心休まる友人との一時
「今、手を合わせていただきますってやっていたでしょう?」
はにかんでサリーが回答を述べる。
「ああ、なるほど」
そういえば、食事の前後に手を合わせるのは日本の風習だった。
意識したつもりは無いが、並べられたご馳走を前に俺はついつい手を合わせていたらしい。
「あんたも元日本人?」
ふとした所作から俺の出身を言い当てたサリーに対し、当然のように疑問が沸く。
「いえ、違います。仲間に日本出身者が居るだけですよ」
首を振って答えるサリー。
「へえ」
気弱だが、細かな所にも目端が利く人間らしい。意外と侮れない。
食事という憩の一時が終わり、俺とサリーは再び城壁門へと向かった。ちなみにアッシュは当然の如くどこかへ行ってしまった。
「空振りか」
群青の夜空の下には門番が二人だけ。サリーの待ち人らしき存在は見当たらなかった。
「ええ」
肩を落としうなだれるサリー。
「一晩待って仲間が戻らなかったら協会に相談してみます」
落胆しつつも、どうするべきかを考えた彼女が顔を上げて意見を述べる。
「それがいいな」
俺たち地球世界出身者が切拓者としてこの世界で活動する上で、各種のサポートをしてくれるのが転生者協会だ。
「今日はありがとうございました」
深々とお辞儀をするサリー。
「いやいや。こちらこそ、ご馳走様でございました」
俺はわざとらしい大げさな動きで頭を下げ、礼を返しておく。
「それにしても、アッシュさんの食べっぷりには驚きました」
軽い興奮と驚愕の入り混じった顔でサリーがしみじみと呟く。
「あれにご飯を奢るなんて自殺行為だったろう?」
冗談めかした物言いでおどけてみせる。
「ですね。今後は気を付けたいと思います」
苦く笑い、サリーが俺の言葉に頷く。
落ち込んでいる彼女に対し、仲間は無事さと励ましてやるべきなのかもしれない。
だが俺には、根拠のない激励を送ってやることが出来なかった。
「俺はそろそろ宿舎に帰るよ」
「はい」
「……縁があったらまたな」
俺は右手を上げて別れを告げる。
「はい、またお会いましょう」
宿舎へ帰ろうと回れ右した際に、サリーが再び頭を下げる姿が目の端に写った。
「おかえり、エッジ」
部屋へ戻ると、温かみのある声が俺を出迎えてくれた。
「ただいま」
奥の部屋からひょっこりと顔だけを出したドルムンに挨拶を返しておく。
現在、俺の住処となっている年季の入ったこの木造集合住宅。転生者協会が所有しており、切拓者は格安で部屋を借りることが出来るようになっていた。
俺たち若手の切拓者にとっては非常に有難いことなのだが、一つだけ難点が。
「エッジ、冴えない顔しているけど、どうかしたのか?」
一人部屋ではなく、相部屋なのだ。
陽気な笑顔で俺を迎えるドルムン。鳥の巣のような癖のある膨らんだ茶色の髪をした彼は、少し垂れ目で鼻も口も大きく、一言でいえば愛嬌のある顔をしていた。
どちらかというと、女よりも男に好かれるタイプだろう。
「愉快なお顔のドルムンくん。冴えない顔ではなく、儚げで端正な顔と表現してくれ」」
同居人であるドルトンと、いつものように軽口を交わす。
「いつも冴えない顔をしているエッジが、俺はわりと好きだぜ」
「なんだそりゃ」
「はっはっは!」
歯を見せて豪快に笑うドルムン。つられて俺も笑顔になる。
同じ部屋に居るのがアッシュのような人格破綻者でなく、人の良いドルムンだったのは幸運だった。
「まあまあ、ひとまず飲もうではないか」
数少ない俺の友人であるドルムンが杯に葡萄色の液体を注ぎ、俺に差し出してくる。
「一杯だけな」
誘いに乗りつつも、明日の行動に支障がでないよう嗜む程度に留めておく。
二日酔いの状態でアッシュと一緒に行動するのはとても危険だろう。化物ではなく、相棒の無茶によって俺の人生の幕が引かれかねない。
「で、どうだった、宵の森は?」
ドルムン促され椅子に座ると、彼自身も俺と向かい合うように卓を挟んで椅子に座った。
男二人の重さに古い床板が軋むと、床なりというしみったれた悲鳴があがった。
「最悪だった。ドルムンも是非一度行ってみるといい」
「はは。飲んで忘れちまえばいいさ」
お互いが杯を持ち上げ近づけていく。軽く接触すると子気味の良い乾いた音が鳴った。
「ドルムンはいつもそればかりだな」
口をつけて赤黒い液体を喉に流し込んでいく。
酒の違いが分かる程に、転生前の俺は歳を重ねてはいなかったが、この葡萄酒が、高い酒ではないということくらいは分かった。単なるほろ苦い飲み物だ。
「酒好きのドルムンくん。今日の活動はどうだった?」
同時期に転生した友人に質問を返す。
ちなみにドルムンは、他の同期たちと一緒に、三人でパーティを組んでいる。
「俺はいつも通り、仲間たちとのらりくらりだな」
気の良い同居人が歯を見せてにっこりと笑う。
「気楽なものだな」
厳しい戦いばかり繰り広げている俺からすると、仲間とマイペースに活動していると言ってのけるドルムンが、少しだけうらやましかったりもする時がある。
「俺はお前たちとは違うさ」
杯をあおり、葡萄酒を飲み干すドルムン。
「今日もアッシュのせいで、しなくてもいい無茶をする羽目になったよ」
俺は葡萄酒がたっぷりと入った水差しを手に取り、空になったドルムンの杯に注いでいく。
「だが生きるか死ぬかの毎日を繰り返していくうちに、今やお前たちは若手一番の期待株と注目されるようになったわけだ」
おかわりの葡萄酒を注がれたドルムンが、杯を僅かに傾けて感謝の意を俺に示す。
「まあ、な」
友人に向かって愚痴を吐き出していると、思わぬ正論が返ってきた。
俺はアッシュと一緒に居ることで、あいつの持つ底知れなさを何度も目にしてきた。
無謀な戦いこそ至福の喜びとするアッシュの精神は、異質に過ぎて常人では持ちえない。
一方で、十年ほど前から転生者が出現しているこの世界の中で、後追いである俺が先駆者たちに並び追い越す為には、普通にやっても無理だろう。
それこそアッシュの求める極限の戦いを生き残り続けるでもしない限り、年月の差は埋められない。少なくとも俺はそう考えている。おそらくアッシュも似たような考えを持っているだろう。
「だったらよしとしようじゃないか、期待の若手くん」
再び杯に口をつけたドルムンが再び歯を見せてにやりと笑う。
「はん。一度ドルムンも俺たちに付いてきてみるか? 死ぬほど愉快だぞ」
軽口を叩きつけつつ、冗談交じりに勧誘を試みる。
酔狂な毎日にドルムンを引きずり込むのは気が引けるが、気の合う仲間が欲しい。
「有難い誘いだが遠慮しておく。何しろ話をきいているだけでも寒気がするからな」
自らの身体を抱きしめ、わざとらしく震えるドルムン。
俺の勧誘はやんわり断られてしまった。
「だろう?」
友人の大人な対応に感謝しつつ、俺もおどけて応える。
「はは。だがエッジはぶつくさ言いながらも、結局は明日もあの偏狭者と行くのだろう? 俺にはとても真似出来ない」
ドルムンの言うとおり、俺は明日も明後日もアッシュと行動を共にするつもりだ。
あいつといると、凡庸な俺でも特別な何者かになった気がするのだ。もれなく生命の危機が付いてくるのが致命的ではあるが……