第09話_Sunny_Hot_up
青い空にそびえる入道雲と、競いあうような蝉の鳴き声----
割りこんできた飛行機のジェット音が、次第に大きなものとなって空をよぎっていく。
「ずいぶん低くを飛んでるなぁ。旅客機じゃないな、きっと」
土筆は、強い光を投げつける太陽に向かって手をかざし、空を仰ぎ見た。デニム地のホットパンツに白のタンクトップが、真夏の強烈な陽射しで眩しいくらいに映えている。
土筆の片手にはゴムホースが握られている。チーム「ready」の事務所の玄関前で、水撒きをおこなっているのだった。ホースの先を指で押しつぶし、立ちのぼる陽炎へシャワーを浴びせかける。土筆はそこら一帯に水を降らせた。それでも、熱しきったアスファルトはすぐに乾いてしまう。むきになって水を撒いていると、小さな虹ができた。土筆は嬉しくなり、小さな歓声をあげた。
「なにうかれてるのよ。暑さで頭がやられた?」
馬鹿にするような声が聞こえた。土筆が玄関のほうへ顔を向けると、麗の姿があった。ブラウスの胸元をわずかにはだけており、両手で風を送っている。化粧をところどころ、汗が流し落としていた。
「カッコ悪ぅ。楽な服を着てくればいいじゃない。今日はこの夏で一番暑いらしいよ」
「あんたと一緒にしなさんな。オーダーした甲斐がないじゃない。見栄や意地のないガキは本当に楽でいいわね」
「水撒きしてんだから、そこ邪魔」
むっとなった土筆はホースの先を玄関前へ向ける。麗はすぐにその場を離れた。はねた水飛沫はわずかに麗に届かない。
「なにすんのよ!」
「イライラしてるみたいだから頭冷やしてあげようと思ったのよ」
「あんたといると余計に暑くなる」
肩を落とした麗は建物へ戻らず、裏手へ向かっていた。
「あれ、どこいくの?」
「ガレージよ、ガレージ。あそこならエアコンがあるでしょ」
「麗、あの場所は油臭いとか汚いとか馬鹿にしていなかったっけ」
「この暑さよりはましよ」
面倒くさそうに言い捨て、麗は建物の角を曲がった。
「その手があったか」
土筆は水道の蛇口を閉めると、ホースを適当に丸めて片づけ、麗を追った。
ガレージのシャッターは下りていた。土筆はシャッターを叩き、中にいるはずの空也と礼人を呼んだ。返事があり、鍵を外す音がした。
「これでこの暑さともおさらばね」
土筆と麗が期待する中、シャッターが勢い良く巻き上げられる----奥からガスストーブのような熱気が溢れ出してきて、土筆と麗の顔から笑みが消えた。
土筆の全身から汗がふきだし、滝となって顎や指先から滴り落ちた。
「う……なにこれ……」
呻きをあげて、土筆は横を見た。麗の表情から生気が失われ、ゆっくり仰向けに倒れていく。
「なにやってんだ、麗さん。そんなところで寝ると日射病になるよ」
シャッターを上げた空也は首にタオルをかけていた。そのタオルには近所の酒屋の宣伝が入っている。上半身裸で、下はトランクス一つという姿だった。
土筆は悲鳴をあげ、両手で目を覆った。
「なんて格好してるんですか、空也さん。暑いならエアコンつければいいでしょ」
「今トレーニングの最中なんだ。ブレーカーが落ちると困るからエアコンは切ってあるんだよ。そんなに変か?」
「変! 変! 絶対に変っ!」
「そうかなぁ。礼人だって似たようなもんだぜ。美蕾ちゃんは、なんとも言わなかったけど」
土筆は指の隙間から外を見た。空也は腕組みをして考えこんでいる。
ガレージの一画には、ブルー・ヘヴンがいた。多目的寝台は斜めに起こされており、紫色のマリオネットを支えている。ブルー・ヘヴンには無数のケーブルがつないであった。
ブルー・ヘヴンのそばで、礼人がコンピュータをいじり、ケーブルに手を加えたりしている。礼人は半ズボンに半袖シャツという姿だった。汗でシャツはびしょ濡れだった。彼の近くにパイプ椅子が置かれ、白いワンピース姿の美蕾が座っている。
「早くシャッターを下ろしてくれ。ブルー・ヘヴンに余計な情報が入力されると、消去するのが面倒だ」
礼人の言葉に、空也は返事した。見ていくか、と土筆は空也に誘われたが、「麗の面倒みないといけないから」と口実を作って断った。
シャッターが再び閉まると熱気が遮られ、しばらくすると麗も正気に戻った。土筆は麗が起きあがるのに手を貸した。麗はまっすぐには歩けず、よろめいていた。
土筆は肩越しに振り返り、密室となったガレージを見た。
「美蕾ちゃん、あの中にいて平気なのかな」
ぱっと見ただけなので確信はないが、美蕾は汗ひとつかいていなかった気がする。暑さに堪えて平然と構えることはできても、汗を止めるとなると話は別だ。人体の調節機構という観点からも異常といえる。
「土筆ぃ、アイスでも買いにいこうよ。おごるからさ」
「あ、知ってる? あそこのコンビニ、新しいやつが入ったんだよ」
麗の振ってきた話題がすぐに土筆の頭を占めた。美蕾の様子は自分の見間違いということで片づけて、土筆はアイスの説明を並べ立てていった。
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シャッターが下ろされると、ガレージ内は再び熱気がこもった。
礼人は唇を舐めた。汗のしょっぱさには慣れているが、暑さには愚痴を言いたくなる。
「リアルトレーニングができれば、こんな蒸し風呂で我慢せずにすむのに」
「金のあるチームと比べてもしょうがないって。リアルトレーニングにだってそれなりの悩みがあるさ」
空也は団扇で自分の顔をあおぎ、美蕾と礼人にも風を送った。
マリオネットのトレーニング・プログラム入力には二つの方法がある。リアルトレーニングと、ステップトレーニングだ。
前者は、マリオネットに現実の環境を与えてやり、それに対する行動を命令して覚えさせるという方法だ。後者はあらゆる条件をマリオネットの頭脳であるD・POSに直接入力して、行動を起こさせるやり方だ。スポーツに例えるならば、前者はコーチに直接指導を受ける状態、後者は入門書をひたすら読むという状態に似ていなくもない。
リアルトレーニングのほうが定着率と反応率が高いのだが、それには金と人手がかかる。なにしろ実際の戦闘と同じように、様々な地形を体験させ、攻撃を与えていくのだ。「ready」のような弱小チームでは予算的に無理だ。
「それでも一度ぐらいリアルトレーニングをやらせてあげたいよ」
礼人は会話を切り上げ、キーボードを操作した。仮想戦闘シミュレーションのプログラムが起動する。以前のようなフレーム画像ではなく、多面体を組み合わせた無骨なポリゴン映像となっている。
「各構成部品はモニターできている。いいぞ」
空也に促され、礼人は仮想戦闘シミュレーションを開始した。
ケーブルを経由して、ブルー・ヘヴンのD・POSに情報が与えられていく。D・POSはその情報に反応して、全身に命令を行き渡らせる。
モニター内の敵は機動性と攻撃力だけを重視した飛行機型の物体だ。飛行機はモニターを縦横無尽に駆けめぐり、ブルー・ヘヴンを示す紫色の人型多面体に攻撃をしかけてくる。ブルー・ヘヴンは回避を続け、的確に相手を撃墜していった。
敵の数が二桁台に増える。攻撃は勢いを増し、ブルー・ヘヴンの動作も慌ただしくなった。突然、ブルー・ヘヴンの動きが止まった。体当たりしてきた飛行機を間一髪のところでかわすことはできたものの、断続的に行動が遅くなる。その隙を敵は逃さない。ブルー・ヘヴンは集中的に攻撃や体当たりを受け、やがて爆発した----モニターに、シミュレーション終了の文字があらわれる。
「またかよっ。空也、ちゃんとモニターしてたんだろうな」
「ああ、まとめるから待っててくれ」
礼人はペットボトルへ手を伸ばし、生温くなった炭酸飲料を飲み干した。今日半日だけで十本目だ。空の容器を不燃物のごみ箱へ放り投げた。
「やっぱり同じだな」、空也が、データを印刷した紙束を礼人に渡しながら言う。
「伝達系統はともかく、駆動機構が反応しきれていない。前の試合ではいい動きだったのに。スランプなのかな」
「機械にスランプなんてあるわけがない」
「じゃあ、D・POSのトレーニングが原因なのか」
空也の鋭い指摘に、礼人は言葉に詰まった。新理論のことはまだ告げていない。
「礼人をかばうわけじゃないけど、トレーニングはうまくいってると思うんだよ。ハード的なものだとは思うんだけどなぁ。原因がなんなのかわからん」
空也が天井を仰いで唸る。礼人は頬杖をつき、モニターを眺めた。ブルー・ヘヴンは稼働中で、廃熱ファンと発動機の音がガレージ内に反響する。
椅子のきしみが聞こえた。礼人の横を、美蕾が通りすぎてゆく。美蕾はブルー・ヘヴンの横にくると両の手を上げて、ブルー・ヘヴンの顔に触れた。
美蕾は数回頷く。まるでマリオネットと会話しているかのようだった。伸ばしていた腕をおろし、美蕾は向きなおる。
「礼人さん。この子、身体、重たい、みたいです」
区切りながら、言葉をゆっくりと口にする美蕾。ひと月前までは単語をつなげることも無理だったが、最近はだいぶはっきりとした発音ができるようになってきた。
「身体が重たい? ブルー・ヘヴンがそう言ったってのか?」
礼人は美蕾が理解しやすいように、ゆっくりと尋ねた。礼人の問いかけに美蕾は答えることができなかった。困ったように首を傾げている。
「身体が重たいだなんて。人間じゃあるまいし」
鼻で笑う礼人に対し、
「いや……うん。この可能性ならあり得る」
空也は目を輝かせていた。
マリオネットの運動神経ともいえる伝達系統が正常に機能していながら駆動機関が働いていない----それはマリオネットの肉体が運動神経についてこれていないということだ。トレーニング・プログラムではなく、ブルー・ヘヴンの各構成部品をすべて取り替える必要がある。空也はそう意見を述べた。
「金がかかるな」
「ま、監督に相談してみるか。なんとかなるだろ」
決断するや否や、空也は廊下へ続く扉を開けた。
「待てよ、おい」
礼人は慌てて空也を捕まえ、嫌がる空也に無理矢理服を着させた。
(つづく)