猫の居るワンルーム
私の家には猫がいる。
「りえー、おっかえりー」
いや、正確には猫っぽい同居人の少女がいる。
「うん。音子、出迎えは寝てするものじゃないと思う」
その同居人――音子は、玄関の段差の上で寝転がって、ものすっごく雑に出迎えた。彼女はモフモフした部屋着の上だけ着て、下はパンツが丸出しだった。
私の家はワンルームアパートの角部屋で、広さが全体でも10畳ぐらいしかない。
「あとさ、そこ塞がれると私、上がれないから」
「うおー」
どいて、と言ってもどうせどかないので、脚を引っ掴んで音子の身体を90度回転させる。
「あーもう……、また散らかしてくれちゃって……」
「ごめーん」
「謝るなら治せ」
「じゃあごめんなさまない」
「何語だ、それは」
音子はもうめちゃくちゃな怠け者で、お菓子の袋がそこら中に散らかっていても、自分の寝床が泥棒が入ったみたいになっていてもお構いなしだ。
「私、疲れてるんだから、手間かけさせないでくれる?」
「やだ!」
「即答かよ……」
四つん這いで寝床に戻ってきた音子は、私がロボットみたいな動きでゴミを片づける様子を毛布にくるまって観察してくる。
「ちょっとは手伝えよ」
「それは愛玩動物の専門外だから無理」
「犬は仕込めばするだろうが」
「だって音子は猫だし」
「お前は人類だろが。働け」
「だとしても、未成年だから勤労の義務ないもん」
ええい、ああ言えばこう言う……。
結局、部屋が綺麗になるまで、音子は一切手伝わずにゴロゴロしていた。
「りえー、お腹すいたー」
「猫なら自分で調達しろ。私は寝る」
「あー、ネグレクトだー」
「都合の良いときだけ人間になるなー……」
適当に服を脱いでブラウスだけになった私は、自分のベッドに潜り込んで目を閉じる。
私も腹は減っていたが、終電帰りなせいで眠気のほうが上回った。
「りえー、りえー」
「財布に千円あるから、下のコンビニで買ってくれー……」
布団から手を出した私は、鞄を置いた玄関を指さして、揺さぶってくる音子にそう言う。
「補導されるから無理ー」
「じゃあそのまま、家に帰らせてもらえー。この家出少女め……」
「なら、りえが買春したって言うよ?」
「ふざけんな。お前の方から襲ってきたんだろが」
「全然抵抗しなかったのが悪いじゃん。りえは黒帯なんでしょ?」
音子はそう言うと、私を揺さぶるのを止めて、今度は寝てる私の上にのしかかってきた。
「う……。だー、もう分かったよ……。作ってやる……」
「わーい」
私がそう返事すると、音子は私の上から降りた。
「どれ食いたいんだ」
「何でも良いー」
「それが1番困るんだっての」
生まれる子鹿みたいにベッドから這い出た私は、冷凍庫から適当にミートスパゲティを出して、ラップに包んだまま電子レンジで解凍する。
プロのシェフのいとこが週1で持ってくるそれらは、どういうわけか、冷凍してるのにめっちゃ美味しい。
「ほれ食え」
皿にそれを盛ってローテーブルに置いた私は、今度こそ寝ようとしたが、
「りえが食べてからじゃないとやだ」
音子がそう言って、ベッドに戻ろうとする私の脚にしがみついた。
「なんでだよ」
「りえがご主人様だから」
「そんな趣味はない」
勝手に食え、って言っても、音子はそのまま意地でも食おうとしない。
「……分かった。これでいいだろ」
根負けして1口食べた私は、歯だけは磨いてからベッドに倒れ込んだ。
なんで、こんなの拾ったんだろ、私……。
音子が飯を食う小さな音を聞きながら、私は目を閉じて寝入る。
*
「ふざけんなよ! あのパワハラクソジジイ!」
上司から理不尽にキレられたストレスでヤケ酒をした私は、泥酔1歩手前ぐらいの状態で家へと帰っていた。
「全くよぉ! 禿げてるだけのくせに偉そうなんだよ!」
上司の悪口を言いながら、人がまばらな駅前の噴水公園を進んでいると、
「ああん? 金払うって言ってるだろ、ヤらせろ!」
「いや!」
セーラー服姿のいかにも家出少女っぽい子、つまり音子の手首をつかんで、オッサンが春を強引に買おうとしていた。
「おいこらそこのエロオヤジ! 通報するぞこの野郎!」
「いっでえ!」
私は酔った勢いでオッサンの手をつまみ上げて、音子の手首を自由にしてやる。
「何しやがるこのクソア――」
そうすると、キレたオッサンが掴みかかってきたので、
「といやああああ!」
「マぁぁぁぁッ!?」
私は高校の部活で培った一本背負いでぶん投げて、噴水にぶち込んでやった。
女に投げられたのがばつが悪かったらしく、オッサンは何も言わずに逃げていった。
「ざまあみろバーカ!」
その後ろ姿に向かって、親指を下向きに立てていると、
「ねえお姉さん。私ね、今日帰る家が無いの」
スーツの裾をぐいぐい引っ張って、捨て猫感の溢れる顔で音子がそう言ってきた。
「おー、そうかー! じゃあ私の家来いよ!」
酔っていた事と八つ当たりをした高揚感で、私は深く考えずに音子を家に入れてしまった。
「クッションで悪いけど、そこで寝てくれ」
最近買った、人をダメにする例のビーズクッションを指さして、私は下着とブラウス1枚でベッドに仰向けになった。
「やだ。こっちで寝る」
その途端、顔が不思議の国の猫みたいになった音子が、私の股の間にやってきた。
「うーん? お前どう――。んぁ……ッ」
「んふふ……。お姉さん、"こういうの"初めて?」
「そこ……、やめ……っ! あぁ……」
……そこから先は、とにかく気持ちが良かった事以外、なんでか全く記憶がない。
ただ、気がついたら朝で、私も横で寝てる音子も全裸だったから、私が"何をやらかしたか"は、簡単に想像が付いた。
「あーあ……。犯罪者になっちまった……」
鳥のやかましいさえずりを聞きながら、私は頭を抱えてそう独りごちた。
*
それが3日前……。いや、今、朝だからもう4日前の出来事だ。
音子にその事をばらされたら、店を持ったばっかりのいとこに迷惑がかかってしまう。
だから、追い出すわけにもいかず、私は自称愛玩動物を『飼う』ハメになった。
「……。……あっ、やばっ」
枕元の時計を見ると、昼前だったから一瞬焦ったけど、
「……今日、休みだったな……」
今日は久々の週休二日だったのを思い出して、ホッと胸をなで下ろした。
「ふわー……。りえー……」
クッションで毛布にくるまって寝ている音子が、ニヤケ顔で寝言を言った。
しかしまあ、コイツも寝てれば可愛いもんだな……。
気持ち良さそうな音子を見て、私はそんなことを思ってしまった。
なんだかんだでコイツを追い出せないのは、コイツが可愛いすぎるのが悪いんだ。
じゃなきゃ、こんなポンコツ淫獣を愛おしい、なんて、おかしな事を思うはずが無い。