第16話_反抗期
試合開始のカウントが、残り十秒を切った。
礼人は欠伸を噛み殺し、ピットブースの司令室に設置された中継用テレビを一瞥した。二分割された画面にそれぞれブルー・ヘヴンと炎邪龍が映し出されている。二体のマリオネットは市街エリアの中、数ブロック離れて配置されていた。
「始まるわよ」、怜奈が告げる。
『二……一……マリオネット・ファイト、ゴーッ!』
試合開始と同時に、二体のマリオネットは動いた。ブルー・ヘヴンも炎邪龍も疾走を開始する。共に、一直線に相手へ向かっていた。
「攻めのルーティンなのは向こうも同じか。どこらへんでぶつかりそうだ?」、礼人は、誰にともなく尋ねた。
「川」
「ミディ運河だよ。正確には運河を再現したものだけど」
「名前なんかどうでもいい。データ処理班は相手の平均移動速度や行動ルーティンを調べて。数値化したものを各チーフに回しなさい。それから……」
怜奈が指示を出す。大勢の人間が動きだし、ピットブースが騒然となり始めた。
ブルー・ヘヴンの行く手に大きな川が見えてきた。両岸にはプラタナスの巨木が並び、茂った枝葉からこぼれ落ちた陽光が深い緑色の水面を輝かせている。
先に運河へたどりついたブルー・ヘヴンは足を止めず、川に沿って走り続けた。ハンドガンを構えると、対岸へと銃口を向ける。移動速度を緩めずに、ブルー・ヘヴンは引き金を引いた。
対岸の通りから姿を見せた炎邪龍は、急激に速度をあげた。一瞬前まで炎邪龍のいた場所で、ブルー・ヘヴンからの銃弾がはじけ、砕いたアスファルトを巻き上げた。
運河をはさみ、二体のマリオネットは走り続けた。攻撃するのはブルー・ヘヴンだけだ。炎邪龍は槍を抱えたまま併走するだけで、運河を飛び越えようともしない。ハンドガンを連射するブルー・ヘヴン。炎邪龍は走る速さを巧みに変え、銃弾をかわす。
「なんだってんだよ? 照準のプログラムは万全のはずなのに!」、礼人は苛立ちながら、モニター上の数字の羅列に、短い単語を打ちこんでいく。
「抜群の回避ルーティンだね。釈迦堂くん、応急処理では対抗できない」、怜奈が冷静に告げる。じゃあどうすりゃいいんだ、と反論しかけた礼人の視界の隅で、ブルー・ヘヴンの行く先に運河に架かった橋が見えた。
「渡らせよう。距離が縮めば命中率もあがるはずだ」
「却下。橋を渡る時に隙ができる」
礼人の提案に、怜奈が即座に反対する。二人が睨み合った瞬間----空也が叫んだ。
「奴が加速したぞ。橋を渡るつもりだ」
炎邪龍の背後から炎の龍が伸び、黒の機体を疾らせる。ブルー・ヘヴンを後退させつつ、全武装で向かい討つよう指示----礼人と怜奈から同じような指示がとんだ。
**********
炎邪龍が、橋の上を駆け抜ける。後退するブルー・ヘヴンの肩が開き、小型ミサイルの発射口があらわれた。炎邪龍が槍を銃のように抱え、穂先をブルー・ヘヴンへ向ける。
銃弾のように、槍の穂先が打ち出された。鎖のついた穂先は真っ直ぐに飛び、路地へ逃げこもうとしていたブルー・ヘヴンの左腕にからみつく。巻き上げられた鎖に引きずられる格好で体勢を崩すブルー・ヘヴン。ハンドガンを構えるより早く、漆黒の機体が突進してきた。
炎邪龍の鋭い肘打ちがブルー・ヘヴンの胸部に刺さる。その衝撃で、ブルー・ヘヴンの手からハンドガンが落ちた。炎邪龍の背後から伸びる炎の龍がその太さを増した。その力に押し負けたブルー・ヘヴンの足が、地から離れる。炎邪龍はブルー・ヘヴンの顔に手を押し当て、通りを疾走していった。ブルー・ヘヴンが小型ミサイルを連続して放つが、密着している炎邪龍にかすりもしない。
二体の左右に並んでいた建物が途切れ、広い空間に出た。手入れの行き届いた緑の、美しい幾何学的模様を形作る庭園。数々の泉水や彫像の奥にはバロック様式の豪華な宮殿がそびえている。炎邪龍とブルー・ヘヴンは庭に広がる緑の絨毯を裂き、その宮殿へと突っ込んでいった。
ヴェルサイユ宮殿。広大で豪奢なこの建造物には様々な名前を関した部屋がいくつもある。ブルー・ヘヴンと炎邪龍の突入した部屋も例外ではない。「鏡の間」。天井にはルイ一四世の栄光を称えた装飾画があり、ブロンズ製の柱頭は金色に塗られている。五七八枚の鏡が光を反射させ、室内の装飾の豪華さをより眩しいものにしていた。
巨大な窓と壁をつきやぶった二体のマリオネットは体勢を崩し、倒れこんだ。その隙にブルー・ヘヴンは電磁拳で炎邪龍の顔面に殴りかかった。
跳躍して離れた炎邪龍に、ブルー・ヘヴンは小型ミサイルを発射する。炎邪龍は、背部の推進機を吹かして空中を移動し、ミサイルの群を回避した。目標を失ったいくつものミサイルは天井や壁に命中する。
天井とその両脇に吊られたシャンデリアが砕け、鏡が割れ、破片を撒き降らす。 無数の煌めきが「鏡の間」を満たし、ブルー・ヘヴンと炎邪龍の周囲で乱舞した。鏡の破片には、二体のマリオネットの虚像が万華鏡のようにはりついている。
一瞬、ブルー・ヘヴンは戸惑ったような反応をみせる。炎邪龍は、槍を連続して突き出した。そのほとんどはブルー・ヘヴンを捉え、紫色の装甲には穴が増えていった。攻撃を受けながらも、ブルー・ヘヴンは小型ミサイルを発射しようと体勢を整えつつあった。
炎邪龍は一度槍を引き、背部の推進機を吹かすと同時に大きく突きこんできた。その穂先の延長上には、ブルー・ヘヴンの頭部がある。ブルー・ヘヴンは身をよじり、直撃を避けた。しかし、炎邪龍の反応も早い。炎邪龍の槍は、ブルー・ヘヴンの左肩を貫く。
一瞬の間があり、ブルー・ヘヴンの肩口が爆発した。支えを失った片腕が、ガラス片の絨毯に落ちる。
炎邪龍が左の貫手を放つ直前、ブルー・ヘヴンは煙幕を噴き出した。ピットインだ。
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ピットブースに帰還したブルー・ヘヴンが多目的寝台に倒れこむと同時に、大量の冷却ガスが機械式の噴出器から吹きつけられた。
装甲が取り外され、内部機構の応急処置がほどこされる。二か月前とは違い、「ready」の面々も慣れた手つきで素早く作業をおこなっていた。
怜奈が前もって下していた指示どおり、ブルー・ヘヴンの左肩の残骸が付け根から分離された。新たな左腕が取りつけられ、五つのボルトで固定される。作業員がブルー・ヘヴンを簡易起動させると、左の拳が握ったり開いたりし、なにかを持ち上げるような動作を示した。
装甲とミサイルの弾薬を新しい物に取り替えている間に、礼人と空也、怜奈と久梨奈はピットブースの隅で打ち合わせをおこなっていた。
「炎邪龍の回避ルーティンはこちらの数段上、射撃では勝てない」
怜奈が告げ、数字だらけの紙束を三人に回す。礼人はその炎邪龍の性能が書かれたデータに目を通しながら言った。
「中距離からの攻撃が通用しないなら、距離を縮めるしかないだろう。ハンドガンなら接近戦でも使える」
「あの機体に接近戦を挑むわけ? ハンドガンと電磁拳ではかなわないと思うけど」
怜奈が、他人事のように冷静に指摘する。正論なので礼人はなにも言い返せず、唇を噛んだ。
「なぁ、実は俺、こんなこともあろうかと……」
そう告げた空也が二人から離れ、ピットの隅へ向かった。そこには機材が山のように積まれている。その一画に、黒いビニールシートがかぶせてあった。礼人には見覚えのないものだ。
「こんなものを用意しておいたんだ」
空也は黒いシートを勢い良くはぎ取った。その下にあらわれたのは、日本刀だ。マリオネットにもたせる大きさだ。礼人は唖然とした。
「おい……なんだよ、それ? 事務所のガレージでも見たことないぞ」
「万が一のことを考えてな。新システムの開発費の一部を頭金に使って注文しておいたんだ。こいつなら接近戦でも戦えるだろ」
「樒くん。私や経理がどうやって資金を調達したか、教えましょうか」
久梨奈の声が震えている。礼人は彼女の頬がひきつっているのを見た。
「責めるのは後回し。ハンドガンや電磁拳よりは使える」、怜奈は認め、刀をブルー・ヘヴンのそばに運ぶようスタッフに指示した。
礼人は怜奈の名前を呼んだ。
「ちょっと待てよ。トレーナーとして言わせてもらう。ブルー・ヘヴンにそんなトレーニングはやらせていない。それに、その刀は委員会への登録申請をしてないだろ?」
マリオネットに搭載する武器は、試合前に委員会から派遣された検査官によってチェックされる。破壊力のありすぎる武器によって観客に被害が及ぼすことを防ぐためだ。
礼人の指摘に空也は「勝手に申請しておいた」の一言ですませた。日本刀が六人がかりで運ばれていく。
「こいつを使おう」と空也が機材の下から取り出したのは、DVD-ROMだった。市販の『トレーニング・プログラム素材集』だ。刀を扱うルーティン・ソースだけでなく、簡単な格闘技のルーティンも同梱されている品だった。
「最適化はされてないけど、それでいくしかないね。釈迦堂くん、D・POSのプロテクトを解除して。インストールと調整は頼んだから」
怜奈が空也から取り上げたDVD-ROMを礼人に手渡す。礼人は不安なまま、データ入力用の椅子に座った。
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ロスタイムに入る一秒前に、ブルー・ヘヴンはピットアウトした。その左腕には、刀が握られている。
「ready」にあてがわれていたピットブースは、幾何学的な様式をもつ広い庭園のはずれにあった。庭園を横切る形で疾走する紫色の機体を、漆黒の炎邪龍が追う。炎邪龍はすぐにブルー・ヘヴンと並んだが、攻撃しなかった。ピットアウト後の攻撃禁止時間は二分だ。その間は相手の行動を邪魔する行為の一切が禁止されている。
二体のマリオネットは通りを抜け、頂上にナポレオンの像を抱く塔のそばを過ぎていった。ブルー・ヘヴンは右手のハンドガンを炎邪龍へと向ける。炎邪龍が槍を構えなおした。ブルー・ヘヴンが急制動をかける。そこは、旧オペラ座へと続く道がある広場だった。先へ進んでしまった炎邪龍が両足を滑らせながら速度を殺し、身体の向きを変える。体を低くして間を詰める。
ブルー・ヘヴンがハンドガンを連射した。炎邪龍は槍を体の正面で回転させ、ハンドガンからの銃弾をはじいた。ハンドガンの弾丸が切れた一瞬をつき、炎邪龍の槍が再びブルー・ヘヴンの左肩の付け根あたりを貫いた。ブルー・ヘヴンの動きが止まる。
炎邪龍は槍を捻りながら抜いた。刀の重みか、ブルー・ヘヴンの左腕が付け根から落ちそうになる。炎邪龍はそのまま、左の回転貫手を放ち、ブルー・ヘヴンのハンドガンを砕いた。
炎邪龍は間合いを取るために後退しようとした。ブルー・ヘヴンは刀をもつ左腕を、振り回すようにして、炎邪龍にぶつけていった。炎邪龍は槍の柄で刀を止めようとした。が、不安定な体勢で受けたため、槍は弾かれた。
ブルー・ヘヴンはさらに左足を強く踏み込み、刀の二撃目を放った。炎邪龍が槍を構えなおすより早く、ブルー・ヘヴンの刀は炎邪龍の右腕を肘のあたりで断ち切った。刀はそのまま、炎邪龍の腹深くに食い込んで止まる。黒い鋼鉄の傷口から、機械油が流れ落ちた。
炎邪龍は体をひねり、左の貫手を刀にぶつけた。鈍い音をたてた後、刀身は折れた。炎邪龍の左手の四指が奇妙な向きに折れ曲がっている。
離れる二体。その拍子に、ブルー・ヘヴンの左腕は、肩の支えを失って落ちた。炎邪龍は左手で槍を拾い上げようとしたが、その指は柄を掴むことができなくなっていた。
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空也が拳で、反対の掌を強く叩く。
「よっしゃ。槍と貫手は封じた。これで勝てる」
「まだ勝ったわけじゃない」
礼人は自分の興奮を抑えながら、キーボードを叩いて指示を出した。
モニターの中では、ブルー・ヘヴンが膝の装甲の裏側から一丁の銃を抜き取った。銃身が短く、弾も一発しかこめられていないが、至近距離からの威力は保証されている。
ブルー・ヘヴンは単発銃を構えた。
炎邪龍の右腹には折れた刀が残ったままだ。槍を拾い上げられない炎邪龍は、槍を諦めたらしく、ブルー・ヘヴンへと向き直った。一歩進み出た炎邪龍の右脇腹から、機械油が大量に溢れ出た。力を失ったのか、そのまま両膝を地につく。
ブルー・ヘヴンが銃の狙いを炎邪龍の頭部に定めた。単発銃からのとどめの一撃は、なかなか吐き出されなかった。
「どうした? 必ず当たる状態なのにどうして撃たない?」
礼人はキーボードを叩き続けた。が、ブルー・ヘヴンは短銃の引き金にかけた指をまったく動かそうとしない。怜奈や空也からも、不審の声があがった。
時間をかけて立ち上がった炎邪龍は左右に大きくよろめきながら、少しずつブルー・ヘヴンとの間を詰めていく。炎邪龍が、両足をがたがたと震わせながらも、腰を低く落として半身となって構えた。
「動きが止まったぞ。今だ、撃て!」
礼人が、ブルー・ヘヴンの思考ルーティンをすべて攻撃に費やすフェイズへ修正した。命令が伝達されたという感触があった直後、ブルー・ヘヴンは短銃を背後へと投げ捨てた。
「馬鹿な、なにやってんだ?」、礼人は叫びながら、ブルー・ヘヴンの思考ルーティンを別のフェイズへ修正した。その礼人の声に応えるように、マリオネットの統御用コンピュータから耳障りな警告音が吐き出された。
D・POSのモニターではいつもの文字列ではなく、爆発のような閃光が連続的に発生していた。礼人以外のスタッフが慌ただしく機器をいじっているが、異常は続いた。
ブルー・ヘヴンは、片腕の炎邪龍と対をなすように、右腕を腰にためる格好で構える。
礼人は、D・POSのモニターと中継画面のブルー・ヘヴンを見比べながら、驚きとともに考えこんでいた。
「あんな姿勢をとるトレーニングなんて入力していない。まさか、これが父さんの言っていた自律覚醒なのか……」
「釈迦堂くん、どんなトレーニングを施したの?」、怜奈が焦りのまじった声で問う。
「俺にも予測がつかないんだ。ただの暴走じゃないはずだ。全データをちゃんと記録しておいてくれ。特にブルー・ヘヴンの……」
「炎邪龍が動くぞ」
空也の言葉で、全員の視線が中継用のモニターに集中した。
炎邪龍の左腕が、肘から先が回転し始める。腰を大きく捻り、背部の推進機関を吹かすと同時に地を蹴って間合いを一気に詰めた。
炎邪龍は勢いを殺すことなく、左腕をブルー・ヘヴンへと突き出す。と同時に、ブルー・ヘヴンは一歩踏みだし、右の拳を放ちながら自ら炎邪龍の突きにぶつかっていった。
炎邪龍の左腕が伸びきるより先に、ブルー・ヘヴンは顔面でその攻撃を受けとめる。炎邪龍の左腕は、手首のあたりから肘まで潰れ、歪んだ。一瞬遅れて、ブルー・ヘヴンの拳が炎邪龍の顎をとらえた。
ほんのわずかな間の後、炎邪龍が膝を落とすようにしてゆっくりと前に傾いていった。
観客席から歓声が起こり、「ready」の調整小屋でも喜びの言葉が聞こえた。
「いや、まだだ!」、礼人は炎邪龍の両目の力強い光を見逃さなかった。D・POSが反応した証拠だ。炎邪龍はまだ諦めていない。礼人はブルー・ヘヴンを離れさせようとしたが、入力は拒否されたままだ。
「怜奈、強引にブルー・ヘヴンを後退させられないか!」
「原因がわからないのに対応できるわけないでしょう」
怜奈は、組んだ手に顎をのせている。ふてくされてやがる、と礼人は舌打ちした。
炎邪龍は膝がつく直前に地を蹴った。空中で前転する格好となり、遅れてついてきた両足を続けてブルー・ヘヴンの頭部に浴びせかける。ブルー・ヘヴンは炎邪龍の両足をまともに食らった。
「胴回し回転蹴り……マリオネットがやるなんて……あんなのありかよ」、机を強く叩く礼人。
打撃を与えた炎邪龍はガラス片だらけの床を転がって、ブルー・ヘヴンから離れた。ブルー・ヘヴンの頭部は上部が半壊している。D・POSの反応はあるものの、発信器の信号が消失されたと、誰かが告げた。
天井に残っていた大きなシャンデリアのひとつが落ち、燼煙とガラス片を巻き上げた。目から光を失ったブルー・ヘヴンはその場に崩れ落ちる。
そして、炎邪龍がゆっくりと立ちあがった。
試合終了のアナウンスが流れる。観衆から大きな拍手がおくられた。
礼人は、怜奈の鋭い視線に射られているのを感じ、胃が痛くなった。
(つづく)