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 ひおおおおおお。

 冷たい。ほっぺたが痛い。おまけに素足。

 三日くらい前に雪がちらつら降って、今は溶けてるんだけど、欅の木の肌は未だにしっとり冷たく濡れている。


 指が冷たい。足も冷たい。

 ハナがずびずば垂れて来た。

 

 やっと抱きかかえることができるくらいの欅の幹にしがみつきながら、そろそろそろそろ回転する。

 足元注意だ。次の枝へ。そしてまた次の枝へ。


 くるくる風に揺れるピカピカの恥ずかしいオーナメントたちは、車が通るたびにピカ―。

 目に煩いったらない。ピカピカを正面から見たら目が眩み、足を滑らせてしまいそうだ。


 ちらっと、横目で伺う。

 クリスタルの置きもののように項垂れて身動きしないカラスの向こう側に、懐かしく温かな部屋の窓が見える。

 暗いオレンジの灯りがついていて、一見、中で人が就寝しているかのよう――そうだ、眼鏡山天才子は、本来ならもうとっくの昔に就寝している時間だった、すやーと心地よいねむり、あったかいおふとんの中で最高の時間を過ごしているはずだった。


 それがどうだ。


 (ああもうこんなことなら、0点の答案を速攻で燃しておくんだった……)

 アハハハハ、もぉおえろよもえろおお、ケケケ、0点灰になれぇえええ。


 寒さと疲労のせいで、なんか頭の中で、イカレタ歌がぐるぐる回って来た。

 0点の答案。さぞかし小気味よく燃えるだろうな。

 近所の河原で、チャッカマンをかちかちっ。ぼおおおおおおお……。

 

 ウハハハ、もえろーもえろやー、恥は燃やせやー。

 見てっ、このアツイ炎が全部消し去ってくれるのっ。

 これであたしたち、明日から新しい人生を送ることができるんだわっ。

 きゃっきゃ、きゃっきゃ……。


 ぶすぶすぱちぱち。


 

 だめだ。頭がぼんやりしているからだ。

 幻聴まで聞こえて来た。

 目がしばしばするのは眠気もあるのか。


 「早くしてくれカー」

 苦行に耐えるかのように静かにしていたカラスが、ここになって騒ぎ出した。ばっさばっさ羽根を動かしやがる。

 やめろ目に当たる。気が散る。


 「もう時間がないカー。黒いカラスになるのは嫌カー」


 こっちだって、0点の答案がさらされてるのは嫌だ。

 畜生め。あともう少し。

 狙いの枝になんとかたどり着くとまたがる。よじよじと慎重に枝先に近づいて、腹ばいになって指を伸ばした。


 ピカピカクリスタルに包まれた、わたしの恥ずかしい答案。

 眼鏡山天才子、算数、0点!


 どうにかこうにか、答案オーナメントを取り外し、紐を手首にはめることに成功する。

 左手首に騒音太郎の汚いパンツ標本、右手首にわたしの0点。もういい、よくやった自分、ぜいぜいはあはあ――息が切れていた、やばい、もうやばい――ゆっくりと移動して、部屋の窓まで近づこうとしたその時だった。



 「ああっ、カミサマが降臨されたカー」

 肩のカラスが絶望の声色で叫んだ。あぐあぐあぐ。くちばしがかみ合っていない。

 

 上を見ると、なるほど、天からなにかが降りて来た。地上の連中には、欅の枝が邪魔をして見えまい。

 だけどここからなら見えた。


 「あれがカミサマかよ」


 見るからにうさんくさいのが、空中浮遊して欅のてっぺんに辿り着き、片足立ちをした。

 でぶっとした腹に、ぱつんぱつんのピカピカ成金風スーツを纏っていて、目にはグラサンをかけている。

 脂ぎったワルイおっさんといった見かけだが、こいつがカミサマなのか。

 (一見して、悪いやつじゃないか……)


 カミサマはピカピカに飾り付けられた欅を見下ろすと、にんまりしたようだ。

 伝説の偉大な予言者かなにかみたいに、大仰な様子で両手を広げると何かを唱えている。すると、ピカピカつりさげられた恥ずかしいオーナメントたちが、一つ、また一つと浮き上がり、ゆっくりとカミサマの元へ上っていった。


 「このピカピカは、カミサマのコレクションになるカー」

 もはや捨て鉢になったらしい肩のカラスは、今まで語らなかったことを喋り始めた。ちらっと見ると、表情が陰険である。

 これまで相当のストレスを強いられてきたのかもしれない、クリスタルカラス。

 もういい、どうせ俺あ黒カラスにされちまうんだ、全部あらいざらいゲロっちまうぜカー。



 「これから未来を担う子供たちの恥ずかしいものを集めておけば、子供たちが大人になった時にソレを使って脅迫することができるんだカー」

 イッヒヒヒ、この恥ずかしい寝小便たれシーツを晒されたくなければ、会社の金を横領して俺様に貢ぎなさい。


 「酷いな」

 心の底から、わたしは言った。

 カラスはふんと鼻息荒く頷いた――いやお前、その酷いことを今までさんざん手伝ってきたのお前だよ?


 

 周囲のピカピカは一つまた一つと、カミサマに召し上げられてゆく。

 ピカピカの恥ずかしいジュエリーが、蛍の光の如く儚く輝きながら、ゆらゆら、チカチカ、ピカピカと上に上にとのぼってゆく。幻想的で綺麗と言ってはいけない。これらはみんな、とんでもなく恥ずかしいものばかりなのだから。


 すぐ側を通り抜けて、すうっと上にのぼってゆくクリスタルオーナメント。


 真っ白子供用かぼちゃパンツ、名前付き。


 「ゆう君大好きゆう君大好きゆう君大好き」百回くらいシャープペンでノートに書きつけられた、おまじない。


 多分、机の中に押し込められたままだった、給食のパン――凄まじい黴である、確かにこれはもう人目に晒せない。家に持ち帰ろうと机から引っ張り出した瞬間、周囲の子たちの顰蹙を買う代物。


 (うっわ、恥ずかしすぎる。よくこんな恥ずかしいものを今まで隠して来れたなあ)

 他人事ながら、わたしも顔が赤らむ思いだ――酷い、あまりにも酷すぎる、こんな恥ずかしいものをピカピカにしてさらしものにするなんて。

 (はっずかしー、生きておれんよ、こんな恥ずかしい秘密を抱えてさあ)

 


 それにしても良かった、わたしの0点は召し上げられずに済んだ。手首に下げた恥ずかしいもの、これをそんな最低カミサマに渡すわけにはいかん。


 「早く部屋に帰って、パジャマから離してくれカー。せめて神様に事情を話して、赦してもらえるかどうか粘ってみるカー」


 まだ諦めきれていないらしいカラスだ。

 やはり、カミサマの実物を見て心がひよってきたらしい。

 話せば分かってくれるカー。そんな希望に縋りついていやがる。


 言われなくても手足が凍えて限界だ。わたしはそろそろと部屋に戻り始めた。

 枝を伝って、できるだけ窓に近づく。

 そうしている間にも、あちこちからピカピカ飾りが浮き上がってきて、すうっと上にのぼってゆくのだ。


 

 「恥ずかしピカピカー」

 「恥ずかしピカピーカー」


 怪しい呪文がぶつぶつ聞こえると思ったら、欅の枝にクリスタルカラスどもが止まって、翼を広げて首を上にむけ、カミサマをたたえている。

 ピカピカカラスがわらわらわらわら数えきれない。

 恥ずかしーピカピーカー。

 恥ぁずかしーピカピカーカーカー。


 (嫌な祝詞だ)



 さあ、やっと部屋だ。ここからひょいと飛び移れば窓の中である。

 しゃがみこみ、構えた時、わたしは異変に気づく。


 ぱちぱち、ぶすぶす、ぱちぱち。

 少々、煙たい気がする。目がしばしばすると思っていたのは、眠いからではなく、煙たかったからか。


 下を覗いてみて仰天した。

 ナンダコレハナンダコレハ!


 恥ずかしいものをピカピカにされて欅に吊るされた町の子供たちが、みんなで仲良く手をつないで欅を囲んで輪になっている。アハハハハ、ウフフフフ――何だその笑顔は、意味が分からないおかしいよお前たち――ぐるぐるぐるぐるフォークダンスのように回っている。そして歌っているんだ。


 燃ぉえろよ燃えろおおおお、跡形もなくー、イヒヒヒ、ウフフフ、エヘヘヘ、燃えろ燃えろーやー、燃えろー。

 ハイハイッ!


 カチカチカチッ。

 小さい音の連続。

 イヒイヒウフウフ笑いながら、チャッカマンを使っているのは誰あろう、気野つよ子。

 おまけに、つよ子と一緒に何人かの女子も、にこにこしながら放火の手伝いをしてるじゃないか!


 ぱちぱちぶすぶすぱちぱちぶすぶす……。




 地獄のキャンプファイヤー!

 しかもうちの庭の欅で!

 「わ、ばか、ヤメロヤメロ」


 もはや何もかもかなぐりすてて、わたしは地上に向けて怒鳴った。

 だけど、恥ずかしいものを消し去りたいあまり、ちょっとテンションハイになった連中には届きもせず。

 

 ぱちぱちぶすぶす……。

 恥ずかしピカピカー、恥ずかしーピーカピカー……。


 あまりの状況に絶句して固まっていたら、肩のカラスがいやに冷静な声で言った。

 「大丈夫だカー。生きてる木はそんなに簡単に燃えないカー」

 そんなことより、早く部屋に入ってくれカー。早く自由にしてくれカー。



 それもそうかと思った。

 ここまで騒ぎが大きくなったのだから、ママゴンが庭に躍り出てくるのも時間の問題だ。

 わたしの恥は手に入れたのだし、今は部屋に戻るのが先決であろう。いざ、と飛び移ろうとした瞬間だった。


 すうっと下からエレベーターに乗っているかのように、上に上にとのぼってきた一つのクリスタルオーナメントに目が留まった。


 きったないバスタオルなんだよ!

 うさぎのキャラクターがにこにこ笑っている子供用バスタオルだ。

 あちこち煮しまったように茶色くて、見ただけで臭ってきそう。しゃぶりまくられた代物なんだろうなとすぐ分かる。


 問題は、そのバスタオルにマジックで、名前が書いてあったことだ。


 きの つよこ



 アヒャヒャヒャヒャ、燃やせ燃やせー。

 恥ずかしいものは全部燃やすのよー。

 そして明日からはまっさらな爽やか人生を送るの、そう今からあたしたち、生まれ変わるのよおおおっ。



 欅の幹にかがんで、スワッた目つきでカチカチカチカチ、チャッカマンを使い続けている気野つよ子と、取り巻きたち。

 欅と彼女たちを囲んで、ほがらかに歌い笑いながら、ぐるぐるぐるぐるフォークダンスを踊り続ける町中の恥ずかしい子供たち……。




 (気野つよ子、赤ちゃん時代からの愛用品を未だにしゃぶっているんだな)

 それは恥ずかしい。汚い。ドン引きだ。

 そして、こりゃあいい。


 ニヤーと、わたしは笑った。

 捕まえずにおられるものか。

 上にのぼってゆく汚タオルのクリスタルを掴もうと手を伸ばし、ゆっくりと立ち上がる。

 「なにしてるカー、早くうちに入るカー」

 煩いよカラスの分際で。人間様は、利用できるもんは利用しながら生きてゆくのが賢いってもんだ。

 

 もう少しで届く。あ、届いた。


 指先がクリスタルのはじを摘まんだその時だった。

 ばたばたと足音がして、悲鳴のようなママゴンの声が夜闇をつんざいたのは。



 「きゃああっ、なにしてるのあなたたちっ。パパ、警察よ、警察呼んで、それからこっち来て、きゃあきゃあきゃあっ」

 ……。




 わたしは足を滑らせた。

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