第19話_引き金
乾いた風には、焼けた金属の臭いと油の臭いがまじっている。
砂が入ったほうの目を、土筆は手の甲で強くこすった。
「どうかしたか?」、と前を歩いていた空也が声をかけてきた。土筆と空也の腕にはポップコーンや菓子、飲み物のつまった買い物袋が抱えられている。
土筆は「なんでもないです」と答え終わらないうちに、大きなくしゃみをした。
「半袖なんて着てるからだ」
「さっきは長袖で暑かったんですよ。いくらエジプトっていっても、一ニ月は冬なんですね……」、二回目のくしゃみをする土筆。「早くみんなのところへ戻りましょう、本当に風邪ひいちゃいます」
空也と土筆は、マリオネット・フォーミュラの会場にはつきものの、露店が並ぶ中央通りの人混みを抜け、観戦席へと向った。「ready」のロゴが入った宣伝用のジャケット、ブルゾンを探す二人。同じ色とロゴの入った服が、観客席の一画にいくつも並んでいた。
「良かった、まにあった。
美蕾ちゃん、あたしのブルゾン、どこかな?」
美蕾の膝の上には、土筆のブルゾンが丁寧に折り畳んであった。土筆は買い物袋を美蕾にあずけ、美蕾から飲み物と菓子をみんなへ配ってもらった。土筆がブルゾンの袖に手を通していると、
「ほれ。おまえのぶんも買っておいた」
空也は、買い物袋から缶をとり、礼人へ放り投げた。受け取った礼人が、明るい声をあげる。
「日本人向けの出店で見つけた。好きだろ、それ?」
土筆は、空也と礼人が持つ缶へと目をむけた。
「だ、駄目ですよ、缶ビールなんて。
まだお仕事中なんですし、監督にみつかったら……」
土筆は小声でまくしたて、少し離れた席にいる久梨奈からは見えないように、空也と礼人の壁になろうとした。
「かまわないわよ」と、久梨奈からの、あっさりとした声が届く。「私たちの試合は終わっているうえに、最終戦バトルロイヤルの出場資格はおりているのだから。今はお酒を飲んでも許します」
「甘いんだから」と、怜奈。「最終戦にいけるとはいっても、最下位八位だよ」
「今あせっても、どうしようもないだろう。最終戦に出られるだけでも感謝しないと」
礼人が美蕾の隣に腰をおろしながら言い、缶ビールの栓を開けた。
「そうそう。バトルロイヤルなんだから、順位は関係なくなるって……くはー、仕事の後の一杯はうめー」、空也が礼人の言葉を後押しする。
「あなたたち……この特等席の高価なチケットをわざわざ取った意味、理解している?」
怜奈のもつジュースの缶が握りつぶされかけるのを、土筆は見逃さなかった。
「怖い声だすなよ。ちゃんと、データは集めるから……酒飲んでいても仕事はするって。
そうだ、礼人。あの炎邪龍はベスト四に入っているんだって? 俺たちがベスト八で終わったっていうのに」
「ああ。この試合で勝ったほうが、アルディたちと戦うけど……阿修羅が相手になるだろう。明日の決勝も見たかったけどな」
「申し訳ありません……わたくしが飛行機のチケットを手配しなおしたばかりに」
「仄香は悪くない。一日の滞在費だってとんでもない数字なのだから。ろくに仕事もしないのに、滞在して資金を浪費するわけにはいかない」
玲奈の声は刺を含んでおり、空也と礼人をにらみつける。土筆はその間、喉の奥でうなっていたが、空也と玲奈の間の冷たい空気に割りこんだ。
「でも、ちょうどクリスマスには間に合うから、良かったですよね。パーティの計画もあるし。空也さんは参加するに決まってるから……麗もくるでしょ?」
エジプトの買い物用ガイドブックを真剣な目で読み進めていた麗に、土筆は声をかけた。
「いまさらクリスマスパーティなんかに興味ないし……」、麗は土筆のほうを見もしない。
「なに大人ぶってるんだか……今年も彼氏いないんでしょ」
「あんたってば、本当にいつまでたってもガキね」
「強情なんだから……怜奈さんは?」
玲奈は日本に戻ったらすぐに故郷へ帰って、そのまま新年を迎えるとのことだった。
「私も無理よ。すでに先約が入っているから」、久梨奈が返事を濁す。
「わかってますよ。きいてみただけです」
久梨奈が「温泉の友」のサークルに入っていて、毎年年末から年始にかけて温泉の宿巡りをしていることは、公然の秘密となっている。仄香が口を滑らせたために、広まったのだが、久梨奈本人はこの秘密を知っているのは仄香だけだと思いこんでいる。その仄香に土筆はパーティの出欠を尋ねた。
「参加したかったのですが、祖父の主催するパーティに出席しなければならなくて……申し訳ありません」
土筆に頭を下げる仄香。さすがに砂漠の気候では、着物姿ではない。土筆たちとおそろいの、「ready」のロゴが入ったブルゾンを着ている。そのブルゾンやジャケットには、「ready」のロゴの他に、ある企業のロゴも大きく入っている。仄香の祖父が会長を務めるグループのものだ。チームの運営には関わらず、宣伝を通じてスポンサー出資をおこなっている。秋口に成立したこの出資のおかげで、「ready」の財政は多少、潤う結果となった。
礼人は参加すると答え、その返事を見てから、美蕾も頷いた。
「とりあえず、四人はいるから、クリスマスパーティ実施決定、と」
満足した土筆が席に腰をおろす。ポップコーンをほおばろうとしたところ、すぐ後ろに座っていた麗にその手をつかまれ、ひっぱられた。
「なんなのよ、もう。ポップコーンがこぼれたじゃない」
「やっぱりクリスマスパーティ、出るから」
麗が、土筆にしか聞こえないように耳元で告げる。土筆が理由を問うと、麗は顔を赤くした。一瞬だけ動いた目線を土筆が追うと、その先には、礼人と美蕾がいた。
「ははーん……あんた、いつの間に……」、土筆が小声ではやしたてると、麗は丸めたガイドブックを振り上げ、土筆をたたこうとした。
----その時、試合開始の合図が鳴った。
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マリオネットが姿をみせた。ひとつは、六本の腕をそなえた、紅色の鬼----阿修羅。
もう一体は四足獣の形状をしており、細身の胴体や頭部から狐を思わせる。砂漠の保護色をまとったその狐型マリオネットの名前は、アナウンスによれば、ギェルパーフックといった。
ギェルパーフックは砂の大地を疾駆し、対戦相手との距離をつめていく。足場の悪い砂地であるにもかかわらず、その動きはしなやかだった。阿修羅は、ゆっくりと歩を進める。足を地につける度に、くるぶしのあたりまでが砂に埋もれている。
ギェルパーフックの背中に装備されたライフルが火を噴く。火線は阿修羅のそばではじけ、大きな砂柱を立たせた。ニ発目は、阿修羅の肩に命中した。阿修羅は少しよろめいただけだった。ギェルパーフックはライフルを連射した。阿修羅は、急所である頭部に命中しそうな攻撃だけは盾で防御し、それ以外はかわそうともしなかった。
ギェルパーフックは間合いを保ったまま、阿修羅を中心に円を描きながら砲撃を続ける。阿修羅はその位置から動くことなく、頭部だけを盾で守っていた。
ギェルパーフックがライフルを撃つのをやめ、正面から阿修羅に迫っていった。阿修羅が機関砲をかまえるより先に、ギェルパーフックはとびかかった。ギェルパーフックの尾の部分が白熱化している。ギェルパーフックは阿修羅の首に食いついた。阿修羅の拳がギェルパーフックの頭部をなぐりつけようとする。ギェルパーフックは、その拳を軽く蹴るようにして勢いを利用し、阿修羅から離れた。ギェルパーフックは阿修羅の背後にまわりこみ、ライフルの銃口を、阿修羅の腕のひとつの付け根に押しつけた。
ライフルが連射され、阿修羅は大きくよろめき、両膝と手をついた。その拍子に、大型の機関砲が阿修羅の手から離れる。
ギェルパーフックがとどめとばかりに、白熱化していた尾を、その腕の付け根にたたきつける。ライフルの狙いが機関砲へと向けられ、火を噴いた。機関砲は爆発し、大量の砂を巻き上げた。砂の雨の中を、ギェルパーフックは悠然とした足取りで、阿修羅の正面へ移動した。
阿修羅のその腕は体から取れかかっており、火花をまとっていた。火花は生きた蛇のように、その腕全体を這っており、大きくはじける度に、阿修羅が身を震わせた。機械部品の駆動音か、低い悲鳴のような唸りが、阿修羅から発せられている。
顔を伏せたまま立ち上がろうとしない阿修羅に、ギェルパーフックが近寄る。餌を前にしながらも警戒を解かない獣のように、ギェルパーフックは阿修羅のまわりをうろつく。ギェルパーフックが動きを止め、体を低く身構えた。その狙いは、阿修羅の首根だ。
ギェルパーフックが地を蹴って襲いかかるのと同時に、阿修羅が顔を上げた。咆哮に似た甲高い駆動音が響く。阿修羅はギェルパーフックに、ちぎれかかっている腕で殴りかかった。ギェルパーフックは身を大きくよじり、唸りをあげて迫る拳を、かわした。着地と同時に、距離をとろうと離れる。
阿修羅は間をつめた。ちぎれかけた腕を、反対側の肩についた三つの腕で引きちぎる。痛みに苦しむかのように、身をよじり、悲鳴のような音をあげる。
ちぎった腕は痙攣しており、付け根から赤いオイルがあふれでている。阿修羅は、その腕をギェルパーフックの頭部へ叩きつけ、大量の砂を蹴ってギェルパーフックにあびせかけた。
阿修羅が無事なほうの手で拳を作り、ギェルパーフックに打ち下ろす。ギェルパーフックはかわすことができなかった。ギェルパーフックの頭部は阿修羅のオイルで汚れ、視覚モニターには砂がはりついていた。ギェルパーフックは音を頼りに阿修羅を探すが、阿修羅は待たない。阿修羅の五つある腕のうち三つでギェルパーフックの足をつかみ、殴りかかる。阿修羅はただ拳で、ひたすら攻め続けた。頭部は一切攻撃しない。ギェルパーフックの体は陥没し、裂け、オイルが滴り落ちるようになっていった。
つかんでいたギェルパーフックの足が折れると、阿修羅は一度強く、ギェルパーフックの全身を砂漠に叩きつけ、大きくぶん投げた。ギェルパーフックは受身を取れずに砂漠を転がり、観客席近くのフェンスにぶつかった。
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礼人たちの真正面で、ギェルパーフックはよろめきながら起きあがった。阿修羅がゆっくりと歩いてくる。
マリオネット・フォーミュラの観客席は、特殊材質で作られた透明の丸形風防で覆われているため、そばでマリオネットたちの戦闘がおこなわれても、安全になっている。闘いの舞台が目の前となったことで、観客は歓声をあげていた。
「……まずいな」、礼人はうめいた。赤いマリオネットが近くにきて、良かったためしはない。礼人が視線をうつすと、美蕾が目を閉じ、眉間に皺をよせていた。礼人が具合を尋ねると、頭痛がひどいとのことだ。
「ここから離れよう」、美蕾の返事を待たず、礼人は久梨奈にその旨を告げようとした。
周囲からどよめきが起こる。その直後、慣れない轟音が、礼人の鼓膜を震わせた。戦場を見ると、ギェルパーフックは崩れ落ち、その体から炎と煙がのぼっていた。
「阿修羅が……勝ったのか……」、礼人は不快感で顔をしかめた。どのような原因で爆発が起きたのか予想できないが、阿修羅の拳と二の腕が、血のようなオイルでまみれている姿で十分だ。
試合終了と、勝者を告げるアナウンスが響く。
阿修羅は、観客席を品定めするかのように顔を左右に動かしていた。その、鬼の角と目線が、止まった。
礼人の不安めいた直感は、自分たちが阿修羅に見つかったことを告げていた。日本会場でみせた時のように、阿修羅は身を大きくのけぞらせ、痙攣し、虚空と体をかきむしる。鬼の異常は、他の観客も察知できたらしく、反射的に席を立つ人が何人もいた。
礼人は、美蕾をかばうようにして、抱きしめた。
阿修羅が、骸と化したギェルパーフックを蹴りこむ。鋼鉄の狐は炎をまとったまま、観客席の風防にぶつかった。観客の悲鳴に混じり、鬼の咆哮が響き渡る。それは殺気さえ感じさせた。
「礼人、ヤバくないか?」、空也が言う。怜奈が賛同し、皆をこの場から離れさせようとした。
阿修羅の咆哮が突然やんだ。礼人が肌で感じていた殺気も、消えた。阿修羅のチーム、K・H・Iからの緊急停止措置だろう。
美蕾の顔や体からは力が抜けており、瞼を閉じたままだった。体温も冷たく、にじんでいる汗は重たい。礼人や土筆が何度も呼びかけたが、美蕾からの返事はなかった。
(つづく)




