第15話_マリオネット・サーカス
なだらかな丘陵が遠くにかすみ、手前には薄い緑が一面に広がっている。その奥では、収穫を終えた葡萄園が広がり、風とともにそそぐ雨を浴びていた。
ガロンヌ川に沿う広い道には車が延々と連なっていた。その道は途中で南に折れてまっすぐに伸び、葡萄畑の中にある大広場につながっている。広場には噴水が備えられ、露店が出ている。大道芸人たちの姿も見え、多くの人々で賑わっていた。その大広場から広がった翼のように、宮殿を思わせるルネッサンス様式の薄灰色の壁が長く伸びている。等間隔に浮き彫りの彫刻と交互に設けられた窓では光が照り返している。葡萄畑をつぶして作られたこの場所が、マリオネット・フォーミュラのフランス会場だ。正面入口はパリにある旧オペラ座を模した物で、アポロ像をもつ天蓋、正面の列柱が重い威厳を放っている。入口付近の彫刻や上部にある胸像は、本物の旧オペラ座とは異なり、戦女神であるヴァルキューレをあらわしていた。ここで戦いを繰り広げる機械人形たちを讃えてのことだ。
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会場の調整小屋の並ぶ一画を貫く道を、大型のトラックが進む。幌つきの荷台には大会運営本部の名前と公式スポンサーの宣伝が大きく書かれている。その荷台には礼人や空也たち「ready」のスタッフの姿と、多目的寝台に寝かせられたブルー・ヘヴンがあった。後ろにはもう一台のトラックが続き、コンピュータなどの機材や「ready」の他のスタッフを運んでいた。
トラックは「ready」にあてがわれていた調整小屋の前で止まった。トラックの運転手に急かされた礼人たちがブルー・ヘヴンやすべての機材を下ろすと、トラックは去っていった。
「疲れたぁ。今日の試合もようやく終わったか」
礼人は大きく身体を伸ばした。頭上を覆う鈍色の雲と湿気の多い冷たい風も、試合に勝利した今はとても気持ちのいいものだ。
「仕事はまだ続いているよ」、礼人の言葉に怜奈がこたえた。怜奈は手際よく多目的寝台を調整小屋へと移動させ、機材の配置を指示する。
チームの面々は作業をこなしながら、試合に勝利した喜びを隠すことなく、おしゃべりしていた。が、怜奈が明日の試合に向けて修理をおこなうことを告げると、皆の顔から笑みが消え、真剣なものへと変わった。
「さっきのマリオネットめ……遠距離からちまちまと狙い撃ちするんだから。男ならもっと積極的に攻めてこいっての。なぁ」
空也が語りかける。礼人は、設置されたパソコンの電源を入れ、ケーブルの束をほどいていた。多目的寝台に横たわるブルー・ヘヴンのD・POSからデータを吸い上げるための準備だ。
「勝ったんだからいいだろ。対スナイパー用のトレーニングをやってないのに、うちのブルー・ヘヴンもよくやってくれたよ……ぼろぼろだけどな。修理が大変だ」
「言うな。肉を斬らせて骨を断つ! この傷は男の勲章だ」
傷だらけとなったブルー・ヘヴンの胸部に、空也が頬をすりつける。鈍い音がして、空也が呻きをもらした。六角レンチが空也の足元に落ちる。礼人は六角レンチを拾い上げた。見かけよりも重く、手にずしりときた。六角レンチを空やの頭になげつけたのは怜奈だった。
「遊ぶくらいならどいてなさい。それから、ブルー・ヘヴンを勝手に男にしないこと」
「痛ぇな、刺さったらどうすんだよ!」
「はい、これもって向こうにまわって」
怒声を無視しながら、怜奈は空也にロープを渡す。ブルー・ヘヴンのいる多目的寝台の周囲に取材陣や一般人を近づけさせないようにするためだ。すでに取材陣は調整小屋に集まっていたが、仄香が相手をしていた。例によって和服の両横には、新調した水着姿の美蕾と麗が立っている。二人が掲げている数枚の図解入りのボードは、仄香が記者たちに話す時の資料だった。
礼人と空也が侵入禁止のロープを張り終えると、怜奈が呼んだ。
「釈迦堂くん。本格的な修理はもう少し後だから、休憩しなさい。樒くんもね」
「そうさせてもらうよ」
礼人は素直に従うことにした。今回は事前にトレーニングしていなかった「戦闘エリアにある建物を盾として利用しながら戦う」という思考プログラムを、試合中にブルー・ヘヴンへ入力した。その厳しい作業のため、礼人は疲労しており、目の奥も痛くなっていた。
「俺はあいつみたいに疲れてないぞ」、と空也。
「忙しい時にあなたがいると、邪魔なの」、怜奈は力強く言った。
礼人は調整小屋の隅のテーブルについた。ビールの入っているクーラーボックスを開けかけたが止め、テーブルに用意してあるインスタント・コーヒーをいれた。他にも、手の空いている者は休んでいた。その中には土筆もいる。空也はオレンジジュースを手にしていた。
「おい、もう次の試合が始まってるぞ」
空也が隅のテレビを指差す。調整小屋には実況中継用のテレビが備えつけられている。今映っているのは礼人たちの後の試合----三回戦の第二試合。もうひとつの準々決勝だ。これで勝利したほうのマリオネットと、「ready」のブルー・ヘヴンとが明日対決する。
「ちゃんと録画してるのか?」、礼人はテレビに近づきながら尋ねた。
「任せてくださいって。今日の試合は全部録ってありますよ」、土筆はそう答え、チョコクッキーの箱を開けた。テレビの前のパイプ椅子に置かれたその菓子に、みんなの手が伸びるが、その目は、中継中の試合に向けられていた。
戦っているのは、白を基調とした明るい色の機体と黒い機体だった。白い機体は大型の無限軌道機関をはき、その上に乗った上半身も頑強そうな造りだ。両肩には二連式のバズーカが対となって装備され、太い腕はガトリング砲と一体になっている。
「ホワイト・ストーム」、画面に映し出された機体紹介にはそう記されていた。
それに対して、黒い機体は二足二手でありながらブルー・ヘヴンよりも細身で、目立つ武器といえば身長の倍はありそうな長槍だけだ。華奢だが、そこには脆さよりもしなやかな狼にも似た獰猛さを感じさせる。
「炎邪龍」、それが、紅の龍の紋章を左胸に彫りこまれた黒い機体の名称だ。
試合の舞台は、会場内に建造された市街区だ。フランスの町並みだけでなく、有名な建造物も再現されている。
高いビルの間を抜けた二体のマリオネットは広い道に出た。両側に木々が立ち並ぶ、フォッシュ通りだ。一直線に伸びた通りを、炎邪龍は走り始めた。ホワイト・ストームが追う。ホワイト・ストームの腕と肩の砲身が火を噴いた。
「こりゃもう勝負は決まったな。あんな物干し竿で相手になるかよ」
「うちのにはどう戦わせればいいかな」
そんな言葉を交わす空也と礼人。
迫ってくる白煙や銃弾が炎邪龍を捉えると思われたその瞬間、炎邪龍が消えた----ように見えた。実際には、さらに加速したその動きに、中継用のカメラが対応できなかっただけだ。
炎邪龍は横に移動し、銃弾の火線上から逃れた。目標を見失った砲弾が道路に命中し、爆発する。爆風で、そばの木々が大きく傾いた。ホワイト・ストームは砲撃を続けるが、一発も炎邪龍に当たらない。黒い影はまるで疾風のように優雅に、後ろから追ってくる火線の中を駆け抜けていく。
「すげぇ……弾丸よりも速いんじゃないのか」、誰かが感嘆の呻きをもらす。そんな錯覚を起こさせる、脅威的なスピードだった。
「補助推進機もなしでかよ。どんな構造になってんだ」
黒い影は、広場に行き着いた。一二本の通りが集うシャルル・ド・ゴール・エトワール広場だ。その中央には、凱旋門がある。門の四面には、ナポレオンの勝利を物語る浮き彫りが施されていた。
「あんなに広い空間だと、機動力でごまかすこともできないな。どう戦う?」
もしブルー・ヘヴンであれば、他の通りに入りこんで、建物を遮蔽物として利用させながら持久戦にもちこませるだろう。礼人はそう自問自答した。
炎邪龍は勢いを殺すことなく、地を蹴って宙に舞い上がった。驚異的な跳躍力だが、このままでは間違いなく凱旋門のアーチの横に激突する。
「飛び越えようなんて無理だ。四七メートルもあるんだぞ」
空也が言う。礼人が頷いた直後、炎邪龍は長い槍を凱旋門の壁面に突き立てた。炎邪龍が重力に引かれ、槍の柄がしなる。槍の柄が元に戻ろうとする動きにあわせて、炎邪龍は壁面を蹴った。槍の反動とあわせて虚空に浮いた炎邪龍の背中から、巨大な炎の龍が噴き出された。紅色の龍に押し上げられ、炎邪龍は宙を描け上っていく。
「マリオネットが飛んだ?」
礼人は呻いた。よほどの軽量化と、効率のいい推進機の開発に成功しなければ無理な芸当だ。
炎邪龍は凱旋門の頂上に着地した。端のぎりぎりの位置に立って見下ろすその姿には優雅さと余裕が感じられる。
ホワイト・ストームは凱旋門の麓から、遥か上方にいる相手を仰いでいる。ホワイト・ストームの重量では炎邪龍の位置まで行けないだろう。飛び道具ならば狙えるだろうが、命中率が極端に低くなりそうだ。
「槍は門に刺さったままだし。どうやって決着をつけるつもりだろう」
礼人が腕組みして考えていると、ホワイト・ストームが先に動いた。後退しながら両肩のバズーカ砲をぶっ放し、ガトリング砲を連射する。狙いは上空ではなく、正面だった。
凱旋門の足で炎がはじけ、無数の穴がうがたれていく。爆風と煙がたちこめる中、門の壁面に亀裂が生じた。片足が砕け、門が大きく傾く。ホワイト・ストームは砲撃を続けた。濃くなっていった煙は陽の光をさえぎり、門を覆い隠す。
砲撃の嵐は唐突に止んだ。風に流されて薄らいでいく煙幕の中に、門の影は浮かび上がらない。ただ瓦礫が山となって積みあげられているだけだ。
「黒い奴がいないな。ふきとばされたのか?」
中継用のカメラが素早く動き回り、周辺の様子を次々に映し出していく。カメラのひとつが、影を捉えた。ホワイト・ストームも、相手の発信器信号を受信したらしく、顔を上げる。
上空から逆光を背にして、人影が舞い降りてくる。人影----炎邪龍はホワイト・ストームの背後に着地した。炎邪龍は動きを止めることなく、左腕で貫手を放つ。四指を張り伸ばした左腕の肘から先が高速で回転し、ホワイト・ストームの背中に深く刺さった。
ホワイト・ストームの無限軌道機関が唸りをあげ、炎邪龍から離れる。ホワイト・ストームがガトリング砲を構えながら上半身を炎邪龍へと向ける前に、炎邪龍は間合いを詰めていた。相手の懐に潜りこんだ炎邪龍が横蹴りを出す。それはホワイト・ストームの顔面を捉えた。蹴り飛ばされたホワイト・ストームの頭部は、大きな弧を描き、広場の端に落ちた。ボールのように転がるホワイト・ストームの頭部が止まってから、試合終了の放送が流れた。
テレビ画面越しと、近くの観客席から、歓声が届く。その熱い声とは対照的に、礼人は悪寒を感じていた。
「マジかよ……」
「よくあんなマリオネットを造り上げたなぁ。損傷しやすい格闘技なんかより銃火器をもたせたほうが試合向きだろうに」、誰かが言った。
「あの動き……あんな完成された蹴り技をトレーニングさせるなんて不可能だぞ」
礼人は唇を軽く噛んだ。炎邪龍の蹴りは、それまで見てきた他のマリオネットのような無意味に大振りな蹴りではなく、本物の武術家のような見事なものだった。
「----君たちには、だろ」
自信たっぷりな物言いの、聞き覚えのない男の声がした。英語だった。
調整小屋の中に、礼人の知らない男女の姿がある。女は礼人と同じ年代くらいの東洋系。男は金髪と灰色がかった瞳をもった欧米系で、三十代前後というところか。
「ずいぶんと質素な環境ね。よくこれで準決勝まで進めたものだわ」
床にまで届いてしまいそうなほどに長い髪を後ろで編んでいる女が調整小屋を見回す。細身のパンツに派手なニットを着ている。二人ともおそろいのハーフコートを羽織っていた。体格のいい男のほうは堂々と、張られているロープをくぐってきた。
「あんたたち、プレス関係ならあっちの集まりのほうへ」、その二人の近くにいた者が仄香のほうを指差すが、金髪の男は気にした様子もなかった。何者だろう、と礼人が訝しがっていると、男はブルー・ヘヴンに手を伸ばした。礼人と空也が大声をあげる。
「ずいぶんとボロボロだな。明日には完璧に仕上げておいてくれよ。不戦勝はご免だからな」
「なに勝手に触ろうとしてんだ。こいつは俺のだぞ」
「いや、お前のものじゃないんだけど」
空也の言葉に礼人は異を唱え、関係ないやつはここから出ていってくれと金髪の男に告げた。
「明日の対戦相手に向かって、関係ないとはご挨拶だな」
礼人は、相手の英語を聞き違えたのかと思った。炎邪龍の試合は今終わったばかりだ。そのチームのメンバーが、試合そっちのけでこんな場所にいるとは考えられなかった。
礼人たちの様子を目にした記者団がざわつき始める。カメラマンの何人かは礼人たちに向けてフラッシュをたいた。彼らの話している声から、礼人は目の前の男が本当に炎邪龍のチームのメンバーだと確信できた。
礼人は立つ位置をわずかに移動し、ブルー・ヘヴンの盾になろうとした。礼人の考えに気づいたのか空也が隣りに立つ。
「自分たちのチームの応援にいかないなんてずいぶんと余裕なんだな。敵状視察ってわけか」、礼人は言った。
「とんでもない。炎邪龍のトレーナーとして挨拶だけはしておこうと思ってね。俺はアルディ、こっちは皐月鈴だ」
金髪の男に紹介されると女は微笑みながら手をふり、日本語でこたえた。
「本名は皐月鈴っていうんだけどね。日本人同士だけど、チームとしては敵になるから」
皐月鈴が右手を差し出すと、こちらこそと空也が握手しようとした。
「なれ合わないほうがいいぞ」、礼人が言う前に、冷却スプレーの缶が空也の後頭部を直撃した。封も切られていない一リットル缶がごろごろと床を転がる。空也は後頭部を抱えたまま、その場にうずくまってしまった。涙目になっている。あまりの痛さに声も出せないようだ。
「休憩は許可したけど、遊んでいいとは言っていない」、怜奈がスプレー缶を拾い上げ、アルディと皐月鈴を冷たく一瞥した。「わたしたちは調整中なの。相手をしてさしあげる時間はない」
怜奈はそれだけ言うと背を向け、多目的寝台のブルー・ヘヴンの肩の装甲を取り外し始めた。
「なに、あの女。感じわるぅ」、皐月鈴が、相手に届くように言い、口をとがらせた。
「そ、そうか。邪魔して悪かったな。戻ろう、皐月鈴」
アルディが連れを促し、早足で調整小屋を去ろうとする。皐月鈴は早い英語でなにか文句を言いながら、アルディを追いかけていった。
「なんだ、あいつ。妙にびくびくしやがって」
最初の態度とはえらい違いだ、などと礼人が考えていると、仄香が取材に応じる時間の終了を告げた。仄香は穏やかな、しかし、拒否を許さない口調で、取材陣や無関係な人々へ調整小屋の外へ出るように言う。チームの一人が調整小屋のシャッターをおろし始めた。これから、ミーティングやブルー・ヘヴンの本格的な修理が始まるのだ。
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「せっかく雲がないってのに、星が見えやしない」
礼人は呟き、腕時計を見た。時刻は夜の11時半すぎ。端の欠けた月が頭上高くに位置している。昼間よりは出店の数も減っているが、出歩く人々は少なくない。会場中を皎々と照らす路燈のおかげでお祭り的な賑やかさは続いている。
うかれ騒いでいる人々だけではない。明日以降の本戦やバトルロイヤルに出場するのであろう、チーム名の入った上着を着た者たちの姿も認められる。調整小屋を使わせてもらえないチームのトレーラーのあたりには慌ただしさと緊張した空気が漂っていた。
「昼間とたいして変わらないな。マリオネット・サーカスってよく名付けたもんだ」
礼人はあたりを見渡しながら、マリオネットのおさめられた大型トレーラーの列が続く大きな通りを早足で進んでいった。
そこかしこのチームの人々が礼人のほうを、羨望と妬みのまじった視線で一瞥する。礼人の着ているブルゾンに見える「ready」の名前のせいだ。本戦に参加しているチームの名前は、多くの人々に知られている。
「まさか、からまれたりしないよな」
礼人は、チームの借りた会場内のホテルから調整小屋へと戻る途中だった。ホテルでのミーティングの後、明日の試合に備えて最後の調整を考えるためだ。
「夜食を買っておくか。頭使うと腹も減る」
調整小屋の並ぶ区画の手前で、礼人は屋台を目で物色した。お好み焼きや焼きそばでもあればいいのだが、ここは海外の会場だ。そんな日本的な物にはそうそうめぐりあえない。土筆ならばすぐに見つけるだろうけど、と礼人は苦笑した。
しばらく探していると、香ばしい匂いが礼人の鼻を刺激した。肉を焼く匂いだけでなく、ビールを思わせるものも混じっている。礼人は鼻をひくつかせながら、匂いをたどっていった。その先には、小さなトラックを改造した屋台があった。メニューの文字や並べてあるビールの銘柄から、ドイツ料理の屋台だとわかった。
「ソーセージのザウアークラウト添えに、豚肉のビールステーキか。日本料理じゃないけど、ま、いっか」
よだれを飲みこんだ礼人は、カウンターの内側で肉を焼いている店員に英語で話しかけた。注文を受けて顔をあげた店員を見て、礼人は驚きの声をあげた。エプロン姿の店員は、昼間に礼人たちの前にあらわれたアルディだった。
「あんた、こんな所でなにしてんだよ。明日は試合だろ」
「親戚から店番頼まれてな。はいよ。ソーセージ、おまけしといたからな。うちのはうまいぞ、チューリンゲンで一番だ」
慣れた手つきで応対し、代金を受け取るアルディの笑顔に、礼人は拍子抜けした。礼人は渡されたスチロール製容器を抱えながら、うさんくさそうにアルディを見た。
「下剤でも入れてあるんじゃないだろうな」
表情から礼人がなにを考えているか悟ったのか、アルディは苦笑した。
「心配しなさんな。看板を辱めるようなことはしないよ。
どうせマリオネットの調整は終わってないのだろう。それを食って頑張りな」
「余裕かましやがって。後悔しても知らないぞ」
「できるものならさせてみな。俺たちの炎邪龍を楽しませてくれよ」
アルディの苦笑が、邪気のない笑みに変わる。礼人はアルディの瞳の中に、同じトレーナーとしての自負心と素直な競争心を認めた。それがわかった途端、礼人は口元がゆるみそうになったが、「ああ。嫌になるぐらいにな」、なんとなく悔しかったので、礼人は言いながらアルディに背を向けた。そのまま去っていこうとすると、アルディに呼び止められた。
「怜奈はおまえたちのチームに入ってからどれくらいになるんだ」
変なことを訊くんだな、と礼人は思いつつも素直に答えた。
「俺が入った時にはもういたからなぁ。よく知らないけど、二年はたっているはずだ。怜奈がどうかしたのか?」
「いや、気にしないでくれ。知り合いに似ていただけだから。じゃあな、明日はいい試合をやろう」
安堵と焦りが半分ずつのようなアルディだった。不思議に思った礼人は追求しようとしたが、別の客がアルディの店の前に立ったので、言葉をかける機会を逃した。
アルディが空くまで待とうとしたが、携帯電話の呼び出し音が鳴った。空也からの、早く調整小屋に来いという催促だった。
時計を見ると、零時を大きく回っていた。炎邪龍との試合まで、残り一○時間を切っている。礼人はアルディのことは忘れることにして、調整小屋へ急ぐことにした。
マリオネット・フォーミュラの夜は消えることのない明かりをまとったまま、様々な人々を抱いたまま、眠ることなく更けていく----
(つづく)