猫と寄り添うワンルーム
「うおー。りえー、雪ー」
「あー……、そうだなー……」
朝っぱらからはしゃぐ音子の声にたたき起こされた私は、不機嫌な声でそう返した。
窓際にいる音子はこたつに入ったまま、カタツムリ状態でひっくり返っていた。
妙に寒いと思ったら雪降ってたのかよ……。
ふわふわの黒いネコミミパーカーを着ているせいで、音子の猫っぽさがより本物に近く感じられる。
「うー……。寒……っ」
同居人のニートは置いといて、私は布団の下に敷いた毛布と一緒に、ベッドから転がり落ちるように降りた。
「……?」
そのタイミングで、私は全身の猛烈な怠さを覚えた。
「おい音子。お前、寝込みに襲ってないよな?」
可能性があるとしたらそれだ、と思った私は、いとこから貰った加湿器をつけながらそう訊いた。
「んやー。だってりえ、寝てると素直過ぎておも――、あっ」
「もうやってたのかテメエ!」
すると音子は、しれっととんでもない事を言いやがった。
「いやー、汗だくになってるりえ見たら、ムラっと来ちゃってー」
「来ちゃってー、じゃねえよ!」
「りえがえっちなのが悪い!」
「お前が100%悪いわ! この淫獣……ッ?」
いつもの様にしょうも無いやりとりをしていると、急にガンガンと頭痛が襲ってきた。
もしかして、アイツの風邪でも拾ったか……?
昨日、私の近くの席に座るヒラのオッサン社員が、ゲホゲホ言いながらマスクもせずに働いていた。
そんな脳筋バカがミスを連打したせいで、私は余計な仕事をするハメになっていた。
「りえー? どうしたの?」
頭を抑えている私を見て、流石の音子も心配そうに私の顔を見上げてくる。
「いや、大したことじゃねえから大丈夫だ……」
そう答えてから、私は救急箱から体温計を出して測ってみると、もう38度台の数字が表示されていた。
「……。大したことあった……」
とりあえず、私は会社を休んで、早い時間から開いてる近所の病院に行くことにした。
2、3日休む、と会社に連絡を入れると、電話越しに上司がなんか文句言ってきたが、私はそれを無視して電話を切った。
「すまん音子、ちょっと病院行ってくる……」
「わかったー」
厚着してマスクを付けた私は、財布と携帯だけを持ってウチを出た。
最初は歩いて行こうとしたが、足取りがおぼつかないからタクシーで病院に向かった。
幸い、診断結果はインフルとかじゃなく、単なる風邪だった。
病院で熱止めを貰って病院から戻ると、ウチのアパートの1階にあるコンビニで、私は栄養剤やらスポドリやらを買い込んで部屋に帰った。
上着を脱いでベッドに倒れ込むと、もう熱で頭がボンヤリするのと、全身の怠さで動けなくなった。
「りえー、お腹空いたー」
いつも通り、音子は飯を要求してきたが、その言い方はやや遠慮がちだった。
「自分でなんとかしてくれー……」
いくら遠慮したところで、レンジにかけるだけとはいえ、音子に飯を食わせる元気はない。
「わかったー」
またわがままでも言うかと思ったが、音子は素直にそう返事して、キッチンの方へとてとてと歩いて行った。
ゴソゴソ冷蔵庫を漁る音がして、それからレンジの駆動音がする。
多分、いとこが作って持ってきてくれた、真空パックして冷凍された料理をチンしているんだろう。
レンジのブザーが鳴ってしばらくすると、音子が浅い皿にパスタを盛り付けて居間に帰ってきた。
「りえも食べる?」
それを手に持ったまま、ベッドサイドにやってきた音子は、麺をフォークで持ち上げつつ私にそう訊いてきた。
「いらねえ……」
流石の私でも、この状態で具だくさんナポリタンはきつい。
「そこの袋の……、ゼリー取ってくれ……」
ゆるゆると首を振った私は、途切れ途切れにそう言って、テーブルの上のレジ袋を指さす。
今日はやけに聞き分けがいい音子は、2つ返事でパウチのゼリーを持ってきた。
それを食ってから貰った薬を飲むと、私はかけ布団の下の毛布にくるまった。
また体温が上がったらしく、もう喋るのもきつくなった私は、うんうん唸るだけしか出来なくなった。
私のそんな様子を見てか、パスタを食い終えた音子は、話しかけたり騒いだりはしない。
おかげで、部屋は加湿器とエアコンと、音子が時々モソモソ動く音しかしない。
……それは良いんだが、こう静かだと、小学生の頃に風邪をこじらせて、実家で1人きりで寝ていたときのことを思い出す。
両親は共働きな上、自分たちのことを優先する人達で、私はネグレクト寸前の状態で育てられた。
そんなんなので、私を病院には連れて行ったが、2人はうんうん言う私を放置して、どこかに出かけてしまった。
『おかあ……、さん……』
どんなに苦しくて心細くても、誰も私の傍にいてくれなかった。その当時飼っていた黒猫以外は。
ジジスケ、と名付けられたその猫は、普段はかなり無愛想な子だったが、私が寂しいと思ったときは大体ジジスケが傍に居てくれた。
夢か現実かが曖昧な中、私は呻きながら、もうここに居ないジジスケを求めて手を伸ばす。
すると、その両手が小さくて温かい物に包まれた。
「大丈夫だよ、りえ。音子はここにいるよ」
それは、いつも生意気で騒がしくて、わがままでスケベで――、不意にどこまでも優しくしてくる、可愛い同居人の手だった。
「音……、子……」
「音子はどこにも行かないよ。ずっと傍に居るよ」
はっきりとしない視界に、私へ柔らかく微笑む音子が映った。私はその姿から、知らないはずの母親を感じた。
「だから、ゆっくり寝てても大丈夫だよ。りえ」
「うん……」
今まで感じたことのないその温もりで、私の心が芯から暖まって行く感覚の中、私はすっかり安心していつの間にか眠り込んでいた。
次に目を覚ますと、外はもうすっかり真っ暗になっていた。ベランダには雪が積もっていて、街灯に照らされて白く光っている。
頭の痛さが弱くなっていたので、私は体温を測ってみた。すると、自慢の体力と薬のおかげか、画面には37度台後半と表示されていた。
「音子は――ここか……」
布団の中をのぞき込んでみると、音子が私の腹の辺りで丸くなって寝ていた。
その湯たんぽみたいな暖かさを感じつつ、2度寝しようと思った所で、携帯のけたたましい着信音が部屋に響いた。
「んにゃ……?」
そのせいで、気持ち良さそうに眠っていた音子が目を覚ましてしまった。
音量をゼロにしつつ画面を見ると、相手は会社の番号だった。大方、上司の野郎からの私がいつ出勤できるかの確認だろう。
心底面倒くさいので、私は無視して携帯をサイレントモードにした。
「よかったのー?」
「おう……。どうせ、時間の無駄だからな……」
くかー、と大あくびしながら訊いてくる音子へ、そう答えた私は、起きたついでに、といって冷え〇タを取ってこさせた。
それを額に貼って、また布団の中に戻ると、こたつに移動した音子が元の位置に帰ってきた。
「……今更な気がするけど、あんまくっつくとうつるぞ。音子」
「平気平気ー。だって音子は猫だしー」
私は気を遣ってそう言うが、音子はそんな謎理論を振りかざして動こうとしない。
「バカだから風邪引かないだけじゃねえの?」
「りえひどーい」
「本当のことじゃねーか」
「むむ……。りえのゴリラー!」
「だれがゴリラだ」
「ぬわぁー」
反論できなくて悔しかったのか、子供じみた悪口を言ってきたので、私はその小さい頭を軽めに両手でグリグリしてやった。
「……まあ、うつっても世話してやるけどな」
まあ、今日の所はコイツに感謝してるが、言うのはこっぱずかしいのもあって、私はそう言って音子に背を向けた。
すると、音子は私の肩甲骨の辺りに頭をこすりつけてきた。自称猫だけに、愛情表現かと思ったが、
「りえがデレてるー! 珍しいー!」
どうやら、いじるポイントを見つけてはしゃいでるだけらしい。
「……うるせえ。寝るからもう黙ってろ」
相手にする元気は無かったので、私は音子にそれだけ言って目を閉じた。
「むー……。わかったー」
音子はつまらなそうにそうつぶやくと、私の背中に自分の背中をくっつけてきた。