Something absolute
剣二本に刃こぼれがないのを確認してそれぞれ鞘にしまい、両腰に吊る。充電器からスマホを外し、電池が完全に充電されたのを確認してポケットにつっこむ。それからデスクの上に置かれた革のベルトポーチを開き、中身を確認。手軽な食事ができるようエネルギー栄養食の黄色い箱、熱中症対策込みの冷梅ドリンク、木製の鞘におおわれたダガー、太めの麻ロープ。暇つぶしの小説、身分証明書入りの手帳兼緊急対応マニュアル。
こんなもんか、とひとり呟いてから腰に巻きつけて、しっかり固定されたのを確認。思い出してポーチの口を閉めて、自室のドアを押し開けた。
下のロビーに降りてみると、もう友人たちは各々の装備とともに勢ぞろいしていた。総勢三名。
「おい、まだ集合時間の三時間前だぞ」
「だって暇だし」すかさずレアルスが一言。
「貧乏暇なし」シェスが乗る。
「リズムだけで乗るな」レアルスがなぜか怒ると
「漫才するな」ゴアラが根本的なところを指摘する。
「ほんと暇のない会話だな」
そこで、会話が途切れる。謎の沈黙を、俺が破った。
「俺は今から一狩り行くつもりだけど、お前らは?」
「宣言しなくていいからそんな猟奇的なこと」
「ヒューマンハンティングじゃねえよ。ワンハンティングだよ」
「え、今の何? どういう意味?」
唯一ついてきていないらしいシェスに、レアルスが耳打ち。
「ただの変換ミス」
「……ああなるほど」
そう言ってくすくす笑うシェス。
「そうやって笑いどころの解説みたいなのやめてくんねえかな? あとそれでほんの少しだけ笑うのもやめてくれ」
笑わせる意図はあまりなかった――逆に言えば少しはあった――が、これはこたえる。
「私は別に今すぐしたいことは無いし、ついていくけど」
とレアルス姐さん。俺なんかに合わせるとか惚れる。
「レアたそが行くなら僕も行こうかな」
「その呼び方やめろこのヤロ」
レアルスがシェスにヘッドロックをかます。指先がしばらくぴくぴく動いてから、ぶらりと垂れ下った。口の端から泡出てるのを見てさらに力入れるとかレアルス姐さんマジかっけー。
「ゴアラは?」
「ほんとそのあだ名は何なんだ。いじめ?」
「答えろゴアラ」
「ガン無視しやがって……一人だけ残るのは違うだろ、行くよ」
「いいよ気ぃ使わなくて」
「なんでオレだけ遠慮するんだよ」
そう言って、『ゴアラに似ていることに俺の中で定評のある何か』がキレ気味に睨んでくる。名前は多分、高柳とかそういう。中日本ドラゴンズとコラボしまくりである。
「まあいいよ、ついてきても」
「妥協みたいに言いやがって……」
「で、どこ行くの?」
苛立ち気味の様子でレアルスの姐御が訊ねる。
「フラス箱ダンジョンだよ」
俺はキメ顔でそう言った。やだな、なんかド屑っぽい。
「ん? どこのこと?」
「回復早いな」
シェスに軽く突っ込んだ。というか知識無さ過ぎだろ。
それは、白かった。よどんだ世界の中で、どこまでも。
『金がないならここに来ればいいじゃない』の立て看板が有名な『澱の森』の中のどこかで、俺はそれを見ていた。
高速で接近する黒い鳥に右手人さし指、中指の先をそろえて向け、細く息を吐く。詠唱。
「『凛』!」
詠唱とはいえ、それはいわばキーワードであり、明確な意味を持った呪文ではないようだった。長ったらしい古語を全文詠唱する時間などないのは明白だった。
指先から、弾かれるように飛び出した白い球体は空気抵抗を受けたように形を変化させ、しかしその姿は決して空気抵抗によるものではなかった。進行方向側の先端を鋭くしたそれは、さながら弾丸のようでもある。
襲い来る魔獣と、少女の放った弾丸が交わったその瞬間――
エネルギーが崩壊した。
飛び散る赤黒の液体は強い粘性を持ち、真っ白な少女を覆わんと降り注ぐ。あるいはそれは、血液に肉片が混ざっているが故にそう見えたのかもしれなかった。されど、その少女の姿には一点の曇りも生まれてはいなかった。
――絶対的な、何か。
カリスマだとか、才能だとか、そういったものとは別のものが、彼女のどこかにはあった。あらゆる言語的感覚を遠ざけるような強い何かが。
知らず、俺の喉からは声にならないうめき声が漏れていた。
「……何だよ、今の」
隣のゴアラが呟く。
掲げた右腕と、それを保持する左手を一ミリも動かすことなく、ただその表情を恍惚と渇望の笑みにゆがめながら汚い空中を眺め続けていた。
「……移動しよう」
シェスが、俺とゴアラの間に口を寄せて囁きかけた。俺は、片時も少女から目を離せないながら小さくうなずき、ゆっくりと後方へ下がった。
「ッ」
――あり得ないッ!あり得るはずがないッ!
俺の胸中には、そんな否定の言葉ばかりが渦を巻いていた。
魔法文明は、もう五百年以上前に衰退し、現在の科学文明がそれにとってかわった。衰退の理由は、宗教的抗争と『レウスニオ条約』であり、あらゆる魔法の概念はもはやオカルトと称されるこのご時世、冒険者で賑うこの森に、夜とはいえこんな平気で『魔術師』がいるはずはない。あり得ないのだ、こんなことは。
そんな、半ば意味を持たない言葉の渦の中心にあるのは、投影された白だった。髪、肌、衣服、瞳孔。それらすべてが白い。パーツを区別するのは、質感と色の濃淡、あるいは光沢だけだった。頭の回線が焼き切れるような感覚。思い出すだけで、脳に激しい負担がかかるような。
朦朧とする意識の中で、そんなことを考えていた。