第一章 物語の始まりⅣ
「はあ…」
竜馬は更にさらに疲れている。
先ほどの予想外の邂逅・再、及び壮大な勘違い(ミスアンダースタンド)もまた竜馬の体力―やはり精神的な―を奪っていた。
「はあ…」
やっと家への帰途につけたのだが、先ほどからため息ばかりだ。
学校の正門を出て、ゆっくりと歩く。
春の昼過ぎ。ヒラヒラと桜の花びらが舞っている。
ポカポカとした陽気が気持ちいい。
(このまま帰るまで何もないといいなぁ…)
とか思う竜馬だが…
「えーと…ここは…」
そうは問屋が卸さない。
彼の目の前に困っている女の子がっ!
「…またか…」
(何で今日はこんなにトラブルに遭遇するかなぁ、まったく…)
傍から見ればただの美味しい体験だろとか、ちょっとお前そこ代われだとか。
色々言いたいことはあるだろうが、それは置いといて。
確かにこれまでと同じような感じだが、前の二人とは完全に違うところが一つある。
それはその女の子の顔に見覚えがあるということだ。
大きな瞳と比較的小さな身長。
人形のようなという言葉がこれ以上に似合う少女を竜馬は見たことがない。
「……」
(まあ、この状況だしなぁ…)
ふと周りを見回す。
いつの間にか周囲には誰一人いなくなっていた。
(…さっきのことがあるから、話しかけ辛いんだけど…。まあいいか!)
何故かそこは前向き思考。
竜馬はとりあえず話しかけてみることにした。
「どうしたの?」
「えっ…あっ⁉」
困ってる少女こと渡辺朋美は、何やら見ていたメモ紙から目を上げるとすぐにこちらに気付いた。
「何か探してるの?手伝うよ?」
「いや…その…」
「ん、どうした?」
「……」
話しかけた途端取り乱したかと思えば、すぐに静かになってしまう。
その様子を見た竜馬は、僅かに心配になった。
「だ、大丈夫?体調が悪いとか…」
「……」
「とりあえず学校戻って、保健室行く?」
「…さ…」
「えーと…ん?」
と、変化が見られた。
「さ…さ、さ…」
沈黙からの『さ』の連続。
そして―
「…さっきはごめんなさい!」
「…へ?」
突然の謝罪に一瞬混乱したが、何のことか竜馬はすぐに理解した。
「本当にごめんなさい!」
「い、いやいや。こっちこそごめん!」
「え?何であなたが謝るの?」
「いや、そっちこそ何で謝るんだよ⁉悪いのはこっちだって‼」
「でもでも!」
「いやいや!」
―閑話休題―
「…はあ、はあ…」
「…ふう…」
二人とも息が上がって落ち着いたところで…
「…で、何探してたの?」
「えっ⁉」
驚いて、そして目を逸らす朋美。
「…何探してたの?」
竜馬は念押しのように確認する。
「えっと……ふぅ…」
朋美も最初は渋っていたが、やがて観念したように…
「実は…」
「実は?」
「家の場所が分からないの…」
「…はい?」
「…家の場所⁉」
「うん。引っ越して来たばかりで、道とかあまり分からなくて…」
「…朝はどうしたの?」
「朝は何とか…頑張って来たの」
「はぁ…」
成程、あの時は何とか商店街を見つけて、たどり着いた所だったんだな…とか思った途端、朝のことを思い出して頭をぶんぶん振る。
(いや違う!俺はロリコンじゃない!ロリコンじゃ…ってあれ?同級生なら大丈夫…?)
だとか、なんとか。
ちょっとずれてるような気がしないでもない事をあれこれ考えている竜馬に、朋美が話しかける。
「どうしたの?」
「い、いやっ!何でもない…。でもまぁ、引っ越して来たばかりなら迷うよなあ…」
竜馬の納得にはもちろん理由がある。
竹前町―特に中心部辺り―は、複雑な道が入りくねっているわけではない。
しかし、道が碁盤の目のように直角に、そして等間隔に走っているため、初めての人は迷路に迷い込んだかのように感じる。
また目立つ建造物も少ないので、何かを目印にして進むのも難しいのだ。
(とはいえ…)
探し物は探し物でも、それが家となれば探す難易度は大きく上がる。
何かを落としたとかならば、今日歩いた所を一通り回るなり何なりできるが…。
「せめて住所くらい分かってればなぁ…」
竜馬は呟いた。
そもそもこの町、竹前町には約一万戸の家がある。
先ほどの『しらみつぶし戦法』で探すのは…不可能だ。
「えっ…?」
しかし竜馬のその呟きを聞いた朋美は、あっさりと言った。
「住所なら分かってるよ?」
「……………………………………………………何だって?」
「?だから…」
もう一度。
「住所なら分かってるよ」
「………………………」
開いた口が塞がらないとは、よくぞ言ったもので。
今の竜馬は正しくその状態だ。
「どうしたの?」
朋美が話しかけてくる。
竜馬は非常に複雑な気持ちになっていた。
先ほどまでの悩んだ時間は何だったのか…?という気持ちと、その反面見つかるかも!という気持ちと。
何とも言えないこの感じはたぶん顔に出ているだろうと思ったが、目の前でこちらを見ている少女の顔にそれをうかがわせるような表情はない。
(…まあいいか、とりあえず―)
―とりあえず、色々言いたいこともあったがそれを飲み込んで―
「―行こうか」
「え?あ、うん」
というわけで。
竜馬は今朋美と共に西へ歩いている。
…どんなわけだよと言われそうなので、時間を僅かに遡ろう。
「えぇと…じゃあその紙を見せてくれる?」
「うん」
竜馬は差し出された紙切れを見る。
そこに書かれていたのは、
(西郷か…あんまり知らないんだよなぁ…)
『西郷』というのは竹前町の地名である。
あの幕末の有名人と漢字は同じだが、こちらは『にしごう』と読む。
町の西部一帯のことで、その西側はすべて海に面している。
大量の工場が海沿いに並び、日夜煙突から黒煙が上がっている。
民家自体は少ないが、沢山の人が工場に働きに出てくるため、車や人の往来は多い。
紙切れに書かれていた住所は、そんな西郷の東の端辺りだった。
「えぇと…」
「ん?」
と竜馬はあることを思い出し、朋美に話しかける。
「こっちから言っといてなんだけど…ちょっと時間かかるかも…」
あることとはズバリ、生まれてこの方ほとんど西郷には行ったことがないということだ。
地名から大まかな場所は分かったのだが、細かくは分からない。
こりゃあ一軒一軒本当に回るかも…と思い始めた竜馬に声がかかる。
「あ、いいよ全然。せっかく探してもらってるんだし…」
「うん…」と竜馬が短く答える。
「……」
「……」
(き、気まずい…)
二人の間に沈黙が流れる。
相も変わらず周りは静かなままだ。
こういう時は一度黙ってしまうと、何だか変な空気になって、さらに話だし辛くなってしまう。
自称『人付き合いがあまり上手くない』竜馬もそれくらい知っていたのだが…
(話題がないしなぁ…)
ほぼ横並び、僅かに後ろめを歩く少女の表情をうかがおうとするが、ぎりぎりで見えない。
とはいえ、振り向いてまじまじと顔を見るなんてことも出来ない。
更にその静けさが朝のこと思い出させ…
(そ、そもそもこんな感じで歩いてるのでさえ、ちょっと変なんだよな…。初めて会った、しかもあんな出会い方をした二人が…。うん!そうだよな‼)
という言い訳の元になった。
結局最初のその位置を変えず、一言も会話をせず。
二人は気まずい空気のまま、しばらく歩くこととなった。
そんな二人の様子を後方から見ている人物がいた。
「…おい、拓摩。押すなよ」
「いや押してないし。それより静かにしないと本当に気付かれるぞ」
拓摩と航輔である。
二人とも親から「用事がある」と言われて、先に帰っていたはずだが…。
「用事を速攻終わらせて戻って来たはいいものの…何か雰囲気的に出て行きにくいなぁ…」
「えぇー!別に出て行ってもいいじゃん‼」
「よくねーよ!」
拓摩は急いで帰って、急いで用事を終わらせて、急いで戻って来た。
「何で駄目なんだよぅ…」
対して航輔は、その手に手提げバッグを提げている。
彼の用事はずばりおつかいだ。
家を出て、買い物に行く途中で竜馬を見つけてやって来た。
そして「急ぎじゃないのか?」という拓摩の問いに「大丈夫!」とだけ答えて、ここにいる。
ちなみに『ここ』というのはある電柱の陰だ。
そんなこんなで今二人は、同じ電柱の陰で身を寄せ合っているのだが…
「…………………………」
「…………………………」
「……狭い」
「…俺の方が先にいたんだけど?」
「そんなの関係ないだろ!」
「いや、関係あるって‼」
…黙っていることは出来ないようだ。
そうして再び言い争いを始める。
「そもそも拓摩!何でこんな所にいるんだよ!」
「それはこっちのセリフだ‼お前まだ買い物の途中だろ⁉」
「それは関係ないっ!」
「いや、関係あるって…」
「あ、それより聞きたいことがあるんだけど…」
「ん、どうした?」
航輔が一枚のメモ用紙を取り出した。
というか、二人して言い争っていた先ほどとは全く会話のテンションが違う。
何だか変に感じる方もいるだろうが、これが彼らにとっての普通だ。
先ほどの言い争い(的なもの)も別に本気で怒ってのことではない。
「これ、何て読むの?」
「……どれ?」
「いや、だからぁ…」
航輔はきちんとメモ用紙の一部を指さしていたが、拓摩はあえてもう一度尋ねた。
そこには丁寧な文字で『お風呂用せんざい』と書かれていたのだ。
(うーん……)
拓摩はある意味困惑していた。
(たぶん航輔のお母さんが読めないだろうと思って、洗剤をひらがなで書いてるんだろうけど…。これで読めないということは、きっと航輔は『お風呂用』のところが読めないんだろう。ということは…)
「航輔…」
「ん?何て読むんだ?」
どうやら航輔は本当に分かっていなかったらしい。
拓摩は一瞬の溜めの後、すでに分かりきっていることを言い切った。
「お前、バカだろ?」
「…何ぃ……」
まぁ、そんなことを言えばこうなるのも分かりきっていた事であって…
「お前バカだろって言ったんだ!」
「うるさーい!バカって言う奴がバカなんだぞ‼」
…結局こうなってしまうわけだ。
「俺が二人を追いかける!バカには任せられん!」
「いーや、俺だ!」
ちなみに竜馬と朋美はもう見えなくなっている。
が、拓摩も航輔も気付いていない。
「何だとー‼」
「何度でも言ってやるよ!」
本当に本気ではないのだろうか?
少し心配になってくるが…。
さて、一方竜馬と朋美は…
「…………」
「…………」
まだ黙って歩いていた。
大分歩き、もうすぐ西郷に入るあたりまで来ている。
二人は黙りながら、それぞれの方法で探していた。
竜馬は紙切れに書かれた住所から。
朋美は周りの風景から。
(えっと…多分この辺かな…)
(確かこんな風景みたは…あっ!)
そして―
「ここだ‼」
「へ?」
「いや、まだだけど…。ここなら見たことあるなって」
「なるほど…じゃあもう帰れる?」
「うん!ありがとう‼」
見つかった途端に元気になったなぁと竜馬は思った。
と同時にやっと終わった…と安堵もしていた。
そして一人で喜んでいる朋美を見ると…
(本当に無邪気だなぁ…)
何だかさっきまでうだうだ考えていた自分が小さく見えてくる。
ふぅと一度息を吐いて振り向いた。
その背に声がかけられた。
「待って!」
「何?」
「あ、えーと…あのぅ…」
突然のことで、つい反射的にとげのあるような返事になってしまった。
朋美はたじろいでしまう。
「……」
竜馬も無言だが…心の中は…
(やっべぇ…怖がらしちゃったかな…)
「……」
「……」
二人の間の流れる沈黙を破ったのは朋美だった。
「…あ、明日からも仲良くしてね…?」
「…へ?」
「い、嫌?」
「え?えっ?」
突然そんなことを言われても…と思うのは普通だが、それでも竜馬は必死に応えようとする。
「べ、別に嫌じゃないよ!うん!」
「え、そう?」
「そうそう!」
「そっか―」
そして…笑った。
「―良かったぁ」
よく笑顔を『一輪の花が咲いた』とか例えるが、竜馬にとってそれは正しく大輪の花のように感じた。
別に声をあげて大笑いしているわけではない。
ただくすっと笑っただけだった。
「それじゃあまた明日!」
朋美は嬉しそうに去っていく。
足取りが軽快で、今にもスキップを始めそうだ。
そして竜馬は…ただ立ってその様子を眺めていた。
そして。
しばらく。
してからの。
「…いいや!俺はロリコンじゃないはずだ‼うん、そうだ‼」
道行く人たちの視線が痛かったが、そんなものは気にもならなかった。




