第14話_資金難
壁掛け時計からでてきた鳩が鳴き、午後三時を告げた。入ってくる陽射しは弱く、もうすぐ暖房が必要であることを感じさせる。
閉めた窓の外では濃い煙が空にのぼっている。直立不動の姿勢の礼人は横目で煙を追った。
「美蕾と土筆ちゃんが落ち葉を集めていたっけ」、そんなことを思いながら、視線を正面に戻す。
執務机には、淡い紅色になった酔芙蓉が活けてある。師範の免状をもつ仄香によるものらしいが、その活けかたが良いのか悪いのか、礼人には判断がつかない。
酔芙蓉の向こう側では、長袖のスーツに身を包んだ久梨奈が執務机で、書類束をめくっていた。何度も手を止めては唸りのようなため息をもらし、眉間に皺をよせる。
礼人は、横に立っている空也に肘でつつかれた。その顔は「お前から話しかけろ」と言っている。礼人は首を小さく横に振った。
扉がノックされ、久梨奈は入室を促した。扉を開けて入ってきたのは麗だ。久梨奈の手が、執務机に置いてあった羊羹に伸びる。櫛に刺さった羊羹を久梨奈が口に入れたその時に、礼人は思い切って口を開いた。
「監督! あの……前に渡しておいた企画書のことは……」
せきこみ始める久梨奈。待て、と言いたそうに手をかざし、苦しそうに胸を叩いている。
礼人が謝った後、久梨奈は湯飲みに注いであった茶を一気に飲み干した。久梨奈は肩の力を抜くようにして身体を椅子へ預け、礼人を見上げた。
「マリオネット開発の企画案のことね。ざっと見積もって二○○○万。もう少し低い額で提出してくれるかと思っていたけど……そんなお金がどこから沸いてくるの」
「でも、二か月前に話した時にはオーナーたちにかけあってくれるって……なぁ、空也」
礼人は背後に助けを求めた。空也は力強く何度も頷いた。
「できないものはできないの。二人の熱意はわかるけど、期待にそえなくてごめんなさい」
同情してくれているのか、悲しそうな表情となる久梨奈だったが、
「で、なにかしら?」
その言葉とともに姿勢を正し、麗に尋ねた。
麗が進み出てきたので、礼人は久梨奈の正面の位置を譲った。麗は紙束をはさみとめた書類ボードを久梨奈に差し出した。
「次の大会の遠征予算案と先月の収支をまとめました。明後日までに確認印をお願いします」
「わかったわ。上半期の決算報告書は今月中にね。オーナーたちがうるさくて」
「本戦に出場できているのに、ですか」
「本戦出場でどれだけお金が必要になるのか、これまで考えていなかったみたい」
「どう転んでも文句を言われるんですね。
その決算報告書のことで、どう書けばいいか判断しかねる部分があるんですが、打ち合わせをお願いできますか」
「いいわよ。今やりましょうか。
はい。あなたたちも仕事に戻る。さっきの件については、わたしももう一度考えてみるから」
隙をついて話を続けようとする礼人と空也だったが、久梨奈に厳しく見据えられ、その場は退散するしかなかった。
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「----却下。俺とおまえの貯金で、どこの株が買えるってんだ」
礼人は、空也の案の問題点を指摘し、二つ目の焼き芋を手に取った。事務室の机には新聞が広げられ、焼き芋が積み上げられている。土筆と美蕾が集めた落ち葉で焼いたものだ。美蕾が、仄香の食べかたを参考にして、焼き芋の皮をぎこちなく剥いている。
「ただいまぁ、みんなにもおすそわけしてきたよ」
土筆が空のカゴをぶらさげ、事務室の出入口に姿を見せた。土筆は仄香と美蕾を見るなり、二人のそばに駆け寄った。
「違う違う。これはそのままかぶりつくもんなの」と、美蕾を勢い良く指差し、コゲの多い焼き芋のひとつにかぶりついた。そのまま一気に口の中に押しこんで、飲みこもうとする土筆。だが、喉につまったらしく、顔を真っ赤にして、仄香の机から湯飲みを奪った。二杯目、三杯目を仄香に注いでもらっている土筆から、礼人は意識を空也との話に戻した。
「うちの家を担保にして金を借りるってのはあるけど」
「馬鹿だな、礼人。克華さんが許すと思うか?」
「そうだよなぁ」
礼人は腕を組みなおし、唸った。空也は机につっぷし、窓の外を眺めながら頭をかいている。
礼人と空也は答えを見つけられないまま悩み続けた。マリオネットの開発資金を調達するための方法を模索しているといえば聞こえはいいが、発想が貧弱な二人ではろくな案が出てこない。一人が提案したものを片方が却下することの繰り返しで、時間は刻々とすぎていった。窓の外には濃い紫色の幕がおりている。業務時間も終わり、帰宅する者の声も聞こえていた。
事務室には礼人と空也の他に、美蕾と土筆、仄香の三人がいたが、三人とも帰る様子がなかった。美蕾は土筆の一方的なおしゃべりを聞いており、仄香にいたっては琴の調律をする始末だ。その琴は仄香が持ってきた物で、昼の休憩時間や急ぎの仕事がない時によく弾いていた。
「やっぱ俺たちだけじゃ無理かな」
そう考えた礼人が、他の面子にも協力を仰ごうとした時、廊下へと続くドアが開いた。
「いたいた。その暗い様子じゃあ、あたしに借りを作ることになりそうね」
麗がヒールを鳴らしながら、近寄ってくる。彼女の手にはぶ厚い本が抱えられていた。電話帳ほどの厚さはあるその本が、重い音とともに礼人と空也の間の机の上に置かれた。空也が興味深げにページをめくる。
「うぇっ、字が小さくて目がちかちかするし、漢字ばっかりで読みにくい。なにこれ?」
「契約書とチーム運営規約書よ。喜びなさい。スポンサーを募集する方法がひとつだけ見つかったわ」
「本当かよ」
喜びと疑念が入り交じった礼人の言葉に、麗は自信たっぷりに頷いた。麗の答えは「広告主を探せばいい」というものだった。
「礼人と俺だってそれぐらい思いついたさ。けど、広告を出す権利はオーナーたちに限られているんだ。許してもらえるとは思えないよ」
「ここのところをよぉく読みなさい。チームの出資者であるオーナーたちに与えられる広告権利はマリオネット本体のみとなっているの。つまり、ブルー・ヘヴンそのものにスポンサーの名前を書くのでなければ問題はないわけよ」
礼人は身を乗り出し、麗の細い指が差している条項に目を通した。契約に関する法律の専門語が多いため完全には理解できなかったが、麗の主張を裏づけるようなことが書いてある。
「よし、これでいこう! 助かったぜ、麗さん」
「お礼ならねぇ、ちょうど欲しい冬物の新作コートがあるんだけど……」
「でも、みつかるかな。二○○○万円なんでしょ。ピンとこないけど」
麗のねだりを、土筆がさえぎった。甘えるようだった麗の表情は、険しいものとなって土筆に向けられた。
「大金なんですか?」と美蕾が土筆に向かって尋ねた。礼人と空也、土筆はそろって何度も首を縦に振った。そんな中、麗だけは自信満々といった様子で「まかせなさい」と言い放った。
「おおっ、どこか心当たりがあるんだ。さっすが!」
礼人と空也は感嘆の声をあげ、大きな拍手を送った。
「珍しい。麗がやる気になっている」、茶化す土筆。
「困った時はみんなで協力しなくちゃ。こっちには有能な人材がいるんだから。ねぇ、仄香」
勝ち誇った笑みをうかべた麗が、仄香に話を振る。
色の濃い和服を着た仄香は顔を上げ、
「なにかおっしゃいました?」
大きな目をしばたたかせながら弦を弾き、高い音を響かせた。
(つづく)