相棒の思惑
相棒に対する言葉を聞いてから密かにアドバイスを期待していた俺に贈られた言葉は、助言ではなく妄言だった。
「ふふ。ではまた」
俺の怒声を華奢な背中で受け流し、サリーヌは森の中へと消えて行った。
「どっと疲れたな」
ハラハラドキドキ、さらにはびしょ濡れになった俺は盛大にため息をつく。
「良い経験だった」
一方で、かつてない強者と剣を交えたことが嬉しいらしいアッシュは、すっかりご満悦な様子。
「ああそう」
つくづく意見が合わない相棒に、どうでも良い返事を投げる。
「それに腹も減った。強敵に完敗した腹いせに、たんと馳走を喰らうとしよう」
なんとも不吉な言葉が返ってきた。俺は思わず手に入れた小切手を強く握りしめ、ヨモスブルグへと帰ったのだった。
街へ戻った俺は、さっそく銀行へと向かう。
小切手を窓口に呈示したところ、資金化に二日かかる、つまり現金を手に入れるのは最短で明後日になるという驚愕の事実を知ることとなってしまった。
「ままならないな」
もしやこれもサリーヌの嫌がらせかとも思ったが、そう考えた時点で負けた気がするので大人しく我慢することにする。
小切手の資金化には時間が掛かるという新たな知識を得たことでよしとしておこう。
「おい、食事はまだか?」
銀行を出ると、アッシュが子供のように己の欲求を声にしだす。
「待ちきれないなら一人で食べて来い、この大飯ぐらい」
この大食漢と割り勘でご飯を食べるなど、到底割に合わない。
一人で食べた方が俺の財布に優しい。
「残念ながらお前がいないと、美味しい料理も喉を通らなくてな」
並んで歩くアッシュが、口の端を歪め、嘲りの笑顔を作ってわざとらしく述べる。
「金銭的な理由だろうが」
相棒の不吉な笑顔の理由に気が付いてしまった俺は、きっと苦い顔をしているだろう。
過大な食費を俺にも負担させるために、アッシュは殊勝な言葉を並べただけだ。
「それ以外に何があるのだ?」
心外とばかりに肩を竦めるアッシュ。心外なのは俺の方だぞ。
「考えるまでもなく何もないな」
これ以上の会話は無駄だと悟った俺は、大人しく馴染みの店である《切拓者の胃袋》へと足を向けた。
「いらっしゃいませ! あ、エッジさん。来てくれたのですね!」
店の中に入るや否や、快活な声が俺を迎えた。
「よう、ファニア。今日は居るのだな」
目の前には肩の辺りで切り揃え垂れた亜麻色の髪をした、人気女店員ファニアの姿。
茶色の垂れ目の下には形の良い鼻とこぶりで慎ましい唇。若干あどけなさが残る顔は一言で言って可愛い。
「はい! 昨日お休みもらったので、今日は元気ですよー!」
腕を振って元気さを誇示するファニア。
大きく前の開いた胴衣とブラウスの下からは。豊かな胸が存在感を示している。胴衣は腰の辺りでぐるりと紐が回され括られている。踝まであるスカートの上には浅青色のエプロンを身に着けており、ディアンドルという、地球世界ドイツの伝統的な娘衣装は、ファニアのスタイルの良さと可愛らしさを際立出せていた。
明るく無邪気なファニアを見ていると、ろくでなし共ばかりを相手にして荒んでしまった心が洗われていく。気がする。
「いいねえ。その元気を俺にも分けて欲しい」
空いている席に通された俺は、話をしながら椅子に座る。
「仕方ない、特別ですよ。私の元気を分けてあげましょう、えい!」
ファニアの小さな両手が俺の手を包み、力が籠められる。
俺の右手が温もりに包まれていく。
「どうです、元気でました?」
ふと手を離したかと思うと、ファニアが屈託のない笑顔で真っ直ぐに見つめてくる。
「ああ。おかげさまでな」
久しぶりの柔肌の感触に、恥ずかしながら鼓動が速くなっているのを感じる。
「それなら良かった! では注文が決まりましたら呼んでくださいね」
ファニアはお決まりの言葉を並べると、小走りで去っていった。
「お前、ああいう女が好みなのか?」
じっと俺とファニアのやり取りを眺めていたアッシュがふと口を開いた。
「どうでもいいだろう」
ファニアのような元気で可愛い女は、俺だけでなく世に居る男の大半が好むものだと思う。
ともあれ、他人に興味がないはずの相棒にしては珍しい質問だ。だからといって答えてやる義理はないが。
「私の経験からすると、あの手の女はお前には荷が重いと助言しておいてやろう」
たまに他人に興味を持ったかと思えば、碌なことを言わないな。
「大きなお世話だ」
アッシュのした経験とやらが少しだけ気になったが、聞いてしまうと惨めな気分になりそうだったのでやめておく。
「……」「……」
料理を注文し、出来上がるのを待っている間、話すことも無いので沈黙が続く。
賑やかな店内は、ひっきりなしに様々な話が飛び交っていた。
「巷では新人殺しの話題が熱いらしいな」
その中でも多くの人間が声に出している話題をアッシュへと振ってみる。
「ふん、ひよっ子ばかりを狙う、腑抜けた輩など興味もない」
予想通りの素っ気ない言葉で会話は終了。仲間である俺とコミュニケーションを取ろうとする意思がまるで感じられなかった。
「ちなみに、新人殺しの懸賞金もあがったらしいぞ」
が、そうなる事を予想していた俺は、すぐにアッシュの興味を惹けそうな言葉を付け加えてみる。
「話を聞いてやろう」
ほら乗ってきた。
恥と言う概念を置き去りにしいているアッシュは、自分の意見を翻すことに躊躇いがない。
「新人殺しとは、名前の通り、訓練期間を終えて間もない切拓者ばかりを狙った殺人のことだ。分かっているのは、犯人が人類だということくらいか。捜査はあまり進展していないらしい。警察士も俺たち転生者が関わる事件には消極的だからな」
俺たち地球出身者絡みの事件は、様々な火種が燻っている。
この世界の法の番人である警察士も、出来れば厄介ごとには首を突っ込みたくないらしい。
故に、協会が賞金を懸け、切拓者である俺たちに、捕まえさせようとしているわけだ。
「で、懸賞金はいくらだ?」この相棒は殺人犯よりも金に興味があるらしい。
「五十万ゴル」
「よし。その新人殺しとやらを我々で狩ってやろう」
砥がれた刃の如き剣呑な光がアッシュの瞳に宿る。
五十万ゴルという、三か月分以上の生活費に相当する金額に、相棒の戦意も高揚しているようだ。
「相手は人だ。子鬼のようにはいかないぞ?」
逸るアッシュに釘を刺しておく。
突っ込むことしか頭にないこいつを御するのが俺の役割だ。
「そいつは重畳」
俺の注意を耳にした相棒が不敵に笑う。
残念ながら俺の言葉は火に油を注いだだけだったらしい。