慰めの香茶
同居人の居ない部屋に到着すると、当たり前だが静けさが漂っていた。
気を抜くと、ドルムンを失ったという喪失感に苛まれそうになるが、卓の上に資料を広げ新人殺しについて思考を巡らせることで、強引に意識をそちらへと持っていく。
「……」
黙々と九人の被害者について書かれた資料を読み込んでいく。
が、やはり犯人を絞れるような手がかりは見つけられない。
眼を皿のようにして資料を眺めてみても、共通点が新人・若手であることしか見つけられないのだ。考えあぐねていると、控え目に扉を叩く音が。
「エッジさん」
聞き覚えのある声に反応し、俺は部屋の扉へと近づいていく。
「ファニア、どうしたんだいきなり?」
僅かに扉を引くと、そこには俺がよく行く料理屋の看板娘であるファニアの姿があった。
「友達が亡くなったと聞いて、エッジさんのことが心配になってしまって……その、思わず押しかけてしまいました」
下を向いておっかなびっくり言葉を紡ぐファニア。
「そうか」俺は思いもよらぬ闖入者に驚いたが、すぐに彼女の温かい心遣いを嬉しく思った。
「その、お邪魔でしたら帰りますけど」
よって調査の邪魔になるとしても、ファニアを無碍にすることなど出来るはずもない。
「いや、心配してくれてありがとう」
俺はぎこちない笑顔をファニアに差し向ける。
「よかった。お茶持ってきたので飲んでください」
ファニアは持参してきた革の水筒からコップへ冷たいお茶を注いでいく。用意のよいことだ。
「ありがとう」
礼を言ってから出された茶を飲み込むと、喉から胸へと心地良い冷たさが降りてくる。すると昂ぶっていた気も少しずつ落ち着いていった。
茶を注ぎ終えたファニアは、俺の向かい側に座り、背筋を伸ばして資料を読み込む俺を黙って眺めていた。
「新人殺しの資料なのだけど、ファニアも読んでみる?」
なんとなく声を掛けてみる。
「いいのですか?」
すると意外と乗り気な模様。
「ああ。二人で読めば、別の視点から何か新しい発見があるかもしれないからな」
俺はもっともらしい理由を述べ、自分が読んでいない資料の一部をファニアに手渡す。
「もし何か気が付いたことがあったら教えてくれ」
感傷的な俺よりも、第三者であるファニアの方が曇りのない視点で物事を見極められるかもしれない、
「はい」
頷いたファニアが資料に目を通していく。
黙々と資料を読む俺とファニア。しばらくの間、静謐な空間に時折紙を捲る音だけが響いていった。
「こうして調べているということは、エッジさんは新人殺しを捕まえるつもりなのですよね?」
俺が大きく息を吐き出したところで、ファニアが口を開いた。
「ああ、そうだよ」
「気を付けてくださいね」
「ああ。心配してくれてありがとう」
静寂の合間に、ぽつりぽつりと会話が挟み込まれていく。
「なんだか気にかけてもらってすまないな」
「エッジさん。そういう時は、謝罪ではなくお礼を言うべきです」
そう言いながら、口を尖らせるファニアは愛らしかった。
「ん、そうだな……どうもありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
控え目に微笑むファニア。
傍に彼女が居るというだけで、気分が落ち着く。
俺はファニアと何度か話しているうちに、未だに頭に血が上っていたことを自覚した。
今は落ち着いて冷静に資料を読むべきだ。沸騰した感情は必要になる時がくるまで抑えておけばいい。彼女のおかげで改めてそのことに気が付いた。
「それにしても、エッジさんって全然強そうには見えないですよね。 切拓者の方が持っている逞しさがまったく見受けられないというか……」
「身体の線も細いし、弱そうにみえるだろう?」
言われた俺は自嘲気味に笑う。
彼女の指摘は周りからもよく言われることであり、自身でもつくづく感じていることだった。
「実はそう思っていました」
あどけない少女のように、ファニアがはにかむ。
「おいおい、そこは気を遣って慰めの言葉の一つでも贈ってくれよ」
彼女の完全肯定に、俺は胸に手を当てて大げさに嘆いてみせる。
ファニアと話しているうちに、俺にも冗談を言えるくらいの余裕が出てきたらしい。
「ふふ。でもそういうエッジさんだからこそ、私は親しみが持てるのです」
楽しそうに屈託のない笑みを俺へと向けるファニア。
「そりゃどうも」
彼女の輝くような笑顔が、俺にはとても眩しかった。
「いえいえ、どういたしまして」言いながら会釈する彼女。
実の無い言葉の応酬だったが、不思議と心地良かった。
気分も転換出来たところで、再び意識を資料に集中。
「だめだ、いくら資料を眺めても犯人像がまったく絞れない」
するも、どうにもならず天を仰ぐほかなかった。
「せめて次に狙われる人物が分かればいいのですけどねえ」
大きく腕を伸ばす俺の前で、ぽつりとファニアが呟く。
「まあ、それでもいいな」
彼女の言うとおり、新人殺しの次の標的が分かれば、対策を講じさらなる被害者が出ることを防ぐことが出来るし、上手くいけば犯人も捕らえられるかもしれない。
犯人像が分からないのならば、標的を予想し先回りして保護、または囮にするという発想はおおいにありだろう。
「というか、むしろそっちの線で探った方がいいかもしれないな」
簡単なことなのになぜ思いつかなかったのだろう。
怒りのあまり、一つの物の見方に拘ってしまっていたのかもしれない。反省しておこう。
「それで次に新人殺しが狙いそうな人物は……」
ファニアの眼が輝き俺に期待の眼差しを向ける。
「――それが分かれば苦労はしないよな」
苦笑いがこぼれる。
「ですよねえ」
俺に釣られてファニアも苦々しい顔をする。
あくまで新たな発想が出たというだけで、捜査の進展は結局していない。
「実は前から気になっていたことがあるのですが、事件とは関係の無いことを一つ質問しても良いですか?」
彼女が上目遣いで俺に許可を求めてくる。
「どうぞ。ちなみに彼女はいませんよー」
ファニアのおかげで昂ぶっていた気も落ち着いたし、新たな発想も得られたので、冗談を言う余裕が出てきた。
「エッジさんは異形どもと戦うことが恐ろしくはないのですか?」
すると
「それは昨日聞いたので知っています」
と律儀に答えてから、ファニアが言葉を紡いだ。