞儀をし、スクーターに戻った。仄香は一度K・H・Iのビルを見上げた。間近では、まるで天を支えている柱のような印象を受ける。それほどまで威圧感がある。
仄香はスクーターを発進させると、遠回りしてから、礼人たちの元へと戻ってきた。スクーターを道路脇に停める。
「ただいま戻りました」
ヘルメットを脱ぎながら、仄香は長い息を吐いた。礼人と麗が眉根を寄せるのを見て、仄香は自分がまだ広東語を使っていたことに気づいた。
「申し訳ありません。どうしても不器用なもので……」
「そんなことより、本当に平気だったのか?」
「そうよ。それに、なにかつかめたの?」
礼人と麗が詰め寄ってくる。その迫力に仄香はうろたえ、二人をなだめた。仄香は正門前でのやりとりを報告した。
「間違いなく、あの建物のどこかにいると思います。存在を隠そうとしているようですが……」
「そりゃ、人を誘拐しているわけだからなぁ……」、礼人がK・H・Iのビルを一瞥する。
仄香は警備の詰め所で目にした、監視モニターのことも話した。おそらく、塀の内側に入ったとしても、建物にたどりつくまでに必ず発見されてしまうはずだ。
なんとかして建物に潜入する方法がないものか----仄香たち三人は頭をつきあわせるようにして話し合っていた。K・H・Iの管理システムを乗っ取る方法はどうか、と麗が提案した。仄香と礼人は即座に否定した。二人だけでは不可能だし、なによりも道具がここにはない。
「ready」のトレーラーに搭載されたブルー・ヘヴンの調整用機材があれば話は別だが、と礼人が口ごもる。しかし、取りに帰る余裕はない。
「----おい、お前たち」、前触れもなく、すぐそばで男の声がした。
警備員がきたのかもしれない。そう考えた仄香は身を緊張させた。
「買い物帰りの主婦じゃあるまいし、いつまで立ち話しているんだ? さっさと動こうぜ」
男の言葉は英語だった。K・H・Iの警備員や警察であれば、まずは広東語のはずだ。仄香たち三人が声のした方向に顔をむけると、見覚えのある人物が腕組して立っていた。
「アルディ!? なんであんたがここにいるんだ?」、礼人が驚きの声をあげる。その言葉に、アルディは明らかに不満の表情を返した。
「こっちが知りたいぐらいだ。早く乗れ。時間が惜しい」
アルディが右手の親指で、自分の肩越しに背後を指す。一台の家庭用大型ワゴンがあった。
仄香と礼人、麗はワゴンの後部に乗りこんだ。それほど広くないその空間には、コンピュータの機材が無造作に詰めこまれていた。大型のパラボラアンテナを分解した部品もみえる。座席に散乱していたネジを、麗は手で払いのけた。仄香は大きめのハンカチを広げ、麗と自分の座る位置に敷いた。
「久しぶり。お互い決勝に出場できて良かったけど、そっちは大変なことになったみたいね」
運転席にいたメイベルが挨拶する。アルディが助手席に座ると、ワゴン車は発進した。
「おい、どこへ行くんだよ! 俺はあのビルに侵入しないといけないんだぞ!」、怒鳴った礼人に、服を丸めたようなものが投げつけられる。
「相変わらずバカだな、お前は。あそこで井戸端会議していたっていつまでも侵入できるわけないだろ。とっととそれに着替えろ」
礼人がその丸みを広げる。ジャージともウェットスーツともつかない、独特の光沢をもった上下ひとそろいの黒っぽい服だった。
「アルディさん。いったい何がどうなっているんでしょうか?」、仄香が尋ねた。
話は怜奈から聞いたよ、とアルディが苦しそうに告げた。
「こちらでも独自に調べた。間違いなく、あのお嬢ちゃんはあのビルにいる。幸いなことに、危害を加える気はないらしい。そう保証してくれた」
「誰が?」、礼人が、不信の問いかけをする。
アルディがあげた名前は、仄香たちに聞き覚えのない人物のものだった。
「先代の黒幇老大だ。おまえたちは知らなくていい。この香港の地で彼が知らないことはない」
「いいの? そんな人に借りをつくったりして……」、麗が顔をしかめる。
「大丈夫よ。餅は餅屋、ってね。でも、誘拐したグループやK・H・Iに直接働きかけることまではできなかったわ」、メイベルが明るい声で答える。
「だから救出はお前がやれ。いいな」
アルディが反論を認めない、厳しい視線を礼人へ投げる。礼人は頷きもせずに「当然だ」と応えた。
「でも、どうやって潜入するんだ?」
礼人の問いに、アルディは顔を向けることもなくそっけなく答えた。
「地面の下を使うのさ----」
(つづく)




