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マリオネット・フォーミュラ  作者: 冴宮シオ
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第01話_出会いの季節


 礼人(れいと)の目の前で、躊躇いをみせながらも実弥(みや)は下着だけの姿となった。実弥は礼人よりも三つ年上だが、髪型と化粧のためか、十代後半と間違えられることが多い。


 抱きついてきた彼女の下着をはぎ取ろうとする礼人の手は、静かに止められた。唇を求められ、礼人は舌をからめていく。柔らかな感触とともに、甘い温もりが口の中を満たす。礼人は実弥の肩を抱いたまま、ベッドへと倒れこんだ。


 その瞬間、甲高い金属音が頭の芯を貫き----夢から覚めると同時に、礼人はソファから床へと転がり落ちた。床に打ちつけた鼻が痛む。


「なんだってんだよ。せっかくいいところだったのに」、呟く礼人の背中に重いものが乗る。礼人は呻きをもらした。


「大の男がいつまでも寝ているんじゃないよ」


 顔を向けると、姉の克華(かつか)が見下ろしていた。エプロン姿の克華の両手にあるのは鉄の鍋蓋だ。


「そんな物で叩くなよ。いくら姉でも、やって良いことと悪いことがあるだろ」


 開いた窓からの陽射しが目に染みる。掛け時計を見ると、八時を少しまわったところだ。


「休みで帰ってきた時ぐらいのんびりさせろよ。家についたのは深夜だったんだから。だいたい、なんで俺の部屋が使えないんだよ?」


 礼人はソファベッドへ戻り、毛布を頭まで引き上げた。その直後、厚い鍋蓋が再び礼人の頭を襲った。礼人は耳をおさえた。鼓膜の奥がしびれている。


「さっさと朝ご飯を食べな。あたしは忙しいんだから」


 克華に毛布をはぎとられ、礼人は再び床へと投げ出された。克華は手早く毛布をたたみ、「あとでクリーニング屋にいくから、そのワイシャツも忘れるんじゃないよ」、早口で告げると応接室から出ていく。


「いつまで子供扱いすれば気がすむんだか」


 礼人は小声で文句を言い、顔を洗ってから服を着替えた。台所へ向かうと、食卓には三人ぶんの膳が置かれていた。克華が味噌汁に入れる実を用意している。


「珍しいな、父さんが帰ってきてるんだ」

「違うよ。もう一膳はお客様の」

「父さんは今どこに?」

「さぁ。年賀状には、K・H・Iという企業の開発室にいると書いてあったけどね」


 K・H・Iという名前を聞いた礼人(れいと)は驚き、飲んでいた茶を噴き出した。


 K・H・I----「おしめから遺産相続手続きまで」という宣伝文句で有名な紅華(こうげ)グループの重工業部門だ。機械産業であるマリオネット業界でその存在を知らない者はいない。同会社はこれまでのマリオネット・フォーミュラでも好成績を修めている。


「どんなつてでそんな場所に入れたんだ」

「さぁね。今頃また他の研究所に移っているんじゃないか。ここの固定資産税はさ来年ぶんまで納めてあるみたいだから心配いらないよ」

「そんな問題かねぇ」


 姉にはK・H・Iの名前がもつ大きさがわからないらしい。業界人ではないのだから、説明したところで実感されないだろう。礼人は話を切り上げ、新聞を広げた。


「さて、と。あとは味噌をとくだけ。礼人、呼んできてちょうだい」


 克華が炊飯器をテーブルの上に置く。誰を、と礼人は尋ねた。


「さっき言ったでしょ、お客様。あんたの部屋にいるから」

「俺の部屋を勝手に使わないでくれよ。いくら長く空けているからって」


 礼人は学生時代に住んでいたアパートを、現在も借りている。仕事場には実家からのほうがわずかに近いのだが、引っ越しの手間が面倒なことと一人暮らしのほうが気楽でいられるという理由で、アパート住まいが続いていた。実家に戻ってくるのは、今回のように大会が終わって長い休暇をもらった時ぐらいだ。部屋を空けていたほうが悪い、と一言で片づけられ、礼人は口論を諦めて部屋へ向かった。


「部屋は他にもあるのに。なんでわざわざ俺の部屋を。ベッドの下とかあさってないだろうな」


 そんなことを考えると急に不安になり、礼人は一段飛ばしで階段をのぼっていった。


 誰が部屋を使っているのかも気になった。最初に思い浮かんだのは、克華の彼氏という考えだったが、すぐに否定した。


「もしそうなら、俺よりも先に起こして朝飯の支度を手伝わせてるな」


 四つ年上の姉にはそろそろ落ち着いてほしい。今年で二八歳。めぼしい相手もいないようだ。


「あの性格だと当然か。実弥を見習ってほしいよ」


 礼人は扉をノックした。返事がなかったのでもう一度繰り返したが、反応はない。


 礼人は扉を開けた。目に入ったのは、半裸の女性の後ろ姿だった。小柄な、まだ少女といえる体つきだ。着替えのまっ最中だった。礼人は頭の中がまっ白になり、動けなかった。


 少女が振り返る。整った面立ちには幼さがまだ残っている。肩まで伸びた艶やかな髪が動きにあわせてわずかに揺れた。


 少女と目があった。感情は読みとれなかったが、怒っていないわけがない。礼人は謝ろうとしたのだが、言葉がみつからなかった。


「と、とりあえず、ごめん」


 そう叫ぶと礼人は扉を強く閉めた。階段を数段走りおりたところで踏みはずし、下まで転がり落ちていった。


 痛みのせいで起きあがることもできずに唸っていると、階段をおりてくる静かな足音が聞こえた。礼人は痛みを忘れ、素早くその場に正座した。


「ごめん! 下心があったわけじゃないんだ。俺にはもう心に決めた相手もいるし……」


 礼人は拝みながら、自分でもわけのわからない言葉で謝罪した。が、少女は視線も向けずに礼人のそばを通りすぎていく。


「無視された……絶対に怒ってるよなぁ」、礼人(れいと)は両膝に手をついたまま、少女の後ろ姿を見送ることしかできなかった。


 動揺が鎮まった礼人が台所へ戻ると、少女はすでに椅子に座っていた。少女はじっと、テーブル上にそろえられた箸を見つめている。


 椅子に腰をおろした礼人は小声で謝ったが、少女は見向きもしない。礼人が横目で何度も彼女の様子をうかがっていると、克華が味噌汁を盆に載せてきた。


「礼人、ちゃんと紹介はしたの?」


 機会を逃していた礼人は名前と年齢と、職業がマリオネットのトレーナーであることを簡単に告げた。だが、少女は黙って礼人を見つめるだけで、なにも喋ってくれない。見かねたのか、克華が代わりに口を開いた。


 彼女の名は早乙女美蕾(みらい)。年齢は一七歳。ひと月前からこの家で寝泊まりしているとのことだ。


 礼人は「よろしく」と無理に笑顔をつくったが、美蕾は数回瞬きをしただけだった。


 朝食の間も美蕾は黙りこくっていた。克華のふる話題に、礼人は適当に相槌をうっていた。美蕾の様子がつい気になってしまい、克華との会話に集中できなかった。


 食後の茶を飲み終えた美蕾は、自分の食器を流し台へ片づけると、姿を消した。階段をのぼる足音が次第に小さくなり、聞こえなくなってから、礼人は息を長く吐きだした。


「なんなんだよ、あの子は」

「気になるんだ? スリーサイズも知ってるよ」と克華が目尻を緩ませる。いやらしい笑みを、礼人は力強く否定した。

「違う。あの態度だよ。俺のことは無視するし。何様のつもりなんだ」

「んー、悪気はないの。ちょっと、その、精神的にね。何年も言葉を発していないらしいから。大きな事故に巻きこまれたと言ってた」

「誰が?」

「父さん」


 美蕾は父の知り合いの病院の患者で、それを事情があって引き取り、克華に任せたという。


「姉さんが医者見習いだからって、父さんも勝手すぎるよ。むこうの家族もよく許したな」

「身内のことはあたしも知らない。電話どころか手紙もこないからね」

「うちで預かっていて本当に平気なのか」


 美蕾の、人を無視するような態度の理由はわかった。それとは別に、身内には内緒で美蕾を預かっているのではないかという考えがうかんだ。下手をすれば誘拐犯扱いだ。


 熱いお茶をすすった礼人は、その疑問をぶつけようとした。が、克華の質問のほうが早い。


「いつまで休めるの」

「一週間。そしたら次のシーズンへ向けてマリオネットの再調整。トレーニング・プログラムを作りなおすところから始めないと」


 嫌な作業を思い出させてくれる。茶の味がいきなり苦くなったような気がして、礼人は口元を歪めた。


 マリオネットのトレーニング・プログラムは一度完成したからといって終わりではない。プログラムされたその動作を擬似人格形成機関であるD(ディ)POS(ポス)が習得するまで、微妙に変更を重ねながら、何日も同じ作業を繰り返すこととなる。先を考えると、礼人の気は重くなった。


「大変だねぇ」、克華の言葉から同情の念は感じられない。「そういえば、あんたに渡してくれと父さんから頼まれた封筒があったんだ。どこに置いたかな」

「後でいいよ。もうひと眠りするから」

「なに甘えたことを言ってるんだい。お茶を飲み終わったら食器を洗っておいてね」と克華は席を立ち、背もたれにかけてあったエプロンを礼人に放った。受け取った礼人は、すぐに投げ返す。

「たまに帰ってきた時ぐらい、休ませてくれよな」

「お客様扱いされたかったら一週間ぶんの食費と雑費、その他諸々を払いなさい。ちなみに、これぐらい」


 指で金額を示す克華。礼人は言葉に詰まってしまった。一度は礼人の手元から離れたはずのエプロンが、克華の手で、今度は礼人の首にかけられる。


「俺の安月給を知ってるくせに」

「食器洗いの後は掃除だからね」


 洗濯機の音に混じって、指示がとんでくる。この一週間、たっぷりとこきつかわれるだろうか。そんな不吉な考えを、礼人は振り払った。


 流し台の上にある湯沸かし器のスイッチをいれ、しぶしぶと袖をまくり上げた礼人は、食器洗い用のスポンジに洗剤を染みこませた。


 電話が鳴り、すぐに止まった。克華が出たようだ。礼人が食器を洗っていると、声が届いた。


「礼人、あんたに。女の人から」

「実弥かな」


 蛇口を閉めた礼人(れいと)はエプロンで両手を拭きつつ、電話台が置いてある廊下へ急いだ。はずむ気持ちで受話器を取ると、「釈迦堂(しゃかどう)くん? 紅華(こうげ)だけど」、実弥のものとは異なる声が聞こえた。礼人は落胆が隠せない。


「なんだ。監督か」

「話があるの。休みにはいったところ申し訳ないけど、事務所に来てもらえないかしら」

「いつですか」

「今日。早いほうがいいわ。詳しいことは集まってから話すから」


 休暇に入ったばかりなのに、と礼人は不満をぶつけようとしたが、克華から押しつけられた仕事をやらなくてすむことに気づくと、二つ返事で引き受けた。すると、「お願いね」とだけ言い残し、電話はすぐに切れた。


 礼人は笑顔で克華に理由を話した。


「別に逃げるわけじゃないからな。仕事なんだから、仕方ないだろ」

「いいよ。ちゃんとあんたのぶんの仕事は残しておいてあげるから」


 あっさりと言い返す克華。礼人は聞かなかったことにした。

 姉の車を無断で借りて駐車場から出していると、二階の窓から美蕾がこちらを見ているようだった。

 車を駐車場から出し終えた礼人は顔を上げたが、美蕾の姿は既に消えていた。




(つづく)

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