第22話_表と裏
「ready」のガレージ----
中央の多目的寝台に横たえられたブルー・ヘヴンのあらゆる部位にはケーブルがとりつけられており、ケーブルの一端はガレージの壁際に並べられたコンピュータや計測機器につながっている。大型のモニタには、フレームで描かれた人型の画像が入り乱れ、別のモニタでは、記号と数字の羅列が激しくうごめいている。
礼人と空也は一度に複数のモニタを把握できるように、離れた位置に立っていた。
「処理フェイズ一八まで問題なし」
「ユニットαからε、予測数値内で順調に稼働中」
「処理ルーティン三五にてフリーズ。バイパス回路九九へ自律移行開始」
各スタッフが担当しているモニタから目を離さず、情報のすべてを報告する。刻々と出される状況報告に耳を傾けていた礼人は、無視できない言葉に反応した。
「空也! E二四駆動系の反応がコンマ三秒遅れている!」、礼人がモニタのひとつに身を乗り出し、叫ぶ。
「いいんだ! Eニ五駆動系をコンマ三秒早くすることで解決させるって昨日報告したろ」、空也も声をはりあげた。
「細かい点はあとでまとめて検討するから。今は総合データをまとめることに専念しなさい。
次、一ニ○秒後にレベル一○での試験を開始する。準備しておきなさい」
怜奈の、凛とした言葉がガレージにいきわたる。
ブルー・ヘヴンのデータ収集試験は数時間続いた。全員が昼食を諦めた頃に、作業停止の言葉があがった。皆が安堵の息をつき終わる前に、
「一時間の休憩の後、ブリーフィングをおこなう。チーフたちは今のデータをまとめておくこと。解散」
怜奈が反論を許さない雰囲気で告げる。スタッフの中には吐きそうな表情で悲鳴をあげる者も多かった。礼人もモニタのひとつにつっぷしながら、喉の奥で唸っていた。隣に座っていたスタッフの一人----礼人よりも若いトレーナーが、データをまとめることを提案する。
「やってられっか! 先にメシだ! でないと頭も働かない」
空也が勢いよく立ち上がった拍子に、使っていたパイプ椅子が倒れる。そのスタッフが、怜奈のいる方向を何度も見ながら、データ処理を先に行う必要性をしどろもどろに口にする。
「腹が減っては戦ができぬ、ていうだろ。データまとめぐらい、後からどうとでもなるって。ダイエットにつきあわされたくないしな」
空也の言葉に、怜奈の眉がつりあがった。
「あなたたち……無駄話する元気があるなら……」、玲奈の、なにかを強くおさえたように低く震える声に、礼人は危険を感じた。
「空也、もうそれくらいにしておいたほうが……」、礼人は空也の腕をつかみ、ガレージの外へ連れ出そうとした。廊下へ通じるドアが勢いよく開き、礼人たちをはじきとばした。
「お疲れさま。差し入れをもってきましたよ」
土筆が大きなお盆を両手で支えてあらわれる。両手がふさがっていたため、体当たりでドアを開けたようだ。お盆には、おにぎりがたくさん並んでいる。
「あれ? 空也さんたち、そんなところでうずくまって、なにしてるんです?」
我先にと、おにぎりを取ろうとするスタッフにお盆を差し出したまま、土筆が首を傾げる。礼人は土筆を見上げた。痛みの残る腰に手をあてていると、「俺たちのぶんはぁ?」と空也が、最後のおにぎりを手にした女性スタッフを涙目で追う。
「情けない声ださないでよ。まだいくらでもあるんだから」
ため息まじりに入ってきたのは、麗だった。土筆と同じように、おにぎりの載ったお盆を支えている。麗に続いてきた数人のスタッフもお盆をもっていたり、飲み物や菓子を運んでいた。その中には美蕾の姿もある。
礼人と目があうと美蕾は軽く頭を下げた。テーブルに並べられた紙コップにペットボトルからのジュースを注ぎ、スタッフに配って回っている。数時間、飲まず食わずの作業が続いていたため、皆、交わす言葉も少なく、胃に流しこんでいた。
「監督からの差し入れです。オーナーたちとの会議で今日はこちらにいらっしゃることができないそうなので、皆さんによろしく、と……聞いていませんね」
和服姿の仄香が肩を落としたが、一瞬のことで、何事もなかったかのように給仕を再開した。
「はい、お茶」、麗が紙コップを礼人に差し出す。礼人は立ちあがりながら受け取り、近くのテーブルの上においてあったお盆の、おむすびをつかんだ。礼人は麗に礼を告げた。
「みんな疲れきってたからな。差し入れのお陰で、少しは気がまぎれたみたいだ」
スタッフたちは腹が満たされた後は、思い思いに談笑にふけっていた。玲奈だけは、話の輪に加わらず、紙束に目を通している。その片手には、おむすびが握られている。
「あたしたちには、こんなことしかできないからね。
それより、トレーニングの調子は? 勝てそうなの?」
麗の質問に、ガレージ内が静まり返った。「なに? あたし、まずいこときいた?」、麗が狼狽し、礼人に目で助けを求める。
「そうだな……。正直、勝てるかどうかわからない。
俺としては、ブルー・ヘヴンが最後まで生き残って、大会が終了できれば、それでいい」
礼人は、紙コップの中身を見つめたまま、誰にともなくそう告げた。礼人は、チームの代表ではない。だが、他の誰からも、異論の声はあがらなかった。空也のくぐもった声が聞こえたが、土筆に口をおさえられいた。
「礼人さん……」、美蕾に呼ばれ、礼人は顔を向けた。
「この子も、今の言葉を聞けて、喜んでいます」、寝かされたブルー・ヘヴンの頭をなでるようにして、美蕾が言う。
「そうだといいけどな」、礼人は苦笑する。マリオネットに、言葉を使う能力はない。
玲奈が二回、大きく手を打つ。
「はい、休憩終わり。予定を変更。五分後にもう一度レベル九をやって、ブリーフィングに入る。各自持ち場にもどって」
あちこちから、不満の言葉と嘆息があがる。だが、みなの動きは早い。礼人も、お茶を飲み干し、最後のひとつとなったおむすびへ手を伸ばした。
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K・H・Iは多くの国に進出しており、ここ香港でも、その存在感は際立っていた。
巨大なビルの各階に、煌々と明かりがついている。その最上階に、癸矢の執務室がある。革張りの椅子に身を預け、厚く束ねられた書類を片手で支えながら、もう一方の手でめくり、目を走らせていた。がっしりとした造りの机の前には、作業着姿の男がいる。離れて、二人の側近が立っていた。作業着姿の男は床に視線を落としたまま、唇をふるわせている。
「……で、結局原因は突き止められなかったというわけか。開発主任ともあろう者が、ずいぶんと謙虚だな」
書類束が終わりにさしかかった頃、癸矢が押し殺した声でつぶやいた。
作業着姿の男----主任は身を震わせ、「我々の技術で可能な部分はすべて調べました。しかし、パンドラボックスにはどうしても、コードそのものが判別できない部分が多くありまして……」と早口で、弱々しく述べた。
「せめて釈迦堂のやつがいれば、か。つくづく気に入らない男だな……なんだ、この女は?」
眉間に皺をよせていた癸矢が、書類をめくる手を止めた。書類には、数値データをまとめた表やグラフ、分析結果の文章ばかりが続いていたのだが、そのページには一人の少女の画像が載せられていた。まだ若い、学生といってもいいだろう。
「阿修羅のデータ領域の中にあった画像です。パンドラボックス内の奇妙なディレクトリにいくつかありました。関連性はわかりませんが、その女性が認識された前後に、阿修羅の思考アルゴリズムが異常を示しています」
「……実験機の暴走時の波形と似ているな。
そうか……そういうことか、釈迦堂め。よくよくふざけた真似をしてくれる」
癸矢は、口の端を歪めた。くぐもった笑いが始めはかすかに、次第に大きくなっていく。主任と側近は言葉をかけることもできず、しばらく顔を見合わせていた。
「ご苦労だったな、主任。よく調べてくれた。礼を言う。もう下がっていいぞ、少し休んでから、阿修羅の調整に入ってくれ。三日後の本戦でも、君たちの働きに期待しているよ」
癸矢は明るく告げ、恭しささえ思わせる手振りで、主任に退室をうながした。主任は戸惑いながらも、その部屋を後にした。
癸矢は、歪めていた口元をひきしめ、少女の画像と資料をにらみつけていた。側近は言葉をかけようとしたが、人を寄せつけない雰囲気に気圧された。
「まさか、こんなに簡単なことだったとはな……」、癸矢がつぶやく。その響きには、暗い冷たさがこめられていた。
「釈迦堂の息子が所属しているチームを監視している連中に、連絡をとれ」
「しかし、父親との接触があったという報告は届いていませんが……」
「あの老いぼれがいなくとも、阿修羅は頂点に立てる。わかってしまえば簡単なことだ。釈迦堂の失踪も、阿修羅タイプの暴走も、そして、あの目障りなチームの台頭も、すべてな」
癸矢は立ち上がり、背面に広がるガラス壁のそばに寄った。K・H・Iのビルは外資系の企業ビルが並ぶこの区の中でも、ひときわ大きい。真夜中だが、時間は関係ない。建物の灯り、電気仕掛けのロゴ看板や宣伝のメッセージボードなど、世界でも指折りである巨大企業群の象徴を見下ろすことのできる。
「もうすぐだ……もうすぐこの連中にも、誰が頂点か思い知らせることができる……私の息子たちの力を、世界が認めることになる」
誰にともなくつぶやく癸矢の表情には、安堵とも、恍惚とも受け取れるものが浮かんでいた。
視線をあげた癸矢の瞳には、先にある水平線に重なる島影がうつっていた。
ランタオ島----マリオネット・フォーミュラの最終決戦となる場所である。
(つづく)




