第13話_夏の終わり
天井のシャンデリアの煌めきが、人々の身につけられた宝石の上で強く照り返す。
集まった人々はほとんどが正装で、自分の母国の民族衣装をまとっている者もいる。面立ちや肌の色、話されている言葉は多様で、今いる国がインドであることを忘れさせるほどだ。
設けられた舞台では弦楽器シタールやタブラにムリダンガム、バンスーリにハルモニウムといった楽器が奏でられている。別の舞台ではオリッシーを踊る女性たちの姿が見られる。腰や膝を曲げた中腰の姿勢で舞われるその踊りは優雅なものだった。
マリオネット・フォーミュラ本トーナメント第一戦は終了し、運営本部主催の、関係者たちを集めたパーティがおこなわれていた。かつての藩王の宮殿の一室をそのまま利用した会場は豪華で広く、調度品や壁にかかった歴代藩王の肖像が中世の空気を漂わせている。ターバンを巻いた白服の給仕人たちが招待客の間を歩き、新たな料理や飲み物を次々と運んできていた。
「あ、こっちこっち。伊勢エビのテルミドール、一回食べてみたかったんだ」
土筆が手をあげ、給仕人から大きな盛りつけ皿を強引に奪う。土筆の着ているパンツシルエットのスーツはややだぶついていたが、礼服としての役目は立派に果たしている。
「恥ずかしいわね。豚になるわよ」、ワイングラス片手に麗は言う。
「食べ盛りだからいいんだもん。ま、なんといっても若いから」
「ガキってことね」
土筆と麗から離れた場所では、礼人と空也が数人の雑誌記者の取材を受けていた。そばに仄香がついているが、和服姿はこの会場でも珍しい。通りがかった人々が興味津々で話しかけてくるので、仄香は丁寧に相手をしており、礼人や空也の通訳がおろそかになっていた。礼人と空也は慣れない英語ながら、記者の質問に答えていた。
ブルー・ヘヴンは三回戦で敗退した。二回戦の相手はブルー・ヘヴン以上にボロボロで、修理したブルー・ヘヴンとまともに戦うことすらできなかった。その後の三回戦では、ブルー・ヘヴンは五分ともたずに発信器を破壊された。
「全三二チーム中五位、と本戦初参加にしては上出来だね。それについてなにか一言」
取材者の質問に対し、「ま、当然だな」と空也は必要以上に自信たっぷりに答えた。取材はその後、ブルー・ヘヴンの構成ユニットやトレーニング・プログラムに及んだ。マニア向けの雑誌では、市販型マリオネットの改造アイデアとして、フォーミュラ参加チームの記事を載せることもある。礼人は秘密事項に触れないように気を遣った。
ひとしきり取材が終了し、解放された礼人と空也が料理を胃に流しこんでいると、一人の紳士が話しかけてきた。やや後ろについた二人の若者は、鋭い視線で周囲を気にしていた。
空也はテーブルの上の物を品定めするのに忙しく、相手をろくに見ようとしない。空也がそんな調子なので、礼人が対処するしかなかった。
「readyのスタッフだね。私はK・H・Iの責任者を務めている八霞癸矢という。我が社のマリオネットが迷惑をかけた件で、そちらの責任者と直接話がしたいのだが」
「あの阿修羅を作った……なんの用です?」
「あのガラクタの生みの親だって!」
空也が口の中に物を入れたまま、癸矢に詰め寄る。二人の若者が、癸矢を守るようにして空也をさえぎった。
「よせ」、癸矢の鋭い叱責がとぶ。二人の護衛は後ろに退いた。空也はまだ怒りがおさまっていないようだった。礼人は空也の肩を力一杯つかみ、空也が癸矢にくってかかるのを防いだ。
「痛ぇな、なにすんだよ、礼人」
「やめとけって。後々めんどうなことになるから」
「……君は確か、試合の時に外にいた中の一人だね。名前は?」
礼人は名前と、「ready」のマリオネット・トレーナーであることを告げた。丁寧な口調だが、目の前の男に対しての反発心を隠すことはできなかった。
「釈迦堂? もしや釈迦堂轟という人物に心当たりがないか?」
「轟は俺の父です。父はまだK・H・Iで働いているんですか?」
「いや。昨年の暮れに研究部を辞めたはずだが。なにも聞いてないのかね?」
不審がる癸矢。礼人は「ええ、まあ」と曖昧な返事をした。
「空也さぁん、もうインタビュー終わったんですか」
土筆が、空になりかけたワイングラスを手にしてやってくる。後ろには美蕾もついていた。美蕾は礼人のほうに歩いてきた。
「君だね。報告は受けている。恐い思いをさせてすまなかった」
美蕾の顔を見るなり、癸矢は頭をわずかに下げた。美蕾は記憶の底を探るかのように癸矢を眺めていたが、なにかに思い当たったかのように目を見開くと礼人の背後に隠れた。礼人のスーツにしがみつき、震える小声で何事かを呟いている。
「大丈夫だよ。この人は謝りにきただけだし、俺もついているから」
涙をこぼす美蕾の髪を優しくなでる礼人。なかなか泣き止む気配がなかった。
「私がいないほうがよさそうだ。今日のところは失礼するよ。改めて謝罪にうかがうとしよう」、癸矢が言う。
「できれば美蕾の前に姿をみせないようにしてくれ」
癸矢は頷き、礼人と美蕾に背を向け、去っていった。
近くの舞台での楽団の演奏が終了し、大きな拍手が起こった。
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月の光を浴びる雑草だらけの土地に、例年よりも早い鈴虫の鳴き声が静かに響きわたる。
海に囲まれた敷地に建つ「ready」の事務所。一か所だけ明かりがついていた。
事務室の机で電卓を素早くはじく麗。一連の長い計算を終了すると、書類に数字を書きこみ、日付入りの印鑑を押した。その書類を左脇の紙束の上に置く。右側には、まだ処理の終わっていない書類が高く積み上げられていた。
「あー、もう駄目。泊まり決定だわ」
腕時計の時針は終電の時刻を指している。麗は背を伸ばし、肩をたたいた。
どうせ泊まりならば急ぐ必要もない。一息つこうと考えて席を立つと、視線を感じた。廊下へと続く扉が開けられており、美蕾が立っている。
「おどかさないでよ。帰ったんじゃなかったの?」
美蕾は「コーヒー、煎れてください」と告げた。質問に答えず、いきなりそんなことを頼む美蕾に麗は反感を覚えた。
「自分で煎れればいいじゃない。なんであたしがやらないといけないの」
美蕾は少しの間うなだれていたが、
「きて、ください」
意を決したようにきっぱりと口にした。
麗は書類作業に戻ろうとしたが、美蕾がその場から動こうとしないので、ため息混じりに首の後ろを揉んだ。
「まだ仕事が残ってるんだから、そんなにつきあってあげられないわよ」
廊下の照明は必要最低限の非常灯しか灯されていない。静けさの中、美蕾と麗の靴音だけが響いた。黙って先をいく美蕾に連れていかれたのは、ガレージだ。事務室のある棟とつながったドアのガラスから光がもれている。
「あの馬鹿組もまだ帰ってなかったんだ」
美蕾がドアを静かに開け、麗も中に入った。冷房が弱めにかけてある。ガレージの中では、横たえられたブルー・ヘヴンのすぐそばで、礼人がパソコンのキーボードを相手にしている。礼人の周りには大きなバツ印のついた紙が散乱していた。一画にある作業台では、ケーブルと部品の山を布団代わりにした空也が大の字になって眠っていた。
「こいつも駄目だ」
礼人は苛立たしげに言うと、手元にあった紙束に赤ペンでバツを乱暴に書き、捨てるようにして机から払い落とした。その礼人が、麗と美蕾に気づいた。
「早く帰らないと終電がなくなるぞ。今日は姉さんがいるから、俺が帰らなくても大丈夫だろ」
礼人は二人を一瞥しただけで、再びパソコンのモニターに集中した。脇にあった新たな書類束とモニターを交互に見比べながら、ペンで書類になにかを書きこんでいる。
「次の試合までひと月以上もあるんだから。なにも今日、こんな遅くまで仕事をしなくてもいいんじゃない。この子のお守りは釈迦堂くんの役目でしょ」
呆れかえった麗の言葉に、礼人はなにも返さない。トレーニングプログラムの修正に没頭しきっている。
「見直していいんだか、悪いんだか。あんたも大変ね」
麗は額ににじんできた汗をハンカチでおさえながら言った。美蕾は礼人とブルー・ヘヴンを見つめたままだ。麗は観念し、長い息をはいた。
「きなさい、美味しいコーヒーの煎れかたを伝授してあげる。土筆が買い置きしてるケーキがあったはずだから、それも二人で食べましょ」
麗が片目をつむってうながすと、美蕾は表情を変えることなく頷いた。
「でも、残っていたのが仄香じゃなくてあたしで、本っ当に良かったわね」
給湯室に向かう途中、麗は強い調子で口にしたが、美蕾は首をわずかに傾けるだけだった。
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マリオネット・フォーミュラ2028年度、第二戦終了----
チーム「ready」の成績、三回戦出場。二ポイント獲得。
フォーミュラはまだ始まったばかりだ。
(つづく)