第二章 日常Ⅲ
チュンチュン
小鳥のさえずりが聞こえる。
町はまだ静かなので、よりその音が聞こえてくる。
高木護、泉宗親、木田隼の三人はいつものように登校していた。
「んー、良い朝だ。君たちもそう思うだろう?」
「そうだねー、護っち」
「こんな朝は何か良いことが起こりそうだな!」
「………」
「………」
「ちょ⁉何で二人とも黙るのさ⁉」
この三人の付き合いは幼稚園の頃からである。
当時、今と全く同じで悪戯好きだった宗親と、今と全く違っておとなしかった隼に、護が声をかけたのが最初だった。
「いや、そうは言われても…」
「隼っちがそう言うとね…」
「何だよー、俺が言うこと全部そっちの意味みたいにさぁ」
「ちなみにさっきのはどうなんだい?」
「まあ、さっきの言葉はそういう意味なんだけどね」
三人が住んでいるのは町の南部。
中原にある商店街の脇に並ぶ、僅かな住宅だ。
そこは大芸とは違い、新しい建物が多い。
護たちは待ち合わせ場所から商店街への、僅かな道を歩いていた。
「やっぱりか。全く隼っちは……っしゃー!なら僕もやる‼悪戯の相手はどこだー‼」
「女の子はどこだー‼」
「…君たちは本当に……ん?」
前を行く二人の行動に半ば呆れながら、しかし僅かな笑みを浮かべながら護は歩く。
そんな中、護は何かに気付いた。
「今…、何か聞こえなかったかい?」
「え?」
「そう?何にも聞こえてないけど…」
宗親、隼には聞こえていない。
「いや、確かにこっちから…」
それでも護は今いる道の脇、暗い小路へと歩いていく。
その後ろに宗親、隼が続く。
「え¬ーと……ほら!」
「おっ!」
「猫か!」
「そうだね。ほら、僕の言った通りだろ?」
笑いながら話す護の腕には、一匹の黒い子猫が抱かれている。
「黒猫かー…何か悪いことが起きないか心配だなぁ…」
「何を言う!それじゃあ黒猫が可哀想じゃないか‼」
護は大声で叫んだ。
その声が、当たり前の様な小路の静けさに吸い込まれていく。
「わ、悪かったよ護っち…」
「さすが護。とことん正義の男だな」
「全く…『黒猫』と『悪いこと』を短絡的に結び付ける考え方は、どうかと思うよ。だって黒猫は何も悪いことなんてしてないのにさ…。ほら、二人とも。こっちに来て見てごらんよ」
―チャン
「よーし、どれどれぇー」
―チャン
「どうだい?可愛いだろう」
―ガチャン
「そうだなーって、あれ?護っち、後ろに…?」
―ガチャン‼
「ん?後ろって何―」
「……」
救急車の甲高いサイレンがだんだん遠ざかっていく。
いつもは学校へ向かう子供たちや、開店し始める店先からの声で騒がしくなる時間帯だが、今日は違う。
「……」
薄暗い小路を取り囲むように野次馬の輪ができていて。
その声が、喧騒が。
ただ空しく響いている。
「……」
そんな中竜馬達三人は、野次馬の輪から少し離れた所で黙って立っていた。
ニャー
拓摩の腕の中で黒猫が鳴いた。
「…何で」
竜馬は呟く。
「何で護なんだ…?」
彼は一昨日、出会ってからの高木護の姿を思い出していた。
『はっはっは‼』
一番に浮かんでくるのが、あのやけに耳に残る笑い声だった。
一瞬ひきつったような笑いがこみ上げてくるが、すぐに唇を噛んで押し殺した。
「どうして…あんなに楽しそうだったのに…」
「………」
「………」
拓摩も航輔も、何も言うことが出来ない。
護は背中をバッサリと斬られていた。
血の量が半端でなく、竜馬達素人目から見ても明らかに危険な状態に思えた。
やって来た救急隊員は口々に大丈夫と言っていたが、流れ出る大量の血はどうしても『死』という言葉を連想させる。
「……あれ?」
「どうしたんだ、竜馬?」
そんな時竜馬はポケットの中の何かに気付いた。
「これは…」
黄金色の石。昨日黒いローブの男から渡されたもの。
昨日の晩、パジャマのポケットにあって以来、一度も見ていなかった。
つまりここにあるのが本当はおかしいもの。
だがやっぱり、それはどうでも良かった。
「竜馬、それ何だ?」
拓摩に問われたが竜馬は返さない。
『君は…力が欲しくないかい?』
「……」
「おい、どうした竜馬⁉」
「…欲しいよ」
今もしあの男に会ったならば、確実にそう言うだろう。
竜馬にはその確信があった。
「俺は絶対に許さない‼こんなことをする奴を…倒す力が欲しい‼」
竜馬は叫んだ。
周りなど気にせずに。
心に溜まったすべてのものを吐き出すかの様に。
「りょ、竜馬…」
「いきなりどうしたんだよ⁉」
当たり前の様に周囲はざわめく。
その中で竜馬の身に、いや身に付けているものに変化が起きた。
彼のポケットの中の黄金色の石が光となって消えたのだ。
しかし竜馬はそれには気付かなかった。
「……くっ…」
竜馬は泣いていた。
あの楽しかった日常がこんなにも簡単に崩れてしまうとは…。
そう考えると、もう堪えられなかった。
とはいえ、そのまま立っている訳にもいかない三人は、とりあえず学校へと向かうことにした。
「……」
「……」
「……」
誰も、何も喋らない。
昨日。今からおよそ二十四時間前にここを通った時とは、ひどい違いだった。
たった一日で、こんなにも世界は変わってしまったと。
そう思うくらいに三人は静かだった。
沈んだ心では足取りも重くなる。
進めと思えど進めない。
歩けと思えど歩けない。
結局学校にたどり着くまで、いつもの倍ほどの時間がかかってしまった。
「大丈夫か⁉」
「怪我はない?」
ゆっくりながらも学校までたどり着いた竜馬たち。
彼らが校門をくぐると同時に数人の先生たちが駆け寄って来た。
名前もよく分からない人たちだが、皆その行動、表情にあせりや動揺が見える。
「はい、大丈夫です…」
元気はないが、三人共に怪我がないことを確認して、先生たちは息をついた。
「とりあえず教室に入っててくれ」
「はい…」
力なく答え、指示に従う。
その間も竜馬達は無言だった。
教室についた彼らを待っていたのは、クラスメイト達による質問攻めだった。
「何があったの?」とか、「委員長が来てないんだけど何か知らない?」とか。
竜馬も航輔も、別のクラスの拓摩も。
ただただ「分からない」と答えた。
そう答えるしかなかった。
ただ何事もなくて、あの風景は。
あの残酷すぎる風景は夢であると。
ただ、そう信じたかった。
しかし―
「今朝、本校の生徒である高木護君達三人が襲われ、怪我をするという事件がありました」
急きょ入った全校集会での校長先生のその言葉によって、変わりようのない現実が告げられた。
「高木護君は重症ですが、一命は取り留めたとのこと。また一緒にいた泉宗親君、木田隼君は大きな怪我もないようです」
体育館に集まっていた全校生徒は静まり返っていた。
それは悲しみや恐怖によるものではない。
『無理解』
大半の生徒が最初の一文で思考を失っていた。
それは先ほどの、三人とも一命は取り留めたという言葉。
その言葉に対して何の反応もなかったことが強く物語っている。
『えっ…何それ?えっ…?』『ちょ、ちょっと待ってよ!』
そのまま理解することなく、ただ話を聞いているだけなら良かったのだが。
人とは悲しい生き物である。
理解したくない話であっても…断片的に聞こえてくる言葉が想像力をかきたて、現実を知らしめる。
そしてその『無理解』から『理解』への移行が…
「う、うわぁぁぁぁっ‼」
大混乱を呼んだ。
「大丈夫、大丈夫だから…」
体育館のあちこちからそんな声が聞こえる。
突然告げられた現実による動揺で、沢山の生徒が体調不良を訴えた。
また一部の生徒が大暴れし、数人の負傷者が出てしまった。
ざわざわと混乱の余韻が残る体育館。
「くそっ…」
竜馬は歯ぎしりをする。
僅かに俯いたその視界を横切っていく人影があった。
気分が悪そうな綺麗な黒髪の少女に、その体を支えるのは青緑色の髪に、同色の瞳の少女。
渡辺朋美と水連寺美影である。
二人はこちらに気付く様子もなく、そのまま出口へと歩いて行った。
その二人の様に体調不良や怪我をした生徒が次々と体育館から出て行ったため、人口密度は格段に下がっている。
拓摩、航輔の二人が竜馬のもとへ近寄って来た。
「大丈夫か、二人とも?」
「ああ…」
「にしてもこれは…」
仕方のないことだろうが。
一気に沢山の人が倒れてしまったため、全校集会など続けようがない。
今は何もすることがない、いわば空白の時間帯になっていた。
「………」
「………」
「………」
竜馬達はもちろん、ここにいる誰もがこんな事になるとは思わなかった。
思いもしなかった。
結局その日はすぐに下校という運びとなった。
いつものように三人での帰り道。
それでもやはり、彼らの足取りは重い。
親に迎えに来てもらう生徒が大半だった。
また自力で帰る人たちも、この恐怖から早く逃れたいと、バカみたいに帰途を急いだ。
竜馬達のようにゆっくり―ある意味大胆に―帰っているのはかなり珍しい。
まだ午前中だが、あんな事件があったためか人はほとんど見かけない。
まあ当たり前だろう。
朝の事件の犯人はまだ見つかっていない。
今もこの町に潜んでいる可能性が高いのに、なぜわざわざ家から外にでるだろうか。
「………」
「………」
「………」
やっぱり三人は黙っている。
心ここに在らずといった感じで歩いていたためか、彼らは今一番来たくない場所へとたどり着いた。
「あ、ここは…」
というか来てしまった、というべきか。
朝のあの場所。
今は黄色いテープが張られ、年配の警察官が見張りをしているため立ち入ることは出来ないが、確かにあの場所。
商店街へと続く道の脇にある、あの暗い小路だ。
「君たち、どうしたんだ?」
つい立ち止っていた三人に声をかけてきたのは、見張りをしていた警察官だった。
「あ、すいません…」
どうやら、やって来てただ立っているだけという竜馬達の行動を不審に思ったらしい。
「すぐに帰ります…」
「そうか、それならいいんだ」
見るからに落ち込んでいる三人の姿を見て、すべてを理解した。
「立ち止らず、早く家に帰るんだ。もし危なくなったらどこでも良いから建物に入れてもらいなさい」
「はい、分かりました…。行こう竜馬、航輔」
「あぁ…」
拓摩、航輔も足を進めようとする。
「……竜馬?」
しかし一人。
その場から動かず、会話にも全く耳を傾けていない少年がいた。
「……」
彼は…真田竜馬は、友人の呼びかけにも気付かない。
ただ一人、黄色いテープが張られ立ち入り禁止になった。
その暗い小路の奥を見据えていた。
―何か嫌な予感がした。
ただの予感だった。
それでも不思議と確信があった。
竜馬はじっと暗闇を凝視する。
「‼」
そして発見した。
小路の奥でうごめく影を。
「あの…」
「ん?」
「あの小路の奥、何かいます…」
「何…?」
年配の警察官は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに向き直った。
「ちょっと見てくる。君たちは待ってて」
腰付近につけていた通信機らしき機械に向けて喋る。
「…こちら笠原。救援要請求む」
笠原というらしい年配の警察官は、そのまま竜馬の示した小路へと歩いて行った。
待ったのは一分ほど。
しかしその一分間、竜馬は汗が止まらなかった。
―ドクン―
それは思い出していたから。
―ドクン―
今朝の、あの地獄のような光景を。
―ドクン―
そうして…嫌な予感が…
「……何もいないな…」
「あれ?そうです―」
「ほら、早く帰るぞ、竜馬…」
「―後ろだぁ‼」
「え?」
ズバッ‼
「あ、あああ…」
竜馬も拓摩も航輔も、ただそう呻くことしか出来ない。
その目の前で、先ほどまであれほど元気だった笠原という警察官が倒れこんだ。
「ああああっ!」
その奥から黒い影が姿を現した。
ガチャンという音と共に。
その両の目を獰猛に光らせながら。
そうして…嫌な予感が…的中した。