~Before the chapter2~
その日の晩。
とある路地裏でのこと。
「もしもしー、今から帰るよー!」
一人の酔っ払いが携帯電話片手に大声で話していた。
「ごめん、ごめん。もう飯食ったから、しゃきに食べててねー!」
ふらふらとした足取りや、ろれつが回らないところから、明らかに酔っ払っていることが分かる。
こんな所を歩いているはずではないのだが、どうやら酔った勢いで、知らぬ間に来てしまったらしい。
「だからぁー、うわっと⁉」
ゴミ捨て用のポリバケツがひっくり返り、ゴミがこぼれる。
バケツの近くにいたネズミ達が暗闇の向こうへ走って行った。
「痛っ…ん?」
尻餅をついた酔っ払いは、そこであることに気付く。
「な、なんだ⁉」
遠くへ走って行ったネズミ達が、すごい勢いで戻って来たのだ。
もちろん彼にネズミの言葉など分かるはずもない。
だがそれでも何となく分かった。
(何から逃げてんだ?こいつら?)
酔っ払いは腰を上げ、ふらつきながらも暗闇へと歩き出した。
暗い。
僅かな明かりがあるが、数メートルの範囲しか見えない。
こんな所、いつやって来たかも分からない。
もちろんここがどこかなんて分からない。
チュー
…おや?何かの音がした。
一歩前に踏み出すと、何かが逃げて行くのが見えた。
灰色の体の小さな生き物。
彼にはその生き物の名前も、
自分の本当の名前すらも分からない。
ガタンッ
…また物音がした。
目線だけをゆっくりとそちらへ向ける。
「ひいぃぃ!」
逃げて行く人影が見えた。
その人の名前も分からない。
分かるのはただ一つ、
『殺せ』
…何を?
…どうして?
考えても分からない。
考えても分からないので、彼は考えるのをやめた。
暗い路地裏の世界に、ガチャンという金属音が鳴り響く。
両の眼は暗闇の中で怪しく光り、
右手の刃が鈍色の輝きを放っていた。




