4:約束
…俺はゆっくりと目を開けた。
一体今度はどんな記憶が出てくるのか、と思っていると、真っ白な天井が目に入った。
―何だ…?これ。―
目を横に動かすと、変な器具がたくさん俺の周りを囲んでいて、全て俺に繋がっている。
まるで…重傷患者みたいだ…。
体を起こそうとするのだが、ピクリとも動かない。
…ようやくここがどこで、俺は今どんな状態なのか理解してきた。
これはもう夢ではないのだ。
俺は今、病院のベッドにいて…相当ヤバイ状態になっているみたいだ。
体に全く痛みはない…
でもそのかわりに全身麻痺してしまっている。
「テッちゃん?目、覚めた?」
体が起き上がらないので、目だけを声のする方へ動かした。
すると、ベッドの右隣りに雪矢が立っていた。
「…」
“ユキ”と言おうとしたのだが、声すら出ない。
雪矢は頭に包帯を巻いていて、右足にはギプスをしている。
松葉杖をつきながら座らず、しっかり立って優しく微笑んで俺を見ていた。
しかし…その笑顔は少し…寂しそうだ。
「テッちゃん…ちゃんと守ってあげられなくて…ごめん。」
―何言ってんだよ…お前だってそんなに怪我してんじゃん…―
すると雪矢は右手を胸の高さに持ってきて、何かを俺に見せた。
俺はそこに視線を動かす。
それは…雪矢が作ってくれたお守りのマスコットだった。
「これ…テッちゃんずっと握ってた…。これのために道路に出たんでしょ?“お守り”なんて言っときながら…全然役に立ってないね…」
雪矢はそう言って俯いた。
―違うよ、ユキ…。俺がいつも乱暴に扱ってたから…。謝るのは俺の方だ。そのお守りは今まで俺のことちゃんと守ってくれてたんだよ―
声を出せないのがすごく悔しかった。
まるで金縛りにあっているみたいに、目しか使えない。
ちゃんと言葉にしたいのに…。
「でも…」
すると雪矢は俯いた顔を上げ、笑った。
「うれしかった。こんなボロボロになるまで鞄につけてくれてさ、道路に落ちたのなんてそのままにしたっていいのに…すぐに拾ってくれた…。ありがとう、テッちゃん。」
―バカか。そのまま捨てれるわけねぇだろ…―
「テッちゃんは…本当にいつも優しいよね。」
雪矢は独り言のようにそう言うと、しばらく何も言わず1人、物思いにふけるようにどこか遠くを見ていた。
それからまた、俺の方を見て明るく言った。
「テッちゃん、知ってた?何でみんながテッちゃんの周りに集まってくるか。
それは… テッちゃんが優しいからなんだよ。そのうえ、人を引き付ける力も持ってる。」
―…ユキ?急に何言い出すんだよ…―
「なんだかんだテッちゃん、人に冷たくなんてできないんだよ。いつも『面倒くせぇ』とか言いながらもスッポカしたことなんて1回もないし、三条さんのことも『うるせぇ』とか言いながら、無視したり、あからさまに冷たいことだって言わないでしょ?」
すると雪矢は俯きかげんに言った。
「…俺だってそうだ…。テッちゃん、俺に冷たいこと言ったりするけどいっつもその後、一言何か言ってくれるじゃん。テッちゃんは気付いてないでしょ?自分がそんなことしてるなんて。テッちゃんは小さい頃から自然とそういうことができるんだよ。だから…みんなテッちゃんに寄ってくるんだ。みんなテッちゃんが大好きだから…」
―なんかこれって…別れの言葉みたいじゃねぇ?別れる前に言っとこうみたいな…。俺、そんなにヤバイのか?…死ぬのかな?―
いつしか雪矢の顔は真剣になっていた。
雪矢の言葉はきっと…本音だ。
「見てたらわかるよ。みんなテッちゃんといるときはすごく楽しそうだし、心から笑ってるんだ。テッちゃんは…凄いんだよ、本当に。」
―……―
「俺、そんなテッちゃんがずっとうらやましかった。人間にとって一番大切な部分を持ってるテッちゃんが…ずっとうらやましかったんだ。勉強とか運動神経とか才能とか…そんなんじゃなくて、もっと人間らしい部分を持ってる…。俺はテッちゃんのそういうところに小さい頃からずっと…嫉妬してた。」
―…え?まさか、ユキが俺に嫉妬…?嘘だろ…―
もし今俺が体を動かせて、声も出せていたなら、きっと前のめりになって
「まじで!?」を連発しているところだ。
今回ばかりは動けないことに感謝した。
「小さい頃はわからなかった…どうしていつもテッちゃんの周りには人が集まるんだろう?って。いつも人が集まるのは俺のところじゃなくて、テッちゃんのところだった。だんだん…それがテッちゃんの魅力のおかげで、引き付ける力を持ってるんだってわかってきた。そしたら…急に悲しくなって…嫉妬心が湧いた。悔しかったんだ…。どうして俺じゃないんだろう?生まれた時からずっと一緒にいるのに…どうしてこんなに違うんだろう?…って。」
―…ユキ…―
まさか雪矢がそんなことを考えていたなんて知らなかった。
生まれた時からずっと一緒にいたのに気付かなかった。
俺の周りに人が集まると、雪矢はいつも1人フラ〜っとどこかに行ったり、輪から外れる。
それは人付き合いが苦手とかそんなことじゃなく…俺に対する…嫉妬心からだったのか?
「テッちゃんも気付いてなかったと思うけど、俺って人一倍負けず嫌いで、プライドが高いんだ…。そうは見えなかったでしょ?それを見せることすら…俺のプライドは許さなかったから…。ねぇ、テッちゃん覚えてる?初めてのテストのこと。俺、テッちゃんに2点差で勝ったんだ。」
―初めてのテスト…?そんなの覚えてねぇよ―
「俺、すごく嬉しかった。初めてテッちゃんに勝てた気がしたから。これしかないって思った。俺がテッちゃんに勝てることと言ったらこれしかないって…。」
すると雪矢は呆れたように…寂しそうに…小さく笑った。
「それから俺は、こっそり勉強してた。テッちゃんに負けたくなくて、何の取り柄もない俺に何か一つでも出来ることが欲しくて…。でも本当はそんなことじゃないんだ。そんなことができるようになりたいわけじゃないんだ。俺はテッちゃんのように…人間らしい人間になりたかった。」
―…おいおい、それって本当に褒め言葉なわけ?―
「でもそれって…なろうと思って出来るものじゃないから。俺は俺で生きてくしかないって思うようになって…それで…やっと気付いたんだ、俺。単純なことだった。俺はいつの間にかテッちゃんをライバル視ばかりしてたけど…こんなことになって…やっと気付いたんだ。本当は俺、テッちゃんといる時はすごく楽しくて、何でもできる気がしてた。俺が嫉妬してたのは、確かにテッちゃんにっていうのもあるけど、でも本当は周りの子達に嫉妬してたんだ。いつも俺と一緒にいてくれたテッちゃんを取らないでって。怖かったんだ…こんな何の取り柄もないつまんない奴といるより、みんなと一緒にいたいんじゃないかって…。」
―…何言ってんだよ、ユキ。俺がいつお前といてつまんなそうにしたよ?取り柄がないのは俺の方だろ…?―
「テッちゃんといる時は、何でも出来る気がしたんだ、本当に。無敵に思えた。嫌なことなんて全部吹っ飛んで、何でも夢中になれた。きっと俺、テッちゃんと出会ってなかったら、もっともっとダメな人間だったと思う…。」
そう言うと、雪矢はパッと笑顔になって俺の目を見た。
「テッちゃんと出会えて本当によかった。幼なじみで本当によかった。ありがとう、テッちゃん。」
―…おいおい、やめろよ。まじで俺死ぬみたいじゃん。いや…死ぬのか?―
俺の体は一向に動く気配がない。
しかし、それとは裏腹に何だか体がフワフワしていて心地よかった。
「テッちゃんはこれから何年も、何十年も生きて、色んなこと経験して沢山のものを見なきゃ駄目だ。もっともっと生きなきゃ。テッちゃんならこの先何があっても平気だよ。乗り越えられる。」
―…バカか。今にも死にそうだっつーのに…。…俺のこと励ましてるのか?何年も何十年も生きろって…。…ごめん、ユキ。でもなんかもう…無理っぽい…―
しかし、雪矢の目は真剣だった。
何かを…俺に伝えようとしているみたいな真剣な目…。
こんな雪矢を見たのは初めてだった。
「約束して…テッちゃん。俺より先に死なないって約束して。」
―何言ってんだよ。それ言いたいのはこっちの台詞だ。今、死にそうなのは俺だっつーの。そんな約束守れるわけねぇだろ…―
すると雪矢はベッドに軽く腰掛け、俺の手を取った。
麻痺していると思っていたが、感覚はある。
温かい雪矢の手が俺の手を包み込んでいた。
そして…雪矢は俺の小指をとって、自分の小指に繋いだ。
―…ガキじゃねぇんだから、そりゃねぇだろ…―
「約束だよ、テッちゃん。俺より先に死なないでね。この先、何十年も生きて、色んなもの見て経験して、おじいちゃんになったら安らかに死ぬんだ。約束してね。」
そう言って小指を離し、俺に何かを握らせた。
でも俺はもう、それを確認することすらできなかった。
頭がまるで霧でもかかっているかのようにボーッとする。
体もおかしいくらい軽い。
―…死ぬって…こういうことか―
何となく…そう思った。
俺は自然とゆっくり瞼を閉じていた。
きっと…今目を閉じてしまえば死んでしまうんだろうとわかっていたけど、もう限界だった。
もう無理だ。
最後に聞いたのは
「テッちゃん、ありがとう」という雪矢の声だった…。