Hate and Love
俺のスマホには常時二本のケーブルがつながれている。ケーブルの先には簡易型熱源探知機。狩りをする際には、スマホにインストールされたアラートアプリと合わせて役立てているが、当然ながら電池の消費も激しいため、もう一本のケーブルでいつも充電しているのだ。結構金食い虫だが、それでも活用すると狩りが異様なまでに効率よく進むためいつも使っている。とはいえ、ここ『澱の森』は面積に似合わない標的数のために基本的にスマホの主電源を落としているが。
3コンボの魔法攻撃をかろうじてかわすと、右の尻ポケットから伝えられる標的の方向へ向かってダッシュ。音がだんだん低くなるのは、時計回りの方向に標的が移動していることを示し、音が最も低い時は十一時の方向。音量が小さくなるのは接近を示す。五メートルの時の音量を標準として覚えておけば迷うことはない。オーバークロックされた思考が俺の体を半自動的に動かして俺へ向け放たれる弾丸を容易に回避させる。
音量が三メートルレベルまで絞られ、俺自身が聞き取ることさえ難しくなったところで、音が一段階低くなる。音量は少し増加。一時の方向へ切り替えて、剣を振る用意。三メートルを切ったところで踏みつけた枯葉を強く後ろへ追いやる。右肩のあたりから、左腰へ。無理な姿勢を正常な姿勢に戻すように。そこに発生するエネルギーはごく自然で、人が生みだしうる最大のもの。意図して作られた者が本来あるべき形に戻ろうとするときの力の強靭さは、今まで何度も思い知ってきた。今はそれをこちらから利用するだけだ。剣を強く握って、腕を振る。強く捻じ曲げればそれだけ、戻ろうとする力は大きくなる。強く、左足を踏み込んだ。
――いるはずのない眼前の敵を、排除する。
「らあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
少女が振り向きかけるが、もう遅い。この軌道なら、刃は完全に背中からその体を捉えきる。だが、その時、俺は視認してしまった。
――少女の、感情なき口元。
駄目だった。勝てるはずがなかったのだ。無駄な足掻きだ。何をしてもこの女は簡単に退けてみせると、俺は気付いたはずだった。なのに、一時の感情の揺れで、みすみす命を投げ出そうとしている。勝てないからお茶を濁す、その幼稚さを認識したうえで俺は戦い抜くことをやめたはずなのに。戦いを聖別する少女のこだわりを押し切ってまで決めたはずなのに。愚の骨頂だ。
その思いが、今までで一番高速で書き出された思考のメモが、俺の体に待ったをかけた。いまさら停止はしない。しかしスピードは緩む。一番中途半端な状況において――敵は精彩を欠かなかった。対応する動きに緩みはなかった。体感の上では、俺の何倍もの速度で振り向く。
やられる。そう思った。思考が、気味の悪いような速度でスピードを落としていく。
「っ……?」
ナニモオキナイ。なにもおきない。何も、起きない。
脳がストライキを取りやめた。その活動量をグラフにすれば、きっと今の部分だけ急峻な谷形になっているに違いない。状況の理解がうまくいかない。だが、事実の認識は難しくなかった。何もせず、少女は退避行動を取った。なぜ。なぜなぜなぜ。いや、答えが出た。今この瞬間に。――嗚呼、本当に愚の骨頂だ。なんて事のない、とんだ思い違い。
勝てた。
自分が嫌になる。自分を大切にしすぎて損ばかりだ。俺と関わった誰もが損してる。俺だって損してる。そんなことを思って自分から自分を守ろうとしていることにはたと気づいて、さらに嫌になった。――だれか、愛してくれねぇかなぁ。
嫌悪が糧になってくれるなら、俺はいくらでも自分を嫌おう。スマホは、最低音をそこそこの音量で流している。すぐに追いつけそうだ。俺はぬるま湯の社会が大好きだが、そんなことは今はどうだっていい。高温に慣れなきゃ、いつまでたっても愛なんぞ無い。他人とは、熱く愛し合いたいしな。なんだこの早口言葉。そんなことはどうだっていい。駆け出す。すぐにトップスピードに到達する。高音は勢いよく小さくなる。ブレーキはこの際踏まない。運動は得意じゃない俺の、望みうる最大限のピッチで足を前へ――――!!
「今度こそ――――消えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
砂煙は幾分落ち着いて、五メートルくらい先までは見通せた。だが、当然といえば当然で、先ほどまで宙に浮いていた土は地面に薄く積もっている。一旦下の方から掘り返されているのだから。そこに、勢いよく衝突した俺と白い少女は、ゴロゴロと転がっていく。五メートル以上転がってやっと停止。体中が泥だらけなのを感覚と理性の両方で知る。ちゃんと、剣には少女に刺さった手ごたえがある。
勢いを緩めず、腰の高さで二本の剣の切っ先を前に向けて突撃した。技術も何も度外視の、最低限の筋力さえあれば事足りる戦い方。でも――少女が逃走に移っていなければ、ありえなかった勝利。自分でも不思議なくらい感情が昂っていた。こんなに嬉しいものだろうか。
勝てた。
なんとなく、汚れた顔が誇らしかった。