八
ひとりきりのベッド。精一杯がんばった春先の受験。迎えることがなかった夏。
「……みんなが、あたしを置いていくからです」
僕の手から指を離した春奈が、音もなく立ち上がった。美術室の輪郭がぼんやりとおぼろげになり、まばたきをした次の瞬間には、僕らはどこかの病院の一室にいた。
薄いカーテンの掛かった窓際に近寄ると、サッシに触れる春奈。吐き気や動悸はいつの間にかなくなっており、となりに並ぶと、窓の向こうには真っ赤な夕焼け空が広がっていた。
「ここから見ていたんです。あたしと同じ年に入学した子たちが、あたしを置いて、進んでいくのを」
見下ろした道路には、楽しげにおしゃべりしながら下校する生徒たち。
「耐えられなかった。ひとりぼっちになったみたいで、我慢できなくて……」
小さいころから体が弱くて、ベッドに伏せっていることが多かった。生死に関わるような病状とかではなかったけど、学校に通えても、せっかくできた友達と遊べる時間は限られていて、すぐに疎遠になった。
季節の変わり目が特にひどかった。冬から春、春から夏。義務教育の間はまだしも、高校に上がったら出席日数の心配をしなければならない程度には、だめだった。
夏になる前に、通院していた病院に入ることになった。
これは春奈の記憶だった。
「だから、小宮くんの絵の力があれば、あたしは進めなくても、ひとりにはならないんじゃないかって。そう思ったんです」
入院着を着た春奈はぽろぽろ泣いていた。
僕は少し考えて、ああ、同じなんだなと、思った。
誰かに置いてきぼりにされるような感覚。急がなければ距離ができてしまうだけなのに、何をしても届かなくて、自分ではどうすることもできなくて、焦りばかりが募っていく。
後ろから追いかける人間にとって、時間が経つというのは、そういうことだ。
でも。
「……僕はやっぱり、ここにいることは、できない」
ゆるりとこちらを向いた春奈の瞳は揺れていた。
「どうしてですか? あなたはきっと、つらい思いをしますよ。これまでと同じように……ううん、これまで以上に。死にたくなるような夜を、何度だって、ひとりで乗り越えなきゃいけなくなる」
「……それでも」
遥か彼方にいる彼女は、約束をくれたから。夏祭りに行こうと、言ってくれた。
それに、僕は、豪雨の日の翌日に見た景色を覚えている。青い山々の陰影と、明るい緑の稲。それはとても、美しかった。
だから――春奈に必要なのは、決して、僕の絵なんかじゃなくて。
「ねえ、春奈。僕と友達になってよ」
「……え?」
「先輩とか後輩とかじゃなくて、友達。春奈のいるところまで迎えに行くから、夏休みとか、一緒に遊ぼう」
「……それが、何になるんですか?」
「藤や桃花とも友達になってほしい。僕たちに、会いに来てほしいんだ」
伸ばした手のひらから、ばらばらになったしおりの欠片がいくつか落ちた。
黒目がちな瞳に、怯えの色が宿る。
「大丈夫。僕は君を置いていったりしないから」
わずかに浮いたその手を、僕はなかば強引に掴んだ。