第二章 アイドルⅡ
コンコンッ
ノックの音が響く。その部屋は一人用の病室で、重症の患者用に使われていた。今はある少年が入院している。
その少年は一週間以上前に目を覚ましたが、傷の状態は芳しくなく、自由に動けるような状況ではなかった。今もベッドの上に寝たきりである。
「…はーい、どうぞ」
ノックに対して少年は返事をする。が…。
「…あれ?どうぞー」
ガラッと、少し遅れて病室のドアが開く。
「採血ですか?いつもより早いような………あっ‼」
入ってきたのは二人。どちらもはにかむような笑みを浮かべている。
「君たちか!宗親たちから話は聞いていたよ!君たち…大怪我をしてたんだって?全く無茶して…委員長として君たちを怒るべきなんだろうけど…」
少年は一拍おいてから続ける。
「…ありがとう。あの犯人に傷つけられた全ての人を代表して、お礼を言うよ」
見舞いに来た二人は、ニコッと笑った。
どういたしましてと言わんばかりの笑顔。
その笑顔は満面の笑みではなく、端々に何か別のものをのぞかせているように感じたが、少年は気づかないふりをした。
聞いた話によると、被害者の中に二人のうち片方の弟がいたらしい。
その話題が出るかどうかは分からないが、こちらからはそこには触れないようにしたほうがいいと、心に言い聞かせる。
結局互いに知らなかった情報を交換し合い、話は終わった。
やはり、被害者の詳細には触れず。
少年を襲った犯人との戦いから、その犯人の所属するグループから報復を受けるまで。全て少年が事前に聞いていた通りであった。
その日の夜。真田竜馬は病院から帰ってきていた。
「なるほどねぇ…」
久しぶりの家、自室だが、竜馬は懐かしんではいられない。
帰ってきて五分くらいで済まし、先のことを考える。
結局朝に看護師さんに怒られた後、簡単な検査だけで退院可ということになった。
やけに会う人会う人に『もう入院するんじゃないぞ』と言われた気がしたが…。『ありがたいな…。お世話になったのに、わざわざこっちの体調のことまで心配してくれたのか』と言った時の拓摩の顔が忘れられない。
(にしても拓摩のあの、『え?こいつ何言ってんの?』っていう顔、何だったんだろうな?)
全く、大した鈍感ぶりである…。
で。
退院の挨拶が一通り終わった後、彼らはある病室に向かった。
それは一週間以上前に目を覚ましたという高木護の病室だった。
正直一番は彼がどれだけ元気かの確認だったが、もうひとつ。彼らには目的があった。
それは情報収集。
今回の一連の事件はどんな風に処理されて、世に公表されているのか。
ニュースや看護師さん伝いの情報はあったが、直接関わった当事者たちにはどのように伝わっているのかを確認しておく必要があった。
なので、ニュース等で言われていた一般に周知されている情報を護に伝え、彼が友人たちから聞いている情報との整合性を見ていたのだった。
結論から言うと、それらはほぼ一致した。
高木護や竜馬の弟である晴馬を襲った犯人は同一人物で、廃工場で竜馬たちに反撃を食らい逃走。
仲間たちと合流して竜馬たちに報復を行い、その果てに竜馬と航輔を拉致。
竜馬だけが命からがら逃げてきた。
というストーリーである。
もちろんどこまで情報を得ているかは個人差がある。
その中で、護たちを含めほとんどの人がその情報を信じていたが、一部の週刊誌の記者あたりがこの発表に疑問を持ち、裏で動いているらしい…という話も聞いた。
まあその裏の話の信ぴょう性はちょっとどうだろうか…ということで、ほぼこのストーリーに話を合わせておけば大丈夫という結論に至った。
というわけでここからは竜馬と拓摩、個人の問題。
突然であってもおかしなことを言わないように、きちんと頭に叩き込むことだ。
竜馬にとっては少し大変だった。
特に最後の、『竜馬だけが命からがら逃げてきた』という部分。
ただでさえ彼らを守れなかったことを後悔しているのに…。
(…いや、拓摩はきっと完璧にしてくるはずだ。俺もしっかりやらないとな…)
竜馬は手元の紙に再び目を移し、集中に入った。
もう少し眠れなさそうだ。
そうして夜は更けていく…。
翌日。何かあっても互いにカバーしあえるように、竜馬と拓摩は待ち合わせをし、一緒に行動していた。
今は商店街にさしかかり、彼らの顔を見かけた人たちが、次々と声をかけてきた。
「あら竜馬君!体はもう大丈夫なの?」
「あ、大丈夫です!意外と体は頑丈なので!」
「ははっ。…ところでここだけの話なんだけど………」
「はい?」
「その…犯人たちの見た目的な特徴とかって…何か覚えてない?まだ逃げてるって聞いて、怖くなってねぇ。せめて見た目だけでも分かればって思ったんだけど…。」
「見た目ですか、あえていうなら………ばけ―ゴフッ⁉」
拓摩の拳が鳩尾にヒット。きれいに入った。
「……………」
「……………」
そのままの姿勢で固まったまま、黙る二人。
「アハハ…。あ、た、拓摩君はケガとかはしてないの?」
何とか話題を変えようと思ってのことだろう。だがこの質問が更なる悲劇を招く。
「大丈夫です!何か不思議な力で、すぐなお―あいたっ⁉」
次は反対に竜馬のチョップが拓摩の頭に直撃。
「……………」
「……………」
また黙り込む二人。だが今度は先ほどとは違って、動きながらのことであった。上半身はそのまま体の向きだけ変えて、すたすたと歩き始める。
「あ………ごめんね…?」
「いえ!大丈夫です!」
「ちょっと先を急ぎますので!」
この変な動きも、ちょっと素っ気ない言動も。
ここにいるとまたぼろが出る。そんな本能によるものであったが…。
「あー…そりゃあそうだよなぁ…。思い出したくないこととかも当然あるんだろう…。ちょっと奥さん!彼らのことも考えてやりなよ!」
「えっ⁉ごめんなさい‼少し喧嘩みたいになって怪我しちゃっただけかと思って…。そういえば航輔君がいなかったのももしかして………。ど、どうしよう私⁉あの子たちになんて無神経なことを…」
「んー…、まあ仕方ない…。本人たちが大丈夫って言ってるんだ。大人が子供たちに甘える形になるが、それしかやりようがないだろう…」
「ちょっと私、あんまり彼らに事件のことを聞かないように近所の人たちに広めておきます…。」
「…そうだな、それがいい…」
図らずして、彼らにとって都合のいい展開になっていたのだった。
いつもよりかなり早めに登校していた渡辺朋美は、ひとり悩んでいた。
今日の日は彼女にとってとてもいい日、のはずであった。
待ち人ついに来たり。真田竜馬が久しぶりに学校にやってくる。
それ自体はただのいいことなのだが…。
(えっ?久しぶりに会って何を話したらいいの⁉というか私、どうして彼に会うのをこんなに楽しみにしてたんだろう⁉)
いざ直前になって冷静に考えてみると、頭の中がぐちゃぐちゃで思考がまとまらない。
そしてもう一つ、彼女の心にさざなみをたてる事がある。
「……………」
ちらりと教室の左前端の席に目をやる。
そこには机に突っ伏し眠っている、別の少女の姿があった。
その少女は昨日転校してきたばかりで、挨拶も簡単な自己紹介だけだったが、ふと気づくとその周りには人だかりができていた。
この時期に転校してくる物珍しさみたいなものはあるが、一番の理由はその見た目だった。
「うわ…身長高いし顔かわいい…。朋美ちゃんもかなりだけど、あの子も…そうとうね」
「てかこのクラス、レベル高すぎ…。二人ともその顔で仕事ができるでしょ…」
朋美が感じていた周りのひそひそ声や、男子たちからの目線。
それらがその転校生に向けられているのが分かった。
正直朋美にとって、周囲のひそひそ声や視線はあまり嬉しいものではなかった。むず痒いというか…恥ずかしさが勝っていた。
ただ、この状況に。周囲の関心がその転校生に向いていることに面白くないと感じていたのもまた事実であった。
(すごい人気だったな…。竜馬君もあの子が気になるのかな…)
「おはよう、朋美…。なにぼーっとしてるの?」
「わわっ⁉…おはよう、美影ちゃん…。それ、何持ってるの?」
「ああ、これね…」
思案する朋美に話しかけてきたのは、青緑色の髪と瞳の少女、水連寺美影。
美影は紙の束を傾けて見せる。
「さっき見たら靴箱に入ってたのよ。内容も見たけど、いわゆるラブレターってやつね…」
「えっ⁉ラブレター⁉」
朋美は驚いたが、美影は慣れたような対応をする。
「な…なんだか慣れてるね、美影ちゃん…」
「まあ…時々こうやって大量にもらう日があるのよ…。いつもは全然ないのに………。鬱陶しい…」
「ちょ⁉本音もれちゃってるよ美影ちゃん!」
そんな会話をしているうちに時間がたっていた。
一時間目の時間が近づき、次第に階下が騒がしくなる。
登校してくる人たちの声や足音が教室内にも入ってくる。
「そういえば、そろそろ彼、来るんじゃない?」
「え、あ、うん!」
「…ほら、噂をすれば」
「あっ‼」
そして、あの少年たちも…。
「皆久しぶりー!元気にしてた?―ってうわ⁉寄ってき過ぎだって‼押し出されてるから、痛い痛い!……あれ、拓摩が走ってきて………っ⁉後ろのあれは、隼と宗親!…ちょ、待って。今飛び掛かってこられたら大惨事に…やめっ―」
「…久しぶりに学校来て、早々これか…」
頬の応急処置的な絆創膏をさすりながら、竜馬は呟く。
ただ、その言葉には悲壮感みたいなものは全くない。
むしろその顔には、わずかに笑みが浮かんでいる。
結局あの後、負傷者(軽傷者数名)の手当てと、お片付け。そして先生方からのお説教で一時間目がつぶれた。
いきなり大変なことになってしまったが、竜馬にはこれが嬉しかった。
あの非日常の世界。戦いの連続の前に戻って来れたように感じられて。
やはり日常はこうでなくては!
ちなみに今は休み時間。竜馬は自分の席に座っている。この瞬間は人の波が途切れ、彼の周囲には人がいなかった。
「…あ、あの!」
「ん?」
その背後から話しかける声が一つ。
振り向いて見た姿は二つ。
黒髪のお人形さん風少女と、その背後を支えるように立つ青緑色の瞳と髪を持つ少女。渡辺朋美と水連寺美影である。
「り、り…」
「…り?」
「頑張って、朋美」
「…り…」」
「?」
竜馬は小首を傾げ、美影は朋美の背後で応援をする。
「……………………………」
そして返事はなく、
「………り、りゅぅ………」
真っ赤になってダウンした。
「わ、渡辺さん⁉」
「…残念…まだダメだったわね…」
「と、とりあえず保健室に―」
「待って。私が連れて行くから。真田君はここにいて」
「え、あ。うん…」
肩を貸すような形で保健室に向かっていく二人の姿を目で追いながら…
(…あれ…怒らせちゃったのかな…?大丈夫かな…?)
大分方向性のずれた心配をする竜馬であった。
(本当に大丈夫だったのかな…?)
二時間目、三時間目と終わり、次が四時間目。
ちなみに例の事件の解決の目途が立つまでの期間、学校は昼までで終わりということで。
その四時間目が今日最後の授業となる。
となると当然、周囲のテンションも高まっていた。が…
竜馬は違う意味でそわそわしていた。
美影曰く、『少し熱が出てたから、保健室で休んでいる』…そうだが…。
(やっぱり心配だな…。次の授業が終わったらお見舞いに行くか…)
と考えながら、竜馬は授業の準備をする。次の時間は化学。今日のこれまでの授業と同じく、竜馬は初めて受ける授業だ。当然担当の先生の顔も知らない。優しい先生らしいことは…周囲の状況を見ても分かる。
今日これまでの三時間と違い、明らかに授業ギリギリまで教室全体がざわついている。
もちろん真面目に準備をしている人も………と。
ふと視界の端に映った少女が気になった。
長めの黒髪。そして今は後ろ姿なので見えていないが、丸ぶちメガネをかけ、大きなマスクをしていた。
ちらりと聞いた話によると、昨日はマスクをしていなかったそうだ。
その子は昨日転校してきた子で、初日に沢山の人に質問攻めにあったのが嫌でマスクをしてきたのでは…とのこと。
(なんとなくその気持ちわかるわぁ…)
とか思いながらその時は聞いていた竜馬だが、今回気になったのはそういう容姿などの話ではない。
気になったのは、異常な雰囲気をも醸し出しているその座り方。
これでもかと背筋を伸ばし、その状態で微動だにしない。
目は見えないが、頭が全く動かないため、目線も一点を見つめ続けているように感じる。
マスクの件と、その異様な雰囲気もあってか、昨日大人気であったというわりには周りに全く人がいない。
竜馬が気になったのも、周りが騒々しい分、動かないその少女は目立って見えたのだろう。
(不思議な子だな…)
キーンコーンカーンコーン
「…おっと」
チャイムが鳴り、少しして教室のドアが開く。
「はい、皆さん席について下さいねぇー」
入ってきたのはワイシャツ姿の男性教師。
ゆっくりとした動きやしゃべり方。糸目の感じなどまさに優しそうさ満載である。
(おっと、本当に優しそうな先生が来たな…………ん?)
チャイムが鳴り、先生がやって来た。しかし、なかなか授業が始まらない。
「?…」
授業の準備を始めていた机から目を上げる。周りでは数人のクラスメイトが同じように顔を上げて、皆一様に困惑の表情を浮かべている。
その視線の先には件の先生の姿があった。
何をしているでもない。ただ教室の入り口と教壇の間で突っ立っている。
ただその視線は真っすぐ、ある一点。一人の生徒を見つめていた。
そしてその視線に気づいたのか、見つめられていた生徒も顔を向ける。
教室の左前端の席。昨日転校してきたばかりの少女である。
二人の視線がかち合う。
少女はそのままばつが悪そうに目線を逸らした。
ただそれでも、もう一人は見つめ続けている。
(……………)
竜馬には、ふと見えたその口の端が吊り上がっていたような気がした。
その表情は何か恐ろしいものに見えて…。
「…あ、あのー先生…?」
困惑していた生徒の一人が声をかける。
「………ごめんなさい、授業を始めましょう」
そう返事をした先生の表情は元通り、糸目の優しそうな顔だった。
(気の…せいか…)
その後普通に授業が始まり、何事もなく時間は過ぎていった。