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ピカピカのカラスを部屋に引きずり込んだ時、奴はちょっと暴れた。
ばさばさばさばさ羽根が喧しく羽ばたいて、机の上のものが散らばった。その中に、木工用ボンドがあったんだよ――自業自得だよ、カラス野郎――筆立ての缶が転がって、鉛筆と一緒に押し込められていたボンドが飛び出した。
夏休みの工作で使った時、キャップが壊れて緩くなっていたんだよ。
ボンドのチューブがカラスの足にぶつかり、無我夢中のカラスはそいつをむぎゅっと掴んだときたもんだ。
カラスの両足に、強烈ボンドがべったべたに着いた。その足で、わたしの右肩を掴みやがった……。
世にも間抜けなことになった。
クリスタルのカラスは、わたしの花柄ピンクのもこもこパジャマの肩にくっついてしまい、羽ばたこうが暴れようが、離れなくなった。
ばさばさカーカー煩いったらない。
しかも、階下から、天才子ちゃーん、もう寝なくちゃだめよ、と、ママゴンの心配そうな声が聞こえて来た。
まずい。
これ以上騒いでいたら、部屋にママゴンが乱入する。
「静かにしないと、テープでくちばしをぐるぐる巻きにしてやる」
セロハンテープを突きつけて脅すと、ようやくカラスは静かになった。
置きものみたいに肩に止まっているが、クリスタルの体に、だらだらだらだら冷や汗が流れていやがる。
カラスは静かになったが、外の騒がしさが気になって窓から覗いた。
件のおぞましいピカピカツリーの周囲に、どうやら自分の恥ずかしい黒歴史をピカピカの飾りにされてしまった連中が集まっているらしい。みんなコートやダウンジャケットを着こんでいるが、その中はパジャマのようだ。
(みんな、寝る寸前に同じような災難にあったんだな……)
部屋から眺めていると、二、三、知った顔も見えた。
この学区の連中だから、同じ小学校に通っている奴らだろう。
同じクラスの、気野つよ子。こいつ、成績はそれほど良くないけれど運動ができて、ボス的な女だ。
なんでも無理を通したがって、自分に逆らう奴は攻撃対象。そこそこ見た目も良いので男子受けするのも強みだ。
他には、隣のクラスの騒音太郎もいる――名は体を表すと言うが、こいつこそそのままだ――正直、こいつが来ているのを見て、わたしは脂汗が出た。
こいつにだけは知られてはならない。
秘密にしていることを騒音太郎に知られたら最後だ。学校中、いや、学区中に広められてしまうだろう。
(気野つよ子も、騒音太郎も、一体どんな黒歴史を持っているんだ……)
二人とも、目の上のたんこぶ的存在。
ふいに思った。
こいつらにわたしの0点を見られることは全人生をかけて阻止しなければならないが、こいつらの黒歴史を知ることは、小学校生活において、核兵器並みの強みとなるに違いない。
庭では、人に見られたくない恥ずかしいものをピカピカのクリスタルに閉じ込められて、うちの欅に吊るされた連中が、半べそをかいてうろうろしている。
夜中だし、人んちの敷地だからという気兼ねだろう、奴らは割合静かである。
だが、どうしても気配はする――ママゴンが気づくのは時間の問題だ。
(一刻を争う事態)
迷っている暇はなかった。
わたしは首にマフラーを巻いて、窓に足をかけた。
うちの欅は、ご近所でも評判の巨木。
夜空に突き立っている。
いつもは闇の魔王の様な風格を醸し出しているのだが、今日は世にも恥ずかしいピカピカクリスマスツリーとなっていた。
ピカピカ、クリスタルに封じ込められた飾り色々。ひゅおおと冷たい風がつき、欅の枝が揺れる。
同時にピカピカ飾り達も揺れた。本当に色々ある。窓から見えるだけで、色とりどり、多種多様な恥ずかしいものが吊るされていた。
「あなたを思って飲む朝のミルクティー。ハートの湯気でアイラブユー」
死んだほうがましな、恥ずかしい書きなぐりのポエムとか。
クリスタルに閉じ込められて、標本のようになっている、股のあたりが黄色く濡れたブリーフとか――やや、よく見たら名前が書いてある、ほうほう、4年2組、騒音太郎……。
目の上のたんこぶの弱みを見つけて、わたしはニヤーとした。
さて、部屋の窓と欅の太い枝は、そう離れていない。
実はママゴンの目を盗んで気晴らしに、勉強をサボって窓から欅の枝に脱走したこともある。
あったかい季節なら、欅の枝はとても良い隠れ家だ。風のよそぎと蠢く緑の木漏れ日。
枝に腰掛けて空を見上げれば、ああもう勉強なんてテストなんて何だ、という気分になれるものだ。
しかし今は、悪夢のピカピカツリーである。
今にも飛び移ろうとするわたしに気づき、肩のカラスが怯えた。
「なにするカー」
煩いよ、耳元で騒ぐなカラス野郎。
わたしは片方の腕で窓枠につかまり、もう片方の手でカラスの頭をおさえつけながら、できるだけドスを効かせた声で言ったのだった。
「何がどうなってうちの欅がこんなことになっているのか、後で聞かせてもらうかんね」
眼鏡の下から切れ長の目で睨んでやった。この睨みには自信がある。ホラー映画みたいだからやめなさいと、小さい頃、ママゴンによく怯えられたものだ。
カカッ。
喉になにかを詰まらせたような声をたてて、カラスは目を白黒させる。だらだらだらだら汗が体を這いまわっている。
氷砂糖みたいに溶けるんじゃなかろうな?
なにをするかって?
にやり。
思わず零れた笑い。横目で見たら、カラスはガクガクブルブルと悪寒を起こしたように震えている。
怖いらしい、わたしの笑みが。
「この、眼鏡山天才子が0点を取ったなど、誰にも知られてはならない。だから、これから奪還に行く」
欅に飛び移って、どこまでもよじ登って見つけてやるんだよ!
知らずに鼻息が荒くなる。そうだ、絶対に誰にも知られてなるもんか。
今は夜だからまだいいが、朝になれば嫌でも目に付く。
近所じゅうの人が、この恥ずかしいツリーを見てしまうのだ。
もちろん、うちのママゴンも。
「いやだから、恥ずかしいと思っているから恥ずかしいのであって、ピカピカ輝く美しいものにかえて曝け出せば、秘密なんかなくなるじゃないカー」
カラスめまだ言うか。
わたしは片手で奴の頭をぐいぐい押さえてやった。
「おまえね、見てみなさいよ」
あれを。
あの、燦然と輝くピカピカの恥ずかしいジュエリーを!
うさぎ柄の毛糸のパンツ、しかも名前入りだとか。
誰某君に当てて書いたけれど、未だ渡せていない恥ずかしいラブレターだとか。
おねしょしたシーツだとか。
それらがみんな、クリスタルに包まれて、見事にピカピカと曝されている。
もちろん、わたしの0点も!
「あれが、ピカピカ美しいのかよ」
ただただ恥ずかしいのがマシマシになっただけじゃないかっ、ええっ?
カラスは黙った。
納得したわけじゃないだろう。奴の中では、恥ずかしいものこそ晒すべき、という訳の分からない理論が固まっている。
「0点を取り戻して、粉々にして、チャッカマンで焼き払う」
一言一言かみしめるようにして、わたしは言った。
そうだ、さっさとそうすれば良かったのだ。ぐずぐずと隠し持っていたから、こんなことになってしまったんだ。
(今度から恥ずかしいものができたら、即刻焼いてやる)
「それだけじゃないよ、よく聞きな」
ひらっと窓から枝に飛び移り、頼もしい欅の幹にすがりついて、わたしは言った。
「騒音太郎のしょんべんたれパンツと、気野つよ子の黒歴史を奪い取って、なにかあるごとに目の前にちらつかせて脅迫するのだ」
なんてことを考えるカー、あんたは悪い子なのカー。
肩に止まったカラスは、ばさばさと羽ばたきながら叫んだ。やかましいよ。片手でぺちんと叩いてやったら黙った。
ざわざわ。ざわざわ。
足元では、自分の恥ずかしいものが手の届かない高い枝に吊るされていて、どうしようもなくうろうろしている連中が蠢いている。
「ああーん、あんなもの誰にも見られたくないよう」
「見られる位なら死んだほうがましだー」
しくしく泣きだす子もいるようだ。
じろっとカラスを睨んでやった。これでも、自分のしたことが、町の悩める子供たちの救いだと言い張るか。
目が合うと、カラスは視線を泳がせる――なにが百年に一度のサービスだ、なにが恥ずかしいこともピカピカにすれば怖くはないカーだ――ふんっと鼻を鳴らしてやると、カラスはびくうと固まった。
些細な物音にも怯えてやがる。小心カラス。
それにしても、こいつは一体何者なんだ。魔法のカラスか。
足元の連中は、次第に集まり始め、ひそひそ何かを相談し始めたようだ。
ふん。地上の愚民共も、知恵を出し合って足らぬ考えをまとめようとあがいているではないか。
(どうにかなるなら、ぜひとも頼みたいところだ)
「……さてと、まずは、あれからだ」
すぐ頭上の枝に吊るされ、風に踊ってくるくる回っているピカピカな黒歴史。
汚いパンツの標本――騒音太郎の黒歴史である。
騒音太郎め。
おまえの恥ずかしい秘密、わたしが預かってやるぜ。
(くそ、今までの恨み思いしれ、この放送局坊主が)
「イッヒヒヒー」
無意識にわたしは笑った。




