第17話_見えない表情
回収したブルー・ヘヴンを調整小屋に運び入れると、待ち構えていた報道陣は追い出され、関係者以外は入ってこられないようにシャッターが下ろされた。
「せっかく水着を新しくしていたのに……」、スーツ姿のままの麗が肩を落としていた。
メカニックと打ち合わせをしていた怜奈が話を止めて、仄香に告げる。
「悪いわね。報道向けのレポートは後で責任もって作っておくから」
怜奈の指示に従い、メカニックの全員がブルー・ヘヴンの被害状況を調べ上げた。
多目的寝台に寝かされたブルー・ヘヴンの装甲が次々にはぎ取られていく。骨格と内部機構だけになった後、両手両足、下半身、上半身、頭部がそれぞれ付け根から分離される。分けられた各部を、担当のチームが綿密に検査していった。
外装のなくなった頭部の接続部に、礼人はデータ転送用のケーブルのコネクタを挿しこんだ。通常とは異なり、ケーブルの端は「ready」のネットワークから独立したラップトップパソコンにつなげてある。暴走じみた反応を示したD・POSのデータがどのような影響を及ぼすか予測できないためだ。ブルー・ヘヴンから吸い上げられていく膨大な情報の波を、礼人は無言で調べていく。
「よくやったぞ、おまえは俺たちの誇りだ」
空也の涙まじりの声が聞こえた。「邪魔。消えて」という怜奈の冷たい言葉もある。
礼人はすぐ隣りに人の気配を感じ、一瞥した。美蕾が、ブルー・ヘヴンを見つめていた。麗からのおさがりである原色の派手なジャージ姿だ。
「大丈夫。心配、しないで」
美蕾の口調は優しく、赤ん坊にでも語りかけるようなものだった。美蕾がわずかに屈んで、礼人との間にあるラップトップ型パソコンの画面をのぞきこむ。礼人はデータの整理に追われ、美蕾の相手ができなかった。
「終了、っと。D・POSには異常なし。獲得データにも、今のところ問題はない。機体さえ修理できれば、すぐにでも試合ができるぐらいだ」
簡単な報告の意味もこめて、礼人は独り言のように周囲へ告げた。礼人自身驚いたことだが、D・POSそのものにはまったく異常が見られない。先程の試合でみせた奇妙な反応が嘘のようだった。
「エラーチェックにひっかかる物はなかったけど。一度データを全部ひっくり返して検査しないといけないな」
そのためには一か月ぐらいの時間が必要になるかもしれない。そう思うと、礼人は肩が凝ったような気がして、首を大きく回した。
ブルー・ヘヴンの被害状況もまとめ終わっていた。修復には、二か月後にある次の試合までぎりぎりの時間がかかるだろう。一見壊れていない部品も耐久度が限界に近づいているため、ほとんどを取り替えることになる。怜奈はそう説明した。
「結局、予算が必要になるのね」、久梨奈が、沈痛な表情で胃のあたりを押さえていた。よっしゃ、と勝ち誇ったように拳を握る空也。
ブルー・ヘヴンの本格的な修理は日本に帰ってからでないと不可能だということだった。怜奈が言ったすぐ後で、「あの……」と申し訳なさそうに割り込んでくる声があった。恐る恐る挙げられた手は美蕾のものだった。皆からの視線を浴びた美蕾は、礼人の陰に隠れるようにして口を開いた。
「汚れだけは、綺麗にしてあげられませんか……」
服の端を美蕾に硬く掴まれている礼人は、同意の声をあげようとした。が、怜奈のほうが早かった。
「そうだね。でも、その前に……釈迦堂くん、わたしたちに話さなければいけないことがあるのではなくて?」
「なにを?」
礼人は眉間に皺を作って、考えこむふりをしたが、怜奈の視線は険しい。
「とぼけないで。先程の試合、ブルー・ヘヴンが銃を捨てた時、あまり驚いていなかったみたいだね。
考えてみれば、今期のブルー・ヘヴンの動きはおかしい。判断力が優れすぎている、ともいえる。去年とはくらべものにならないぐらいにね」
「それが俺たちの実力ってやつさ」、空也が自慢する。
「彼も夜遅くまで頑張っていたんだから……」、麗も空也に続いた。
「あなたたちは黙っていなさい」、怜奈は空也と麗のほうへ視線を動かすことなく一喝した。
「気にくわないの、隠しごとをされたままでいられるのが。なにを知っているのかわからないけれど、説明してもらえないかな」
怜奈は礼人を逃す気はないようだ。他の面々も礼人をじっと見つめている。
「わかった」、礼人は腹を決め、口を開いた。
マリオネットには人間の頭脳にあたる機関としてD・POSが存在する。その機関は、データそのものを吸収して自らの思考領域の一部として処理していく『言語回路』と、選択された行動命令言語を高い変換率で全体に伝達してゆく『物理回路』の二つから構成されている。D・POSが「擬似」人格形成機関と呼ばれる理由は、与えられたデータに従うことしかできず、人間特有の「創造的」思考領域を発生、そして進化させていくことが不可能なためだ。
「そんなこと誰でも知っているから、早く本題に入ってくれよ」、飛んできた野次に対して、「私、存じあげておりませんでしたわよ」と仄香が言う。礼人は頷いた。
「思考の進化のあり方についてはいろんな理論があるけど、一般論として一九八七年の柳木田理論を元にしておこう」
柳木田理論とは、発達心理学と人工知能の情報処理能力について発表された論文だ。その中でD・POSの「擬似人格」と、人間の学習による「人格」との違いが述べられている。D・POSは受動的に入力された情報に基づき、数多くの有限選択肢の中から行動を起こす。それに対して、人間本来の持つ「人格」はそれまでの情報から、新たな選択肢を造り上げることが可能だ。
「父さんが造り上げようとした新POSも、人間と同じような学習を繰り返して、擬似じゃない人格を形成していくんだ。頭脳の働きだけみれば、人間の脳よりも優秀になるかもしれない」
「そんなことが出来るのかよ。いや、できたところで、誰がどんなことに使うんだ。そんなPOSだったら、人間なのかロボットなのか区別つかないだろ」
「俺にも、その目的はわからない。ただ、父さんの論文では、ハードの能力が追いつかずに理論そのものが破局している。俺はそれをもらって、ソフトウェアの面だけで今のD・POSの能力をあげられるように修正したんだ。
まさか、あんな暴走じみた行動にでるとは思わなかったけど」
礼人はそこで皆を見回し、一言「黙っていて悪かった」と頭を下げた。
「去年までのトレーニング・プログラムのままだと、今年も負けると思ったんだ。少しでも、可能性に賭けたかった」
床を見つめながらそう続けた。しばらくの間、誰もなにも言わなかった。沈黙を破ったのは空也だ。
「いいじゃないか。結果的にはいいほうに働いたんだし」
その声には、珍しく気遣いの色があらわれている。空也に同意する者があらわれるより先に、怜奈が口を開いた。
「言ったはず。隠しごとをされるのが気にくわないって。あなたはそれでいいかもしれないけど。一人で勝手なことをして、失敗して、何も知らなかったわたしたちはどうなるの?」
礼人は唇を噛んだ。悩んだ末に、礼人はひとつの誓いを言葉にした。
「二度とへまはしない。トレーニング・プログラムを完璧にする。それ以上の約束はできない」
「……だ、そうだけど。これでいい、久梨奈監督?」
礼人は顔をあげた。久梨奈は腕組みしたまましばらく考えこんでいたが、小さなため息とともに目を伏せた。
「内緒でこんなことを進めたこと自体は重大な越権行為ね。解雇されても文句は言えないはずよ。
でも、釈迦堂くんの試みがなければ、私たちのチームは例年通り予選落ちして、今頃解散していた可能性が高いことも、悔しいけど認めないといけないわね。
釈迦堂くんに限ったことではないけど、隠したまま勝手なことをするのはよしてちょうだい。もうさすがに、、胃に悪いわ」
久梨奈からの無罪放免の言葉に対し、礼人は深く頭を下げ、感謝の言葉を口にした。
「甘いんだから」、怜奈が久梨奈に向けて小さく呟くのが礼人の耳に届いた。が、怜奈の口元はかすかに緩んでいるようにも見えた。
場の空気が軽くなると、土筆が思い出したように中継用テレビのスイッチを入れた。次の試合が始まるところだった。
決勝戦----炎邪龍と阿修羅の戦いである。
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アポロンの泉水を越えて西に伸びる大運河を遮るように、木々が壁となって広がっている。その木々と空の狭間に沈みかけた陽が、敷地内を埋める緑を、いくつもの泉水を、そして宮殿を茜色に染め抜いていた。
礼人は宮殿前の泉のそばに立ち、西を眺めていた。夕日の沈む位置は、大運河の延長上よりもかなり南よりとなっている。
「いくら本物を真似しているっていっても、『太陽の基軸』まで期待するっていうのは贅沢か……」
少しだけ残念な気持ちのまま、礼人はワイングラスを口に運んだ。この近くで作られた赤ワインのコクと香りを、麗に教わっておいた通りに、礼人はゆっくりと味わってみた。
「……駄目だ。俺の口にはあわないや。日本で売っている千円ぐらいのほうが美味しいと思うんだけどなぁ」
早々に結論づけ、ワイングラスの中身を礼人は一気に飲み干した。噴水のそばのベンチのひとつには、美蕾が座っている。三人のピエロが繰り広げている大道芸を、じっと眺めていた。礼人は雑踏の間を抜けて、美蕾の隣りに腰をおろした。
「あれは、何をやっているのですか?」
美蕾が、ピエロたちを指差しながら尋ねた。ピエロたちが始めた芸はパントマイムだった。言葉を使わず身ぶりだけでいろいろなことを表現する芸だと、礼人は説明した。
「言葉を使わずにすむのなら、マリオネットでもできそうですね」
「動きだけならな。でも、ああやって人を楽しませるためには不可能だろう。D・POSは感情を学習させられないから」
その言葉に、美蕾は首を傾げた。礼人は技術的な面や哲学的な面で細かい説明を試みたが、美蕾を理解させられなかった。
「要するに、笑うことや悲しむことができるかどうかってのが大事なんだ」
礼人は曖昧な表現で話を終わらせ、立ち上がった。
「そろそろみんなのところへ戻ろう」
美蕾は黙って頷き、礼人が地面に置きっぱなしにしていた空のワイングラスを手にして立ち上がった。
マリオネット・フォーミュラのフランス大会の閉会式が終了した今、運営委員会の主催するパーティの最中だった。会場の一画であるヴェルサイユ宮殿の敷地すべてを解放してある。一般の大道芸人だけでなく、露店もたくさん集まっている。
宮殿の敷地のそこかしこに、料理と飲み物の並べられたテーブルがおかれ、大会の関係者だけでなく一般の観戦者も飲み食いすることができた。
大会に参加したマリオネットを公開できる区域もあり、カメラをもった記者や一般の人々が群がっている。戦闘後の、傷だらけとなった機体に、人々の興味は集中していた。そこには、ブルー・ヘヴンや炎邪龍の姿はない。
流れてくるオーケストラの演奏をたどるように礼人と美蕾は歩いた。たどり着いたのは、公式のイベントをおこなうためのステージと大型のスクリーンを備えた区画だった。そこにもやはりテーブルがたくさん並んでいるが、周囲を二重に張られたロープと係員が取り囲んでおり、大会参加者しか内側に入れないようになっていた。
大型のスクリーンでは、昨日おこなわれたバトルロイヤルの模様が放送されていた。そこに映っている機体に、礼人は覚えがない。バトルロイヤルは本戦に参加できなかったチームを対象としているもので、本戦への対応に追われている「ready」にはバトルロイヤルのことを気にする余裕がないのだ。そのバトルロイヤルの録画放送も終わり、炎邪龍と阿修羅の決勝戦が再現されようとしていた。
スーツのポケットから取り出した登録証を受付に見せ、礼人と美蕾は中に入った。
「ready」の仲間を探すのに時間はかからなかった。空也と土筆が騒いでいるのがすぐにわかったからだ。二人とも、あちこちのテーブルから獲物を皿ごとさらっては、ひとつのテーブルへ戻って、平らげている。いくつもの皿が重ねられたそのテーブルの周辺に、チームの他の面々は見当たらない。礼人たちも二人に見つからないうちに逃げることにした。
盆を持ったウェイターから飲み物を勧められ、礼人はワイン以外ならなんでもいいと頼んだ。美蕾は例によってジュースだ。彼女と一緒の時間をすごすようになって数か月たつが、美蕾がアルコール類を口にすることはない。克華に言わせると、回復しかけた脳神経系にどんな影響がでるかわからいため厳禁ということだ。
その場でウェイターを待っていると、後ろから声をかけられた。金髪の男----アルディだった。アルディはタキシードのようなスーツを着込み、髪も整えてあった。深みのある赤いワインの注がれたグラスが、嫌味なほどに様になっている。
握手を求められ、礼人は喜んで応じた。アルディはさらに美蕾の手を取り、ひざまずきながら彼女の手の甲に口をつけようとした。礼人はあせったが、そういった習慣を知らない美蕾は自分から動くことはなく、アルディのやろうとしていたことは失敗に終わった。アルディはばつの悪そうに咳払いをしただけだった。
「炎邪龍……見事なマリオネットだったな。俺たちの負けだよ」
「あそこでおまえたちのマリオネットが銃を捨ててくれたからな」
「だな。次は手加減してやらないぞ。
それにしても、決勝はおしかったな」
「そのことなんだが……阿修羅は普通のマリオネットとは違う。変だと思ったことはないか」
「変?」
深刻な顔つきのアルディにつられ、礼人も眉をひそめた。戻ってきたウェイターから美蕾が二つのグラスを受け取り、ひとつを礼人へ渡した。
礼人とアルディは、大型スクリーンへ目をやった。ちょうど、炎邪龍と阿修羅の戦いが始まるところだ。戦場は決勝戦にそぐわない、ごく普通の町並みの、商店が並ぶ通りのひとつだ。その天井は、ステンドグラスを備えたアーケードが覆っている。
開始直後、炎邪龍は一気に間合いをつめ、胴回し回転蹴り放った。前のブルー・ヘヴンとの戦いでの損傷がひどく、決勝戦を長引かせるわけにはいかなかったのだろう。
絶妙なタイミングでの胴回し回転蹴りを、阿修羅はわずかに身体をずらして避けた。炎邪龍は着地と同時に身を沈めた。伸ばした左足が勢いよく孤を描きながら、足払いとなって阿修羅の足元へ迫る。阿修羅は地を蹴り、炎邪龍の足払いをかわした。そのまま、前に宙返りする形で、その重い両足を炎邪龍の頭部へとたたきつけた。
胴回し回転蹴り。炎邪龍は、ブルー・ヘヴンを敗ったそれと同じ技で、地に沈んだのだった。その頭部は完全に潰れている。
礼人が「D・POSは無事だったか?」と尋ねると、
「データだけはな」
アルディは苦渋をにじませながら答えた。その苦しみは、同じトレーナーである礼人にも理解できる。礼人は話題をD・POSから変えることにした。
「常識外れに強いことは認めるけど、それだったら、おまえたちのところのほうがよっぽど変だ。格闘戦用の機体なんて」
「うちの炎邪龍は格闘戦用マリオネットとしては超一流だ。あらゆる格闘家や武術の動きをデータ入力した。胴回し回転蹴りを放てるようになるまで、俺たちがどれだけ苦労したか……それをあの阿修羅が使った」
「トレーニング・プログラムに入力したんじゃないのか。たったそれだけのことで判断できないだろう」
「確かに、俺の思い過ごしかもしれない。だが、もしもあの阿修羅が炎邪龍とブルー・ヘヴンの戦いから学んでいたとしたら、異常なまでの学習能力だ。普通のマリオネットに勝ち目はないぞ」、アルディはそう言い捨て、ワイングラスを空けた。
「なにを馬鹿なことを。データ入力されていない完成された動きをマリオネットが実行させるなんてことは……」
あるはずない、という言葉を礼人は飲み下した。ブルーヘヴンの暴走を思い返したためだ。ブルー・ヘヴンは入力されていない、完成された行動をとっていた。いろいろな可能性と憶測が、礼人の考えを乱した。礼人は、アルディに呼ばれて、ようやく考えることを止めた。
「どっちにしたって、俺たちにはわからないよ。俺たちは、用意された試合をこなしていくしかないんだ。勝つためにな」
礼人はそう言い、スクリーンの中の阿修羅を見やる。冷血さを感じさせるまでに無表情なその頭部は、何度見ても鬼を思わせる。
「笑ったり悲しんだりできれば、鬼も鬼じゃなくなるのかな……」
礼人はそんなことを考えながら、やけに怜奈のことを訊くアルディの相手をさせられた。
美蕾はじっと、スクリーンに次々と映しだされていくマリオネット見上げていた。礼人の位置からは逆光となり、美蕾の表情を確かめることができない。
傾きの大きくなった太陽がフランスの空と大地を翳りのある朱色に染めていく。わずかに木々を揺らしていく風は、この地域にしてはやけに冷たく、湿っていた。
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マリオネット・フォーミュラ2028年度、第三戦終了----
チーム「ready」の成績、三回戦出場。二ポイント獲得。合計四ポイント。
現在順位、全三二チーム中、一二位。決勝大会へ出場できるのは、上位八チームだけだ。
(つづく)