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 クリスタルのカラスを肩につけ、欅をよじよじと登る。

 ひううと冷たい風が吹いて、枝が揺れた。


 頭上の枝の先にぶら下がる、汚らしい、恥ずかしい白ブリーフ(名前付き)を手に入れるためならば、わたしはどれだけでも危険を冒してやるとも。

 根性さえあれば、だいたいのことは何とかなる――二階の窓よりも高い枝までよじ登り、またがる。目指す獲物は先のほう、少し心細くなったあたりに吊るされて、ゆらゆらくるくると回っていた。


 クリスタルに包まれた、お漏らしブリーフの標本が、ピカピカ。

 地上では、時折すーっと車が道を通ってゆくのだが、みんなこのピカピカツリーをどう眺めているのか。

 車のライトを反射して、恥ずかしいオーナメントたちは、いよいよピカピカだ。


 「もういやー」

 下からふいに、泣き声があがる。今まで人んちの敷地内だし、深夜だからということで遠慮していた心のたがが外れたらしい。


 (静かにしろやー)

 枝にまたがって、よじよじ進みながら、わたしは心で悪態をつく。ママゴンに聞こえるじゃないか、この状況を見られたら最後だ。


 枝の重なりの僅かな隙間から覗ける地上。

 錯乱して泣き始めたのは、どうやらあの、気野つよ子らしい。


 わあわあ泣き出すのを、何人かの女の子が慰めているが、実はみんな同じ穴のむじな。

 誰もが、気野つよ子の号泣を迷惑に思っていることは間違いなし――ああもう静かにしてよ、ご近所じゅうの人が出てきてこのツリーを見てしまうじゃないの――わたしなら同情顔をしつつ、なんとか言いくるめて、おうちまで帰っていただくところだ。


 「もういやなのっ、あんなの曝されてる位なら、この木もろとも燃してやるぅうへへへへあーははははは」

 

 つよ子ぷっつん。

 (なにを言うんだ、放火はやめてくれ)



 ぎゃはぎゃは笑うつよ子だが、ふいに静かになった。

 我に返って冷静になったか。それとも?




 「燃すなんて、罰当たりこの上ないカー」

 肩のカラスが憤然と言った。

 わたしはそれどころではない。もうすぐそこに、目の上のたんこぶ野郎の弱みがぶら下がっているのだ。

 

 風に揺られてくるくるピカピカ。

 車のライトが当たってアラきれい。宝石みたいなしょんべんたれブリーフ。

 (まさに、恥ずかしいジュエリー)


 もう枝が弱い部分にさしかかっている。

 よくしなる枝である。いきなりボキと折れることはないだろうが、少々心もとない。慎重に進んで手を伸ばす。

 

 「この欅は、この界隈の神木格なのだカー。燃すとはなにごとだ、ぷんすかむかむかむっきーむっカー」

 カラスはぶつぶつ言っている。

 わたしはやっとのことで、ブリーフの標本のピカピカをもぎ取った。こんなオーナメントのどこがピカピカ綺麗なんだ。


 4年2組 騒音太郎


 と、マジックで書かれた白ブリーフ。

 粗相の後も真新しい。なるほど、これは知られなくない。洗濯もできずに隠し持っていたのかもしれない。


 

 オーナメントの紐部分を手首に通すと、思わずニヤーとした。

 あの放送局坊主、今度腹のたつことがあったら、これを見せつけてやるんだ。


 2年生の時だったか。

 給食の牛乳が大嫌いでいつもこっそり残していた。

 だけどその時の担任が牛乳至上主義者で、成長期のこどもは牛乳を飲まねばならないという、揺るぎない信念を持っていた。


 うまく牛乳パックをコンテナの中に戻したと思ったら、その場面を騒音太郎に見られたらしい。

 

 「2年2組に、牛乳を毎日残しているズルい人がいます」


 ある日、学級会の議題に取り上げられるはめとなり、わたしは鼻から出るほど嫌な牛乳を、毎日飲まされるはめになったのだった。

 

 涙目になりながら牛乳を飲んでいる最中、騒音太郎と目が合った。騒音太郎はにやにや笑った。

 こいつが垂れ込んだ犯人だと、その瞬間、わたしは確信したのである。


 苦痛と屈辱に塗れた2年生の給食タイム。あれ以来、わたしは騒音太郎を過剰に用心するようになった。あいつは放送局である。




 

 「神木、うちの木が」


 手首から騒音太郎の恥をピカピカさげながら、わたしは聞き返した。

 そう言えば、まだ聞いていない。このカラスは一体なにもので、なにがどうしてうちの欅がこんなことになったのか。

 

 確かにうちの欅の樹齢は相当なものだ。

 うちは建て直したから比較的新しいが、ママゴンが言うには、わたしが生まれる前までは、なに時代かとおもうほど古い家屋だったそうな。

 この欅だけは、遙か昔から変わっていないのかもしれない。古い木にはなにかが宿ると昔話で聞いたことがあったけれど、うちの欅もそうなのか。


 「恥ずかしいものを収集してピカピカにしてくれる、ありがたーいカミサマが、百年に一度降臨される、大事な大事な神木であるカー」

 

 カラスは胸を張って言い放った。


 (人の恥ずかしいものを収集して、どうしようってんだ、そのカミサマは)

 ひゅおおおおお。不穏な風が冷たく通り抜ける。そろそろ寒くなって来た。早いところ用事を済ませて温かい部屋に戻りたい。



 「おいカラス、言えや」

 肩のカラスを横目でにらみながら、わたしは言った。

 あの0点答案、どこに吊るしやがったコラ。それを取り戻さない限り、あんたは永遠に接着剤でパジャマに貼りつけだかんな?


 カラスはまた、だらだらだらだら汗を出し始めた。

 クリスタルのピカピカな体から、ぶつぶつと汗が吹き出して水玉模様のようになっている。


 「ついでに、この欅を燃すと言い放った、気野つよ子の恥ずかしいピカピカも、どこにあるか言えや」


 くちばしを片手で握って引き寄せ、至近距離からガン見してやった。

 ざあああああ。カラスから血の気の引く音が聞こえた。


 

 その時、ばっさばっさと無数の羽音が聞こえてきた。

 思わずカラスのくちばしから手を離して見上げる。


 似たようなクリスタルのピカピカカラスがばっさばっさと飛んでいて、みるみるうちに頭上の枝に止まった。何羽だか数えきれない――相当な数のピカピカカラスどもだ。


 「アホーカー」

 「バカーカー」

 「ダメーカー」


 口々にカーカー言いやがる。


 一瞬、わたしをののしっているのかと思ってむっとしたが、肩にへばりついているカラスがびくっとしたので、どうやら口撃の対象はわたしではなく、このカラスらしいと気づいた。


 「恥ずかしい人間に捕まえられてるカー」

 「うわあ信じられないカー」

 「見ているだけで恥ずかしくて悶えそうだカー」


 ぶるぶるぶるぶる肩のカラスは震えている。

 うっすらとクリスタルの顔が紅潮し、目が三角になっていた。


 恥ずかしい人間――つまりわたしのことか、こん畜生なんだカラスの分際で――に捕まえられている状況が、クリスタルカラスにとって、相当な屈辱であるらしいことが分かる。

 それにしても、クリスタルカラスは何羽もいたのか。いくらピカピカでも、こんなに集まったら気色悪いな!

 

 ばさばさっ。


 少し離れたところで羽音がしたので目を凝らすと、遙か頭上に、また別のクリスタルカラスが止ろうとしているのが見えた。

 口にピカピカするものを下げている――なんてこった、誰かの恥ずかしいものが入ったピカピカクリスタルのオーナメントだよ。

 

 どうやら、カラスどもは、恥ずかしいものを子供たちから取り上げてはピカピカ飾りにして、うちの欅に下げに来ているらしい。

 遙か地上で泣き声が聞こえる。たった今、自分の恥ずかしいものをピカピカ飾りにされて吊るされた子供の、抗議の声か。


 なんてこった、また一人、犠牲者が。


 頭上に泊まっていたカラスたちは、ばさばさと飛んで行ってしまった。また誰かの恥ずかしいものを集めてきて、うちの欅に飾り付ける気なのか。

 (悪魔の使い……)





 「気野つよ子という子の恥ずかしいものは、自分の担当ではないカー」

 カラスは言った。


 なるほど、他にもカラスがいるからな。そういうこともあるだろう。


 まあいい。自分の0点さえ取り返すことができればいいんだ。

 それに、騒音太郎の弱みはすでに握っている。気野つよ子の弱みまで握ることができたら最高だったのだが、なにしろ今は凄まじく寒かった。


 (はやいところ、帰りたいんだよもう……)



 「とりあえず、わたしの0点どこにあるか教えてよ。それ取り戻したら部屋に帰って、あんたをパジャマからひっぺがしてあげられるからさあ」


 しばらくの沈黙の後、カラスは意を決したように呟いた。


 「背に腹は代えられないカー。他のをいっぱい集めてくればいいカー……」

 



 わたしと目が合うと、カラスは疲れたおっさんみたいな溜息を落とした。

 目の下に暗い影を落とし、風に吹かれながら、カラスは言ったのである。


 「ノルマがあるカー。ぐずぐずしている時間はないカー。あと5分でカミサマが降臨するから、それまでに他のを集めて来なくては、エライことになるカー」

 だからさっさとここから離して欲しい、0点の答案の場所は、ここから枝三本下に吊り下がっている――カラスはそれだけ言うと、観念したように目を閉じたのだった。




 (ノルマをつけて、恥ずかしいものを収集したいカミサマかよ)

 ろくなカミサマじゃあるまい。わたしは呆れた。


 「エライことって何だよ」

 うなだれるカラスに聞いてみると、目を逸らしながら、ぼそぼそと奴は答えた。


 「普通のカラスにされるカー。なんの変哲もない、ただの黒いカラスになってしまうカー」

 このピカピカの体が真っ黒になってしまうなんて、死んだほうがましな恥ずかしさだカー。




 (だけどもさ、普通のカラスになったら、もうノルマを負わされて変なもん集めてこなくても済むんだろうに)

 わたしは思った。


 クリスタルピカピカカラスの地位は、カラス界においては、恐らく上流階級なのだろう。


 


 「優秀と認められたカラスのみ、このピカピカな体をもらえるんだカー。カミサマのお使いをさせていただけることは、才能あるできるカラスの証拠なんだカー」


 親ガラスは子ガラスに、おまえもピカピカカラスになって楽をさせておくれと言い聞かせ、教育を施すという。

 このカラスも元々は普通の黒カラスで、ピカピカに憧れて、カラスの同級生の競い合いに身を投じて来たのだと言う。


 「汗と努力の結晶だカー、このピカピカの体は」

 なんとしても、ピカピカの体を死守しなくてはならぬ。恥ずかしいおまえなんかのパジャマにひっ付けられている場合じゃないんだカー!

 (おう言うてくれるやないけ。どの口が、町の子供への救いだのサービスだの言うか、こん畜生)




 とりあえずわたしは、言われた場所にたどり着くべく、慎重にゆっくりと幹を伝って下の枝に渡る。

 ぷすぷすぱちぱちと、何かが爆ぜる音が聞こえたような気がしたが、そんなこと構っておれるもんか。


 そうら、見えて来た――あのオゾマシイ0点テスト。

 ピカピカとクリスタルにコーティングされて、くるくるくるくる寒風に踊っているじゃないか。


 (くっそ、今いく、待ってろや)

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