第11話_マリオネット・クィーン
インド大陸北東部。ジャムナー川のほとりの平原地帯に、首都デリーは広がっている。雑然とした旧市街地、整然とした新市街地、ジャムナー川沿いに連なる遺跡群は混然とした活気を町並みに与えている。
デリーから遠く離れたタール砂漠を望む場所に、マリオネット・フォーミュラのインド地区会場は設営されていた。正面入口にはタージ・マハルを思わせるムガール様式の巨大な門がそびえ、建材の大理石は陽の光を受けて静かな威厳を纏っている。
ラピスラズリにトルコ石、マラカイトといった貴石を用いられた象眼細工はところどころが削り取られ、土台である大理石や石鹸石が剥きだしとなっている。マリオネット・フォーミュラに訪れた者たちのごく一部の仕業だ。
本戦に対応した会場が予選と大きく異なっている点は、全三二チームに調整小屋が用意されていることだ。自分たちが機材を運び入れなければただのガレージだが、試合の直前まで調整をおこなうことができる。調整小屋はお互いの干渉を防ぐため、間隔をおいて会場周辺に配置されている。一般の観客は入れない区域だが、許可を受けた報道陣や安くない調整小屋入場料を支払って許可証をもらった者は別だ。
「ready」の調整小屋にも、チーム関係者ではない人間の顔が多くあった。
多目的寝台上のブルー・ヘヴンはすべての装甲を取り払われ、内部の機械骨格があらわになっている。礼人や空也を始めとするスタッフたちはブルー・ヘヴンやコンピュータ機器にとりつき、忙しく動き回っていた。調整小屋の一画では、怜奈が数人に指示を出している。彼女の前には、ブルー・ヘヴンの武器が置かれ、それらを検査する大会運営委員の姿があった。
取材陣の一人がマイクを差し出す。
「いきなり優賞候補とあたるんだけど、どう? 緊張している?」
「うるせぇな、自分で考えな。こっちはそれどころじゃないんだ」、と空也。
「土筆ちゃん、右肘のジャイロギアと腹部用のBT3、もってきて」
間近でたかれたカメラのフラッシュに礼人は目を細め、大声で言った。取材者や一般客が集まっていて騒々しいため、普通の声では届かない。
「今組んでます。誰か、手の空いてる人、手伝って」
組上がったジャイロギアとBT3を、礼人は土筆から受け取ろうとした。取材記者の一人が、横からそれらを取る。雑誌に載せるための写真を撮るつもりだ。
「勝手に触んな!」、奪い返す礼人。本戦初出場のチームだからか、取材陣の態度はやけに横柄だ。
「仄香はどこ? 記者たちをおとなしくさせるよう、誰か探してきて」、怜奈の声にも苛立ちがにじんでいる。
記者たちの一部がざわつき、カメラのレンズが一か所へ向けられる。ようやく仄香が姿を見せたか、と礼人は手を休めずに視線だけを投げ、唖然となった。
あらわれたのは仄香ではなく、美蕾と麗だ。二人とも露出度の高いワンピース型の水着に身を包んでいる。「ready」のロゴとチームスポンサーの宣伝が入った派手な日傘を、カメラにうつりやすいように持っている。
礼人は手を滑らせ、部品を落としてしまった。
「こら、なにボーッとしてんだ。時間がないんだぞ」、空也が礼人の耳をひっぱり、早口で言う。礼人は部品を拾い上げ、組み直した。
小さな部品を合わせてネジで締めながら、礼人は横目で何度も美蕾を盗み見た。記者たちを一か所に集めて、まとめて仄香が質問に答えている。
美蕾と麗は仄香の両脇に立っていた。和服と水着のとりあわせには違和感があったが、原色がふんだんに配られた水着は調整小屋に華をそえる。
「いくら美蕾を同行させるためとはいえ……マリオネット・クィーンはないだろ」
礼人は複雑な味のする苦いものを噛み潰した。
マリオネット・クィーン。それは無骨で粗野な喧嘩にすぎないマリオネット・フォーミュラとその会場に華やかさを与える女性達のことだ。水着姿である必要はないのだが、レース・クィーンからの伝統か、ほとんどのチームが水着を使っている。
「美蕾は見せ物じゃないっての」
そんな反感を抱きながらも、つい目が美蕾のほうへいってしまう。はっきりと描かれた美蕾の身体の線は均整がとれていた。最初に会った時から胸も大きくなったように思える。
「いかんいかん。なに考えてるんだ、俺は。俺はあの子の保護者なんだぞ」
礼人は頭を激しく振り、やましい気持ちを払おうとした。自信たっぷりに笑顔を振りまいている麗と違い、美蕾の表情は硬い。それでも以前の無表情よりはずいぶんといい。
「アッセンブラ業務完了。これ、最後の部品です。でも、なんですか、これ? 今まで見たことのない部品ですけど」
土筆が興味津々といった様子で空也に尋ねる。空也はその小さな部品をブルー・ヘヴンの頭部に取りつけながら答えた。
「ブルー・ヘヴンに組みこんであるD・POSのブースター。伝達系統の補助をおこなってくれるんだ。バッテリーの消耗が激しいのが問題だけど」
「本当に大丈夫なのか。まだ第二試作版だろ。」
疑う礼人。第一試作版ではバグもなく、充分な成果をあげたが、第二試作版が改良されているとは限らない。作成者が空也ならばなおさら不安だ。
「心配すんなって。怜奈のチェックも受けてるんだから」
怜奈の名前があがったことで、礼人も納得した。手堅い彼女がからんでいるならば、それほど大きな問題はないはずだ。
ブルー・ヘヴンの最終調整も終わり、あとは装甲を固定するだけとなった。礼人はメカニックの一人に場所をゆずった。
仄香の周りに集まっていた記者たちもちらほらと移動を始めていた。フォーミュラ本戦の参加チームは「ready」だけではない。本戦初参加の弱小チームにいつまでも時間を割いていられるほど暇ではないのだろう。
記者の一人が仄香を無視し、美蕾に声をかけた。日本人ではなかったが、日本語だ。
「予選の時、K・H・Iのマリオネット、阿修羅が暴走した場所にいましたよね。どうでした、マリオネットの攻撃が自分に向けられた時の感想は?」
美蕾の顔が強張る。その瞳には怯えの光が宿っていた。礼人は、美蕾の前に割りこんだ。
「感想が知りたきゃ、発信器をつけて試合場に放りだしてやろうか」
礼人が低い声で凄むと、その記者は「答えたくなければいいんですよ」と引き下がった。礼人の声に驚いて静まり返った記者たちに、「おまえらもどっかへいけ。調整小屋でうろうろされると目障りなんだよ」と礼人は乱暴な言葉をぶつけた。日本語が通じなくても、礼人の態度から、言っていることは理解できたはずだ。不満を口にしながらも記者たちは解散していく。
「あーあ、マスコミを怒らせちゃった。知らないわよ。雑誌になんて書かれるか」、麗がぼやく。
仄香のほうは「なんとかなりますわよ。後ほど記者の方々にお詫びの書面も送っておきますから」と慰めとも皮肉ともとれる言葉だ。二人の女性に苛められ、礼人は言い返せなかった。
チャイムが鳴り、大会運営本部からの放送がおこなわれる。間もなく、「ready」のひとつ前の試合が始まる。次の試合を控えているチームはマリオネットとともにピットブースへ移動しろという内容だった。
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ピットブース----それはマリオネットたちの試合場の端に設けられた、司令室兼応急整備室だ。機材はすべて各チームがもちこみで用意しなければならず、チームの資本力の差が如実にあらわれる。
『試合開始まで一○秒、九……』
静けさの中、運営本部による放送が数を減らしていく。一番大きな画面には平原で対峙する二体のマリオネット----ブルー・ヘヴンと阿修羅がうつっている。
「頼むぞ、ブルー・ヘヴン……」
礼人はコンピュータ前の椅子に座り、指を組み直した。緊張と不安が、心臓の鼓動を速めた。
作業着姿の土筆はスナック菓子の袋や箱を、開くこともなく次々と持ちかえている。
「うるさいわねぇ。少しは落ちつきなさい」、立ったままの麗が言う。機材を運びこんだピットブースは狭い。椅子が使えるのは情報処理を仕事とする面子だけだ。
「だって、相手は去年の優賞チームだよ。初めての本戦なのについてない」
「それでも俺たちは勝つ」
土筆の愚痴を、空也が力強く否定した。
『二……一……マリオネット・ファイト、ゴーッ!』
試合開始のかけ声と同時に、紫と紅の機人たちが動いた。
(つづく)