第二章 日常Ⅰ
「おはよー」
「おはよう、竜馬」
「……」
翌日、朝。
「航輔?」
「お前、また寝て…」
「寝てないよぅ…ぐぅ…」
「「寝てんじゃねーか!」」
今日もまた三人の幼馴染は同じように朝を始める。
昨日と同じ、春のいい日。
「ふぅ…」
「どうした、竜馬?ため息なんかついて」
「いや…」
「もしかして昨日の―モガッ⁉」
「ん?どうしたんだ拓摩?突然航輔の口塞いだりして?」
「いーや!何でもない!何でもないぞっ‼」
「んむっ!んむーっ‼」
そんな彼らの住んでいる地域。
竹前町の東部は大芸という名前で、主に住宅街が広がっている。
とはいえ、新しい住宅やマンションはほとんどなく、一昔前の屋根瓦等を残した家屋が多い。
そんな大芸は南部と北部に分けられる。
北部は住宅が密集しており、南部は水田の中にちらほらと建物がある感じだ。
ちなみに竜馬は南部、拓摩と航輔は北部に住んでいる。
「本当にどうしたんだよ…?何だか仲間外れにされてるみたいで、悲しいじゃないか…」
「大丈夫だから‼本当に心配するなって!」
見た目本気でへこんでいる親友を見て、慌ててフォローする拓摩。
そして、
「んむー‼んむぅー‼」
航輔はまだ口を塞がれて、もがいていた。
そうこうしている間に三人は商店街へたどり着く。
その辺りは西郷と大芸に挟まれた地域で、中原という。
この町にある全ての学校がこの中原にある。
北部に竹前北小学校と中学校、そして竹前高校が。
南部には竹前南小学校と中学校がある。
またそれら学校群をつなぐ様に商店街が走っており、連日の賑わいを見せている。
労働という観点では西郷の工場群だが、町の活気という観点では、ここ中原こそが町の中心となっていた。
今朝もいつも通りの賑わいを見せる商店街。
竜馬達はそこを練り歩く。
「今日は三人一緒かい!」
「そうだよ、おばちゃん…痛っ⁉」
「おばちゃんじゃなくて、お姉さん‼」
流石に歩きにくいということで、拓摩の拘束から解放されていた航輔は、八百屋のお姉さん―どう考えても『お姉さん』という年ではない―に頭をはたかれた。
「よ、相川のとこの坊主。元気か?」
「はい、元気ですよ」
「ところでなぁ…」
「どうしたんですか?」
「どこの相川さんだったっけなぁ…?」
「覚えてないんですかっ‼」
古本屋の主人のボケ―ただし割と本気―へと、鋭いツッコミをいれる拓摩。
「……」
そして竜馬はその後ろで微笑みながら歩く。
「あら、竜馬君。何だか嬉しそうだけど、良いことでもあった?」
と、竜馬も話しかけられた。
正しく彼らはこの商店街の人気者だった。
毎朝毎朝小学校、中学校とこの道を通い続けた三人にとって、この状況はただ普通のことなのだ。
「いやいや、そんなことは―」
(あれ…?)
咄嗟に振り返った竜馬の視界の端に、奇妙なものが映った。
それは人影。
黒いフードのようなものを被った人影。
明らかにそこにあるのが普通ではないもの。
(ん…いや、見間違いか…)
しかしそれが見えたのはほんの一瞬だった。
いざ改めてその場所を見てみても、それらしい人影はなかった。
「竜馬君?大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です」
「おいっ‼」
そのまま学校にたどり着いた竜馬達。
その眼前に一人の少女が歩み出た。
「昨日はよくもやってくれたな!」
金髪に乱れた服装。
見るからに不良みたいな恰好だ。
「と、まぁ昨日ののことは置いといて…。とりあえず今日は名乗りに来た!」
高らかに宣言する。
そこに竜馬達三人が迫っていく。
「私の名前は高槻光よ!じゃなくて…高槻光だ!覚えとけ‼」
「………」
「………」
「………」
一人はその存在に気付き、顔見知りと認知したうえで、
一人は存在に気付いたが、全く知らない人物だったので、
そして一人はその存在にすら気付かず、
「………」
「………」
竜馬達三人は金髪少女の横を素通りした。
「っ⁉…………おい…」
不穏な空気を感じる。
「何か…後ろから嫌な雰囲気を感じるんだけど。航輔さっきの人、知り合いか?」
「んあー…何がぁ?」
「んー、じゃあ竜馬は?」
「…知らないなぁ…アハハ…」
「アンタだよ、アンタ‼何が『アハハ』だっ‼」
「ヤバい‼めんどくさいことになる前に逃げるぞ、二人とも!」
「待てェ!今日こそ私の奴隷にしてやる‼」
キーンコーンカーンコーン
朝の予鈴の五分後、一時間目開始のチャイムが鳴る。
それとほぼ同時に、
「ま、間に合ったぁ…」
「りょ、竜馬…何、あの人?」
「知らないよ…昨日初めて会って、因縁ふっかけられて…」
「そうか…」
「うん…」
「…てかさ…」
「ん?」
「何で俺と拓摩まで逃げ回ってたんだろうな…?」
「さぁ…何でだろう…?」
「……」
「……」
「おーい、そこの二人。チャイムと同時に教室に入って来ても、入り口の所で座りこんでんなら遅刻だぞー」
教卓の向こうから一時間目の先生が声をかけてくる。
「「何ィ⁉」」
見事にハモッた二人の声にクラスがドッと沸いた。
「竜馬ァ―‼」
「…何だ拓摩、すごい形相で」
一時間目が終わった。
別のクラスから拓摩が駆け込んでくる。
「誰だあの金髪不良少女は⁉てか、二人とも疲れてるな!」
「おーう…」
「何かもうしんど…というか、眠い…」
「寝るな!航輔‼」
竜馬と航輔はだらんと机に寄りかかっている。
「全く…君たちはだらしないな」
そんな竜馬達の元に委員長、高木護がやって来た。
「…ところで君は?」
「相川拓摩。そこの二人の友達です」
「そうか…」
「……」
護は相変わらずに机に突っ伏している二人をちらっと見た。
拓摩は一瞬不穏な空気が流れた気がしたが…
「君は僕のクラスメイトの友人ということだね。つまり君は僕の友人だ!好きにこのクラスに遊びに来るといい‼」
「…あ、うん。分かった…」
「じゃあ僕は次の時間の準備をしてくるから、好きなようにくつろいでくれたまえ!」
「あ、ありがとう…」
拓摩は苦笑いを隠せなかった。
「何してるの相川っち?」
「おぉっ!女の子いんじゃん!」
と、後ろから新たな声が二つやってくる。
「泉、木田。来たのか」
拓摩がバッと後ろを振り向いた。
まず一人。
頬に絆創膏を貼った活発そうな少年。
「まさか相川っち…こんなところまで悪戯しに来たの?」
「いや、お前じゃないんだから…」
見た目通りしゃべり方も活発な彼の名前は、泉宗親。
「ひどい言い方だなぁ。まるで僕の生き甲斐が『悪戯』だとでも言ってるようじゃないか!」
「いや…その通りじゃないのか…?」
「うん、まあそうなんだけどね」
このように自他共に認める悪戯好きである。
「じゃあもしかして…スカートでもめくりに来たのか?」
もう一人。
茶髪で、髪が寝癖のように立っている少年だ。
「だから、違うっつーの!」
再び拓摩が答える。
「えっ⁉それ以外なら何しに来たの⁉」
「友達と話しに来たんだよ!ていうか、何だ!その『それ以外ありえないでしょ?』みたいな言い方はっ‼」
そんな彼の名前は木田隼。
俗に言うムッツリスケベ…
「え?その通りじゃないの?」
…ではない。
少なくとも“ムッツリ”の部分は違うと断言できる。
「あぁ…お前はそうだろうね…」
「拓摩…お前も疲れてるな…」
拓摩は、航輔がもたれかかっている机の余っている所に、親友二人と同じようにもたれかかった。
「おや…君もそんなに疲れていたのかい?」
次の授業の準備をしっかりと終わらせて、再び戻って来た護が清々しい様子で問いかけてくる。
「いやね…あいつらの相手してると…ちょっと…」
「あいつらって、一体どんな人の相手したらそんなに……ん?」
「「あっ‼」」
拓摩がのそりと示した方を見た護。
そしてその指された場所で、相変わらずはしゃいでいた宗親、隼両人は一斉に声を上げた。
「宗親に隼じゃないか!」
「おー護っち‼」
「護、このクラスだったの?」
「?」
「?」
「?」
机に寄りかかる三人組は、訳も分からず頭上に『?』を浮かべた。
「そう、何を隠そう僕たち三人は知り合いだったのだよ!」
「護っちと隼っちと僕の三人ね」
「昔からの親友なんだぜ!」
実は護、宗親、隼の三人も竹前町生まれだ。
しかし竜馬達とは面識がなかった。
その理由にこの町に小中学校が二つずつあるということがある。
それぞれに南と北があり、南は町の西部と中原の南部。
北は町の東部と中原の北部に学区を持っている。
ちなみに竜馬と拓摩、航輔の三人が北、護と宗親、隼の三人が南だ。
「「「へぇー」」」
竜馬達三人は納得の声をあげる。
何故か妙に誇らしげに胸を張る三人が印象的だった。
と、いう様子を傍から見ている少女がいた。
「………」
黙っているが、行動が忙しない。
よし、と意を決して竜馬達の話の輪に加わろうとするが…
「朋美ちゃん、行かない方が良いって。さっきスカートめくりがどうとか言ってたし…」
「そうよ!朋美ちゃん可愛いんだから気を付けないと!」
クラスメイトに肩を掴まれ、諭されてしまった。
少女―渡辺朋美は小さく「うん…」と呟くことしかできない。
昨日はありがとう
そう一言、言いたいだけなのに。
朋美は無駄に空気を読めてしまう自分に嫌悪感を抱いていた。
過去にも何度も何度も同じようなことがあった。
その度ごとになんとかしようとするのだが…中々上手くいかない。
昨日もそうだった。
竜馬と一緒に、会話こそなかったものの、共に帰った。
そしてそれだけなのに、素直に楽しいと思ったのだ。
なら話せば、一緒に色々なことをすれば、もっと楽しいはず。
その一歩として今日、お礼を言おうとしたのだが…
(でも話したいし…でも、多分話しに行っちゃ駄目だよね…。でも…でも…。あぁ!竜馬君はそんな人じゃないのに!)
という思いも、行動なり言葉なりで示さなければ意味はない。
朋美は諦めて席に座ろうとした。
「渡辺朋美さん…よね?」
その肩を叩かれた。
「な、何?」
はっと振り向くとそこには一人の少女が立っていた。
「渡辺朋美さん?」
「うん、そうだけど…」
「一つ聞きたいことがあるの」
「え、え?」
「あなた、真田竜馬君のことが好き?」
「……え?」
「………」
「えぇー⁉」
それまでは一体誰なんだろう?とか、名乗らずに質問するなんてとか。
思っていたが全部吹っ飛んでしまった。
「…どうなの?」
「うっ…‼」
ジッとこちらを見てくる瞳は綺麗な青緑色で、えも言われぬ力があるように感じる。
「…まあいい。分かってるし」
「あ、あなたはどうなのよ⁉」
その勝ち誇ったような態度に、そんな言葉がつい出てしまった。
「そうね…」
対してその少女は迷わず告げた。
「私は好きよ」
「……え?」
「……」
「えぇー⁉」
「待って、さっきと同じことしてる」
「ゲホッ!ゲホッ‼」
「大丈夫?」
「うん…大丈夫。でも好きって…」
「……」
僅かの間。そして続ける。
「確かに好き。でもまだ“LIKE”か“LOVE”かは分からない」
「はぁ…」
「それでね、」
「うん?」
「友達になりましょう」
「へ?」
さっと手が差し伸べられ、再びじっと目を見つめられる。
「え、えっと…その…」
この会話の中で何度目だろうか。
言葉に詰まってしまう朋美。
「…嫌?」
その様子を見て、少女の顔が一気に曇った。
朋美は慌てて答える。
「い、嫌じゃないよ!」
「そう?よかった」
少女の表情の曇りが晴れる。
朋美もまたつられて笑った。
「じゃあ自己紹介するね」
「あ、うん」
(忘れてたんじゃなかったんだ…)
「私は水連寺美影。仲良くしましょう」
「うん、そうだね」
再び美影は手を差し出す。
朋美はその手をしっかりと掴んだ。
「ひぃやっほぉーう!」
「っ‼」
「っ‼」
突然聞こえてきた奇声に驚く。
その声は…予想通り。
とある男子の集団から聞こえてきたようだ。
朋美と美影。
二人の視線は、その集団の中の一人の少年に注がれていた。




