幕間 2
潮の匂いで目が覚めた。
いつの間にか、眠ってしまっていた。どれだけ走ったんだろう。窓の外は、相変わらず田んぼや畑ばっかりだ。
「起きましたか」隣の席のおばあちゃんが、優しくそう言う。
「到着までもう少しかかるから、まだ寝ていていいですよ」
「ねえねえ、海、近いの?」
少し身を乗り出して、あたしは聞く。
「海? ううん、どうだろうねー。まだ、見てないけど……」
ハンドルを握る運転手さんは、この辺の人間じゃないらしい。
でも、あたしには分かる。独特の潮の匂いを、あたしは確かに感じ取っていた。教えてあげようと、さらに身を乗り出すあたしを、小さな手が、そっと抑える。
「じきに、見えてきますよ」
おばあちゃんだった。
「そこを曲がれば、もうすぐです。だから、大人しくしましょうね」
柔らかい、温かな声。あたしは何だか恥ずかしくなって、そっと後ろの席に、体重を預ける。
おばあちゃんは、横でニコニコと笑っている。いつも通りの、優しい笑顔。青い瞳と栗色の髪は、あたしや、死んだママと一緒。もっとも、おばあちゃんの場合、せっかくの栗髪は、相当に白くなっているんだけど……。
今日からあたしは、おばあちゃん家で過ごすことになっている。
おばあちゃんは、この国で、この国の子供たちに、英語を教える仕事をしている。それも、あたしが生まれる、ずっと前からだ。もしかすると、ママが生まれる前から、かもしれない。その辺りのことはよく知らない。
パパとママが車の事故で死んでから、もう一週間になる。
辛くて悲しくて、何日も何日も泣き続けた。
だけど、泣いてばかりいられないってことに、すぐに気が付く。
あたしはまだ十四歳。一人で生きていく訳にもいかない。だけど、あの土地には、あたしを引き取ってくれる親戚がいなかったのだ。唯一の親類は、この国に住むおばあちゃんだけ。慣れ親しんだ土地を離れ、ポリーたちとサヨナラするのは本当に辛かったけど、でも仕方がない。あたしはこの国で、おばあちゃんに預けられることになった。
不安がない、と言えば嘘になる。
トモダチもいない、言葉もよく分からない場所だ。不安にならない方がおかしい。だけど、おばあちゃんのことは、好きだった。
それに――海が見えるこの町も、あたしは好き。
「ほら、見えてきましたよ」
しばらく走った後で、おばあちゃんが静かに言う。
海だ。
いくつもの工場の向こうに、真っ青な海が広がっている。ここは小高い丘の上だから、海がよく見えるのだ。あたしは取っ手をぐるぐる回して、慌てて窓を開ける。身を乗り出し、潮風を体で感じ――ようとした所で、再び、おばあちゃんに抑えられる。
「これから、たくさん見られますから、大人しくしてましょうね?」
さっきより、若干言葉が強い。おばあちゃんは、怒る時もニコニコしながら怒るので、余計に怖い。大人しくしていよう。
「……でも、ここは本当にいい所ですよ」
海を眺めながら、誰に言うでもなく、おばあちゃんはそっと呟く。
「土地は美しいし、人は優しいし――本当にいい所です」
海が写り込んだかのような青い瞳で、そう繰り返す。
「あれがなければ、最高の国なんですけどねえ……」
あれ、って何だろう――?
あたしがそれを聞く間もなく、車は目的地へと到着する。
広い庭。
白い壁に、赤い屋根。
海が見える丘にある、小さな小さな白い家。
ここが、今日からあたしの家になるのだ。