第23話_決勝前
麗は我慢できず、書類ボードで口元を隠しながら、小さなあくびをもらした。
「寝不足ですか? お辛いようでしたら、あとは私が……」
隣を歩いていた仄香から気遣いの言葉をかけられ、麗はあわてて否定した。
「昨日の夜のミーティングの後、明け方近くまで部屋で調べものしていたから。自業自得よね」
勉強熱心ですね、と本気で感心した様子の仄香に対して、麗は苦笑いを返した。勉強とはいっても、香港のショッピングガイドを調べまわっていただけだ。
二人はエレベーターに乗り、地下へむかった。エレベーターはイギリスの古い様式を再現した造りだが、ゆれをまったく感じさせない。
そこは、香港に数多くあるホテルの中でも名の知れたホテルだ。決して豪華ではないが、セキュリティや設備がしっかりとしている。国際的な技術フォーラムに出展する企業も多く利用する。マリオネット・フォーミュラに出場するチームが利用するには最適な場所のひとつだ。ガレージや簡易オフィスの設備も用意されている。
麗と仄香が向かっているのは、「ready」が使用させてもらっているガレージ併設オフィスだ。通路はいくつも分岐しており、指定された区画への道筋がプレートで表示されている。途中、警備員つきのドアを二回通過し、その度に、IDと写真が登録された利用者カードを提示させられた。三つ目のドアは無人だが、読み取り装置にIDカードを通すだけでなく、指先の指紋を認証させる必要があった。
ドアのすぐ先が、簡易オフィスとなっている。簡易とはいえ、設備と内装はゆきとどいており、「ready」の事務所など足元にも及ばない。オフィスには久梨奈と怜奈の姿があった。
「監督、お忙しいところ申し訳ありません。……なにをやってらっしゃるんでしょうか?」
仄香が首をかしげる。オフィスには、クッションのきいた革張りのソファや、マボガニー製の机、来客用にガラス仕立てのテーブルなどが用意されている。久梨奈と怜奈は、折りたたみ式のテーブルを間にはさみ、背もたれのないパイプ椅子に座っていた。椅子も折りたたみ式テーブルも、日本を離れる際に近所の日用品店で作業用に購入しておいた安物だ。別室に備えつけられたキッチンには各種飲み物も高級なコーヒー豆も用意してあるはずだが、久梨奈と怜奈の手元にあったのは、ホテルの売店にあった缶コーヒーだ。普段二人が日本で飲んでいるものと同じである。
部屋の隅にいた久梨奈が気恥ずかしそうに顔をあげた。
「落ち着かないのよね。こんないいホテルをとってくれた貴女には申し訳ないのだけど」
気になさらないでください、と仄香。その笑顔は普段と変わらない。
「こちらが、今回の遠征の報告書の見込み版と、プレス向けの資料です。明日の試合開始までに言ってくだされば、オーナーの方々への提出には間に合います」
「いつも気を遣ってもらって悪いわね」、久梨奈はそう告げ、麗と仄香の脇へ視線を投げた。その先には、がっしりとした造りの、振り子時計がある。大きな、大理石造りのような印象を与える時計だ。その針は、午後の三時すぎを示していた。
「あと二十時間というところね。朝食までには終わらせておくわ。怜奈もいるから、この前みたいな失敗はしないわよ」
「この前?」
麗はいぶかしむ。しかし久梨奈は応えてくれなかった。
「そうしていただけると助かります」
仄香が浅く一礼する。これで麗と仄香の用事は終わった。久梨奈と怜奈が二人だけの打ち合わせへ戻ろうとした時、麗は部屋を後にしようとドアに向った。しかし、仄香はその場から動こうとしない。やや下を向き、色つやのよい下唇を噛んでいた。久梨奈と怜奈がやりとりを始めてから、仄香は顔をあげて、大きく深呼吸した。
「お邪魔をして申し訳ありません。ひとつだけ、質問することを許していただけますか?」
「かまわないわよ。なにかしら?」
久梨奈の言葉が終わるより先に、仄香は続けた。
「わたくしたち……「ready」はこの試合が終わったらなくなってしまうのでしょうか?」
麗は息をのんだ。本戦出場を果たしたことによるこれまでの忙しさと、最終戦までたどりついたという安心から、そのことをすっかり考えなくなっていた。
久梨奈が長くため息をつく。
「オーナーたちがだした条件は、私たちが入賞すること、だったものね。日本を発つ前にオーナーたちとの会議で確認したわ。入賞……四位以内に入らないと、「ready」への資金提供は打ち切られるわ」
「そんな! 去年までとは比べものにならない好成績でここまできているっていうのに……わたしたちのスポンサーってことで、広告宣伝効果もあるはずでしょ?」
麗が尋ねる。
「他のチームにもスポンサーとして協力しているから、「ready」にこだわる必要はないのよ。それに……元々去年で打ち切られそうになるところを、無理矢理つなぎ止めたともいえるしね」
「脅し半分でつなぎ止めた、が正しいと思うけど」
「怜奈! よけいなことは言わなくていいの」
久梨奈はバツが悪そうに咳払いした。
「あなたたちは、今回の最終戦に集中してちょうだい。交渉は、私と怜奈がなんとかするから」
なんで私まで、と怜奈が呆れ顔で久梨奈を見やる。
「でも……」
麗は食い下がろうとしたが、仄香によってさえぎられた。
「わかりました。失礼な発言、大変申し訳ありませんでした」、きっぱりと告げ、深くお辞儀をする仄香。「では、わたくしたちも仕事に戻りますので、これで失礼いたします」
足早に退室する仄香の後を、麗は久梨奈と怜奈へ挨拶することもできず、追った。仄香に少し遅れてエレベーターに乗りこむと、仄香はドアの閉鎖ボタンを押していた。麗はドアを開けようとボタンをたたいたが、エレベーターのドアは閉まりきり、ゆっくりと上昇を開始した。
「ちょっと、仄香! あんな答えで納得できるの?」
麗は仄香の手首を強く握り、語気を強めた。うつむき気味の仄香は顔を横にふった。
「じゃあ、なんで」
「あのままあの場所にいても、なにも状況は改善されませんわ。お二人の貴重なお時間を奪ってしまうだけで、結果的には「ready」のためになりません」
「そうかもしれないけど……」
「それに、わたくしたちはこの最終戦に集中するのが仕事だと、監督はおっしゃいました。監督たちに任せておけば、きっと大丈夫です」
仄香が顔をあげる。笑顔ではあったが、目には涙がにじんでいた。麗は長く息をつくと仄香から手を離し、エレベーターの壁によりかかった。
「あんたって子は……わたしはあんたみたいにものわかりよくなれないわ」
「では、監督たちのところへ戻りますか?」
「わたしだって、監督たちを困らせたいわけじゃないの。ただちょっと、ね……」
「わかりますわ。技術者でないわたくしたちでは直接チームを勝利へ導くことはできません。けれど……」
「応援することはできるわね。どうせみんな徹夜だろうから、またやりますか。上についたら、美蕾ちゃん連れて、食材の買い出しへ行くわよ」
「ええ。あ、土筆さんへもお声をかけないといけませんね」
「あー、仕事を樒くんへ押しつけてでもついてきそうね。香港中の屋台をまわる、なんて言いださないといいけど」
麗は苦笑し、仄香も後に続いた。
その時、携帯電話の着信音と思われるメロディが鳴った。麗は名前まで知らないが、よくテレビの宣伝でも使われている、有名な曲だ。仄香が和服の隠しから可愛らしい携帯電話を取り出し、応じた。
「はい。どうなさったんですか、監督。そんなにお慌てになって……いえ……まだエレベーターの中です。はい、麗さんも隣りにいます。スタッフ全員を招集……ですか? 可能ですけれども、いったいどうなさったんです? オーナーたちからなにか連絡でも?
……はい?」
仄香の顔から笑みが消えた。握っていた携帯電話が、厚手の絨毯へと滑り落ちる。よろめく仄香を、麗は支えた。仄香の表情から血の気がひいており、薄い色となった唇ははっきりと震えていた。
「どうしたのよ!? なにがあったっていうの?」
麗は何度も言葉をかけたが、仄香はかすかに唇を動かすのがやっとで、声が出ていなかった。
外出していた土筆と美蕾が何者かに襲われ、土筆だけが戻ってきた----エレベーターが目的の階に到着するまでに麗がわかったのは、それだけだった。
**********
怜奈がいったん言葉を切り、会議室全体を見渡した。
場所は、ホテル内にある会議室。さほど広くはないが、「ready」の全員が座るだけの余裕は十分にあった。円卓のようになっており、中央には控えめだが上品な花が活けてある。天井にはシャンデリアがさがっていた。
「ready」の面々は革張りのイスに身を沈めている者もいれば、立っている者もいる。小声で言葉を交わすこともあったが、ほとんどば無言だ。そこに、久梨奈と仄香、土筆と美蕾の姿はない。
「----以上よ」、怜奈が発言をしめくくる。
「ふざけるなよ!」、礼人がテーブルをたたき、立ち上がった。「美蕾と土筆ちゃんが買い物中、何者かに襲われて、美蕾は誘拐されたまま……わかったのはそれだけじゃないか!」
「そうよ。今判明している情報はそれ以上でも、それ以下でもない。私は、すべての情報をあなたたちに伝えたわ」
もっていた書類ボードをテーブルにおく怜奈。礼人は怜奈をにらみつけた。いつもは頼もしささえ覚えるその冷静な光をたたえた瞳が、今は冷酷そのもののように感じられた。
「ああ、そうかよ。だったらこんなところにいるだけ時間の無駄だな」
礼人は椅子にかけていたコートを取り、ドアに向かって歩き出した。
「礼人! どこへ行くんだ?」、肩を空也につかまれたが、礼人は振り向かない。
「美蕾を探しにいく」
「探すったって……なにも手がかりがないんだぞ」
「だから行くんだよ。こんな場所にこもってたって、手がかりすらみつからねぇだろ」
礼人は遠くない位置にいる怜奈を一瞥し、ドアのノブに手をかけた。礼人の背に、麗の声が届いた。
「迷子になった時とは違うのよ。なんの手がかりもないままで、どうするつもりなの」
「探しまわるしかないだろ」
吐き捨てた礼人が手に力をこめるのと同時に、ドアが勢いよく開いた。礼人の目の前に現れたのは、久梨奈だった。「……監督」、礼人はうめく。
「どうしたの、そんなに怖い顔をして」、久梨奈は室内を見回し、ニ、三度小さくうなずいた。「あ、なるほどね……席について頂戴。大切な話があるわ」
「でも、俺は美蕾を探しに」
「その美蕾ちゃんのことについて、大切な話があるの。席に戻って」
礼人はすぐにでも聞きたかったが、久梨奈には立ち話をする気はなさそうだ。そう気づいた礼人は、イスに腰をおろした。
久梨奈は怜奈のほうへ進み、怜奈が場所を譲った。入ってらっしゃい、と久梨奈は開けたままだったドアのほうへ告げる。仄香に続いて、土筆が姿を見せた。着ているものは買い物へ出かける前に見た普段着だったが、傷んでみえた。左頬に大きなガーゼがあてがわれ、テープでとめてある。
久梨奈にうながされた土筆は仄香とともに、久梨奈のもとへゆっくり進んだ。一同の視線をあびた土筆はうつむいたままだった。土筆が隣のイスに座ってから、久梨奈が口を開いた。
「怜奈から聞いたとおり、美蕾ちゃんが誘拐されたわ」、久梨奈は言葉をひとつひとう切りながら、苦虫を噛みしめるように振りしぼった。
美蕾と土筆はよく、マリオネット・フォーミュラの会場をうろつきまわっている。土筆の露店めぐりに、美蕾がつきあわされる形だ。だが、ここ香港の決勝大会では、離れた島でのバトルロイヤルがおこなわれる。観戦者はもちろんのこと、参加チームのスタッフも、当日までバトルロイヤル会場となる島には入れない。会場の露店めぐりができない土筆は美蕾を誘い、香港の繁華街へと出向いたのだった。その途中、店を出たところで数人の男たちに囲まれ、裏路地へつれこまれたという。男たちは、そこに停めてあったワゴン車へ美蕾だけを乗せて、去っていったのだった。
「二人とも抵抗したらしいけど、相手が数でも勝っていてはね……ほっぺたのアザだけで済んで本当に良かったわ。今は腫れているけど、跡も残らないそうよ」
「それで、美蕾は?」
礼人の重苦しい口調の問いかけと視線を、久梨奈は正面から受け止め、うなずいた。
「大会運営本部にも経緯を話して、協力をお願いしてきたわ。こちらの警察も動かしてくれることになったけれど……現在のところ、居場所は不明よ」
礼人が席を立とうとすると、久梨奈がいさめた。
「最後まで聞きなさい。私たちが運営本部と話している間に、こんなものが送られてきたわ」
久梨奈は一枚の紙を取り出した。それには英文が短く書き連ねてあった。礼人の席からは、内容が判読できない。
「マリオネット・フォーミュラを棄権すること。そうすれば彼女には一切危害を加えない----そう書いてあるわ」
「じゃあ、美蕾を誘拐したのは、どこか他のチームってことか!?」
礼人の問いに応えたのは、仄香だった。
「そうとは限りませんわ。裏では他のモータースポーツと同様に、賭け事がおこなわれているようです。今回初出場のわたくしたちを好ましく思わない元締めの指示という可能性もあるそうです」
「公にはされていないけれど、四年前にも同じようにスタッフが誘拐され、フォーミュラの決勝大会への出場辞退を要求されたチームがあったわ。大会終了後、スタッフは危害をまったく加えられずに帰ってきたの。
監督として……今回は出場を辞退することに決めたわ」
苦しそうに告げる久梨奈。室内が騒然となった。礼人から離れた席で、ここまで勝ち進んでこられたのに、と嘆く声もあがった。
「ここまで来ていながら、本当に心苦しいわ。でも、ここは彼女の身の安全が----」
「解決になってないな。辞退すれば美蕾が安全だっていう保証はあるのかよ。誘拐した相手を信用しろってのか」
「釈迦堂くんの気持ちはわかるわ。でも、今の私たちは他になにも手の打ちようがないわ」
久梨奈がなにかを押し殺すように低く応えた。 話にならない、と礼人は立ち上がり、ドアへ向かった。
「待ちなさい。どこへ行くつもりなの?」
「決まってるだろ。あいつを探しにいく」
「手がかりはないのよ!」
久梨奈が声を荒げる。
「なかったらどうだってんだ。 地球の外へは出られっこないだろ」
「礼人、なに考えているんだよ。香港だけでも探しきれないぞ」
「別に空也に頼んじゃいないよ。土筆ちゃんだけでも無事に帰ってこれて良かったな」
「……なんだよ、その言い方……」
「俺にとっちゃ美蕾も、この大会も大事なんだよ」
「俺だって……」
「大会は、な。美蕾は他人事だろ」
礼人は吐き捨てる。空也が近寄り、礼人の胸倉をつかみあげた。
「おまえ! 言っていいことと悪いことがあるぞ」
「美蕾を探しにいかない、ってのは言っていいことなのかよ!?」
礼人は殴るように、空也の手を払いのける。礼人と空也が睨んでいると、怜奈に一喝された。
「いい加減にしなさい。今は争っている場合ではないでしょう。棄権するとか、捜索にいくとか、あなたたちがもめてもなんの解決にもならない。あなたたち、さっきから土筆が泣いていることにすら気づいてないでしょう?」
土筆はうつむいたままだったため、その表情はわからない。だが、小さな嗚咽は聞き逃しようがなく、小さな肩が嗚咽にあわせて上下していた。
礼人は舌打ちし、首筋をかいた。どうにも、ばつが悪い。空也もうなだれていたが、目で礼人に謝っていた。
「俺だって、手がかりがない状態で探しにいっても意味ないことはわかってるさ……でも、俺は美蕾も、この大会も、失いたくないんだよ!」
それはみんな同じ----一番にそう応えたのは、怜奈だった。
「だから今から、どうすべきかをこの場で決めようとしている」
いつもと同じ、感情をみせない論理的な口調だった。礼人の知る怜奈はいつもそうだ。どのような時にも最善と思われることを述べ、感情論に流されることがない。
「わかったよ」、と礼人が席にもどりかけた時、スーツのポケットに入れておいた携帯電話が鳴った。相手の番号はわからず、「通知不可能」の文字が表示されていた。美蕾がかけてきたのではないだろうか、礼人はそう期待して電話に出ると----
『礼人か? 今どこにいる?』
----あせる様子の、男の声だった。礼人はその声の主を知っていた。
「なんだ、父さんかよ。久しぶりだけど、今はのんびり話していられる状況じゃないんだ」
『状況はおまえよりも理解しているつもりだ。克華にあずけた娘がとらわれているらしいな』
「なんでそのことを知ってる?」
『すまんな……私のせいでお前たちに迷惑をかけて。
詳しく話している時間はない。私の身と研究資料のすべてを交換条件に、彼女の解放を約束させた。私はこれからK・H・Iの香港支社に向かう』
「K・H・I? どういうことなんだ?」
『時間がないといったろう。今言えることは、彼女がマリオネットの大会会場にいると、K・H・Iにとって不都合な状況が発生している、ということだ。可能性の因子として、お前が手を加えた新しいPOSのこともあって、出場までは認めさせることができなかった……すまん、もう時間だ。明日の昼には香港につく。彼女が解放されるのは、その後----』
唐突に、電話が切れた。礼人はかけなおしたが、呼び出し音すら鳴らなかった。
「まったく、肝心なところで……」、礼人が悪態をついていると、「親父さんがどうしたって?」、空也が尋ねた。礼人は電話でのやりとりを簡単に説明した。
「どういうことかしら? 釈迦堂くんのお父様とK・H・Iがからんでいるって……」、久梨奈が眉根を寄せる。
「俺にもさっぱりだ。肝心なことはいつも、何一つ教えてくれやしない」
「でも、これでひと安心だな。礼人の親父さんがなんとかしてくれて、美蕾ちゃんの安全は保証されるんだろ?」
空也の言葉に、部屋の空気に安堵の色が濃くなった。しかし、礼人は素直に喜べない「なにか」を感じていた。
「でも……わたしたち、棄権するんですよね。そうなったら、このチームはどうなるんですか?」
そう尋ねたのは、麗だった。久梨奈をまっすぐ見つめるその表情からは、答えを知りながら尋ねているような、悲しみの色がうかがえた。
「間違いなく、解散だと思うわ。オーナ-たちにいい口実を与えるだけだもの」
「そんな! だったら私たちのこの一年間はなんのためにあったんですか?」、誰かが叫んだ。
部屋のあちこちから、どよめきが聞こえる。久梨奈は目を閉じたまま、なにも応えない。うつむいたまま涙をこぼす土筆と並んだその姿は、堂々としていたが、同時に哀しいものでもあった。
礼人は悩まなかった。
「監督。俺、やっぱり行ってきます。綺麗ごとを言うつもりはないけどさ。
俺の父親がからんでいて、美蕾がとらえられている。みんなが振り回される理由はないよ」
「でも、それは……」、久梨奈が口を挟もうとしたが、「釈迦堂くんの言いぶんも筋がとおっているわね」、怜奈の毅然とした物言いが、それを許さなかった。
「監督、ここは彼を行かせて、私たちは明日の決勝戦の準備をしておいたほうがいいと思う。
ただし、あなたたちがどうなっても知らないわよ」
「ああ。必ずあいつを助け出して、決勝開始前に戻ってくる」
「そうあって欲しいわね。
仄香、あなたは彼に同行して、協力しなさい。危険な場合はとめること、いいわね」
「わたしも行くわ。どこまで力になれるかわからないけど。いいでしょ?」
麗が尋ねる。敵地に女性を二人も連れていくのは危険すぎる。礼人はそう指摘したが、麗は納得しなかった。
「うぬぼれるんじゃないの。あなた一人も十分に危険すぎるのよ。むしろ彼女たちに危害が及ばないように行動すれば、それだけあなたも安全になる。それを考えて行動しなさい」
「礼人、俺もついていってやりたいのはやまやまだけど……」
空也が言葉を濁す。その視線の先には、久梨奈の隣りで、顔を両手でおおって泣いている少女の姿があった。
「そうだな。土筆ちゃんの傍にいてやりな。その代わり、ブルー・ヘヴンの仕上げ、頼んだぞ」
「ああ。最高の状態にして、開会式で対面させてやる」
空也が頭の高さにあげた右手を、礼人は笑顔で力をこめてたたき返した。
(つづく)




