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最終幕 1 宿木明日香

 あらゆるモノには、相応しい場所がある。

 いわゆる一つの、『居場所』ってヤツだ。

 ブタにはブタの、人間には人間の、居場所がある。

 私にとっての居場所は、やはりこの店だった。

 喫茶宿木、そのカウンター隅――いつもの席でカプチーノに口をつけながら、ぼんやりとそう思う。

 あれから、さらに半月が過ぎた。

 遠くから祭り囃子が聞こえてくる。今日は納涼祭だ。商店主たちは祭の準備で走り回っていて、マスターも朝から店を空けている。扉には臨時休業の札が下がっていて、店には一人の従業員もいない。私はマスターの許可を得て休業中の店に上がり込み、自分でカプチーノを煎れて一人で飲んでいると言う訳だ。自分で煎れたカプチーノは、泡立ちが足りなくて今ひとつだった。

 礼子は、もういない。

 マスターが関係者の前で全てを話した、その翌日――彼女は警察に自首したのだった。如何なる理由があろうとも、新山を殴ったのは事実で、それは罪。罪は償うべき――マスターの言葉を思い出す。

 礼子は、真に人間になるために、覚悟を決めたのだろう。

 詳しいことは聞いていないが、結局、動機に関しては別れ話のもつれだとか何だとか、適当なところでお茶を濁したらしい。礼子がかつてブタだったことは勿論、オハラを内緒で飼っていたことも、新山が死んだオハラを勝手に解体して肉処理してことも、伏せられているらしい。本間が尽力してくれたのだろう。落とし穴の事件をどう処理したのかは謎だが――恐らく、それも適当に誤魔化したに違いない。死体も見つからず、被害者の身元も判明していないのでは、警察も動きようがないだろうし――端から大して重要視されていなかった可能性もある。全て、私には知る由もない話だ。

 新山は、礼子が出てくるのを待つのだと言う。

 今回の一件は、自分に礼子を受け止めるだけの甲斐性がなかったせいだ――彼はそう、責任を感じているらしい。礼子がどれくらいで出てこられるかは分からないが――時期が来たら、礼子の過去も未来も、不安も期待も全て受け入れて――プロポーズするつもりなのだと言う。色々と大変ではあるだろうが、二人には本当に幸せになってほしいと、私は素直に、そう思う。


「なーんか、急に淋しくなっちまったよなァ……」

 後ろのテーブル席で、大鷹が力の抜けた声を出す。彼もまた、休業中の店に上がり込んで勝手気ままにくつろいでいたのだ。

「礼子ちゃんもマリアちゃんもいなくなってさァ……」

 言いながら、グラスの水をガブガブと飲む。

「マリアじゃなくて、メアリーだよ。もしくは、ポリー」

「メアリーでもポリーでもねェよ。あの娘は、オレの中じゃあずっとマリアちゃんなんだっての」

 妙なところでこだわりを見せる男だ。本間雫に対して、一貫して下の名前で呼び続けているのも同様の理由だろうか。

「まァ、礼子ちゃんは仕方ねェんだろうけどよ、マリアちゃんまで辞めなくてよかったのになァ」

「それも仕方ないんじゃない? 彼女、もうこの店にいる理由、なくなった訳だし」

 彼女がこの店に来たのは、幼い頃の親友、高崎レイコの安否を確認するためだった。その彼女が事故死したと知り、その名前を礼子が受け継いだと知った今、彼女がこの店で働き続ける理由はなくなったのだ。

「それに、今度は別にやりたいことも見つけたみたいだし……」

 携帯を取り出し、数日前のニュースサイトを検索する。

「ほら、これ」その内の一つの記事を呼び出し、大鷹に見せる。

「彼女、とりあえず元気そうだよ」

 サイトの記事には、一枚の写真画像が貼り付けられていた。

 街宣車に立ち、拡声器片手に演説を振るう金髪碧眼の女性。

 胸元には、かつて礼子が身に付けていたロザリオペンダント。


『街頭で《脱・ブタ食》を訴えるメアリー・アイロックさん』


 画像のキャプションには、そう書かれていた。

「……元気すぎんじゃねェか」

「あの人らしいよね」

 いつか、この店で彼女が語ったことは、半分は本当のことだったらしい。つまり、『自分も反ブタ食主義者だが、守護者(ガーディアン)のような活

動には反感を覚えている。いつか自分でどうにかしたい――』という部分だ。

 この店を辞めた彼女は、『脱・ブタ食』を掲げるとある団体に加入し、精力的な活動を開始した。その一環を取り上げたのが、この記事だ。彼女がそういう活動を始めたことは知っていたが、また随分と早く注目されたものである。今後も、目が離せない。

「不思議な人だったよね……。本当は頭いいくせに、日本語のチョイスおかしかったし……」

 あれがわざとなのか、計算されたモノだったのかは、結局確かめられなかった。それほどあっさりと、彼女は私たちの前から姿を消してしまったのだ。

 この地を離れる前、彼女は礼子に、高崎レイコの命日と、埋葬された場所を聞いたのだと言う。恐らく、その後にマーガレットの花束を持ってお参りにでも行ったのだろう。そこで、完全に吹っ切れたに違いない。

「しっかし、脱・ブタ食ねェ……」

 頬杖をつきながら、大鷹は溜息を吐く。

「ブタ食うのが、そんなに悪いことなんかなァ」

「あ、『ブタ喰い』としては、やっぱり思うところあるんだ?」

 そう言えば、このことに関して大鷹が自分の意見を言うのは初めてかもしれない。いい機会なので、彼の考えを聞いておきたかった。

「いや、オレは難しいことは分からねェよ? 分からねェけど――ブタ、美味いじゃん」

 あまりにもシンプルな言葉に、思わず言葉を失ってしまった。

「あんなに美味いのに、食わないのもったいねェって」

 美味しいから食べる。

 小学生でも言えることだが――案外、真理かもしれない。

 礼子のように、特殊な巡り合わせが重なった希有な例もあるが、基本、ブタは食べられるために生まれ、死んでいく。牛や鶏、羊と同様、ブタは経済動物なのだ。私たちはただ、その命に感謝して食するだけ。賢いから、優れているから食べるのはやめようなどと言うのは、やはりナンセンスではないかと、私はそう思う。

「あ、礼子ちゃんを食いてェって言ってる訳じゃねえぞ?」

 黙り込んだのを妙に誤解したらしく、慌ててトンチンカンな言い訳を始める大鷹。

「……いや、今の『食いたい』ってのは、文字通りの意味であって、別に卑猥な意味で言った訳じゃなくってだな――」

 言う度にドツボにはまっていく。

「はいはい。大鷹さん、もう喋らなくていいから」

「何だよ。喋るくらいいいだろうが。この前の集まりじゃ、オレ、いるかいないか分からねェくらいだったんだからよ」

 この前の集まりと言うのは、マスターが関係者全員を集めて全てを話した時のことを言っているのだろう。

「そう? 結構発言してたと思うけど」

「そりゃ、バカみてェな相槌とかツッコミとかだろ。んなもん、別に関係者じゃなくてもできるだろうが」

「私だって、似たようなモノだったけど……」

「オメェは、礼子ちゃんの相談に乗ったりしてたじゃねェかよ。オレには、そういうエピソードすらなかったじゃん」

「何言ってるの。誰よりもオハラの肉食べてたじゃない」

「それ、事件に関係ねぇし」

 そう言って、むくれる大鷹。三十近い男のする表情ではない。

 と、言うより。

 動機の遠因になったとか、礼子と過去に繋がりがあったとか、そういう関係の仕方ではなく――純粋に、謎解きに一番貢献したのがこの大鷹ではないかと、私は密かに睨んでいる。

 新山襲撃事件に関して、この店で大鷹や健太と話している時だ。何故新山があんな場所にいたのか、という話題になった時の発言を、今でも覚えている。

「犯人に呼び出されたのかも、って雫ちゃんは言ってたけどなー。まさか、ブタに呼び出されたって訳でもねェだろーしなー」

 マスターが露骨に顔色を変えたのは、この直後のことである。本人は明言していないが、恐らく、大鷹のこの発言が元になって、真相に気が付いたのではないだろうか。

 そう言えば、誰よりも早く核心に触れていたのも、また大鷹だった気がする。

「あんなモン、どう見たってただの事故じゃねーか」

 誰もが真っ先に却下した事故説――それこそが真相だと、大鷹はかなり早い段階で看破していたのだ。幸か不幸か、マスター含め、その時は誰も相手にしなかったのだが……。

 基本的に馬鹿で鈍感で単純だが、時折無意識に鋭いことを言う――大鷹大輔は、不思議な男だ。マスターは決して口に出すことはないだろうが、大鷹の発言はかなりのヒントになったののではないだろうか。下手に増長させたくないので、黙っておくが。


「別に、いいんじゃない。大鷹さん、黙っていたって目立つんだし」

「よくねーよ。存在感示したいだろ」

 まだむくれている。その顔はやめろと言うのに。

「今日は大鷹さんが主役じゃん。思う存分、存在感示せるってば」

 今日は納涼祭――ついに、大食い大会の本番だ。

 あと数時間後には、この店で、挑戦者が大鷹と大食い対決をすることになっている。

「主役なのに、何も聞かされてねェから腹立つんじゃねェか。勝手にメニュー変更になるわ、オレの知らない間に予選終わってるわ――どうなってンだよ、一体」

 この半月の間に、様々な変更点があったらしい。

 ある理由から、大食いの食材がポークステーキからカレーライスに変わったのが一番の変更点だろうか。

「これじゃ、シミュレーションやった意味ねェだろ」

「意味はあるよ。大鷹さんの今の実力も分かったし。ファイトスタイルが十年前と変わってないことも、ね」

「何だよ。オメェは暗に、オレが成長してないって言ってンのか」

「うん。『暗に』じゃなくて、露骨にそう言ってるんだけどね」

「ふん、別にいいけどよ」グラスの水を飲み干し、さらに注ぐ大鷹。

「それよりオメェ、マスターから何か聞いてねェのか? オレ、マジで今日のこと、ほとんど何も聞かされてねェんだけどさ」

「大鷹さんの知らないことを私が知ってる訳ないでしょ。後で本人に直接聞けばいいじゃない」

 本当は、ある決定的なことを知っていたのだが、黙っていた。

 楽しみは後にとっておいた方がいい。

「何か不安だよなァ……。大丈夫なんかな、こんなんで」

「大丈夫でしょ。マスターと白井さんが仕切って、大鷹さんが食べるんだから。何も問題はないと思うけど?」

「いや、まあ、それもあるんだけど――オレはさ、もう一つ、別のことがずっと気になってンだよ」

 おもむろに姿勢を正し、こちらを見据える大鷹。

 目が怖い。

「……何よ」

「この店のことだよ。礼子ちゃんもマリアちゃんも辞めて、今この店、マスター一人でやってるだろ。オーダー取りも会計も、食器洗いも掃除も、全部マスターがやってる。アイツは要領いいから、何とかやっていけてるけど――ずっと、このままでいいのか?」

「何が言いたいのよ」

「そろそろ、お前が手伝うべきじゃねェかって言ってンだよ」

 唐突な話題転換に面食らった。そしてそれは、私がもっとも触れられたくない部分でもある。

「や、私は、だって……」

「だってじゃねェだろ。今日の大食いだって、会場のこの店には、たくさんの客が来るんだぜ? いくらマスターでも、てんてこ舞いになるだろ。妹のお前は、何もする気はねェのかよ?」

 大鷹の言っていることは分かる。多分正論なんだと思う。

 だけど。だけれど。

「……私なんかが手伝ったって、逆に邪魔になるだけだし……」

「なんでそうなるンだよ!? お前、頭いいじゃん。卑下する意味が分かンねェ。毎日店に顔出してるってことは、少なくともマスターが嫌いな訳じゃねェんだろ? むしろ、オレの目には普通に兄貴を慕っているように見える。その手伝いをするだけじゃん。マスターだって、絶対喜ぶと思うけどな」

 分かっていた。

 礼子とポリーが辞めた時点で、私が手伝うべきなのは、重々に承知していた。それを知っていて逃げていたのは、ひとえに私が臆病だったからだ。引きこもりのニートだったからだ。

「お前、事あるごとに自分は引きこもりじゃないって言ってたよな。分かってるよ。オレだって他の人間だって、冗談で言ってるだけだ。頭もいいし行動力もある。その気になれば、かなり仕事のできる奴だって、オレはそう思ってる。だから、そろそろ、その気になる頃なんじゃねェのか?」

 真剣な口調で大鷹に迫られ、私は逃げ場を失う。

 そもそも、逃げる必要など、どこにもなかったのかもしれない。

 拒絶する理由なんて、どこにもない。

 答えは、一つだけだった。

「……分かった。マスターに会ったら、私から話してみる……」

「この店で働いてくれるんだな?」

「それが、マスターのためになるのなら――」

「そりゃよかった!」

 いきなりの声に飛び上がる。

 振り返ると、マスターが台車を押しながら店に入ってくるところだった。台車の上には特大サイズの寸胴鍋。漂ってくる匂いから察するに、中身はカレーだろう。その後ろには白井の姿も見える。

「お前、店ほっといて今まで何やってたんだよ」

「何やってたんだはひどいな。大食い大会に出すカレーの仕込みをしてたんじゃないか。ウチの設備じゃ心許ないから、わざわざ『ほわいときっちん』の厨房を借りて調理してたんだよ?」

 ジャンボサイズの寸胴には、優に数キロ分のカレーが入っているように見える。カレールーだけで数キロとは――もっとも、これからの対決を考えれば、妥当な量なのだろうけど。

「それより」マスターは台車をカウンターの内側に置き、つかつかとこちらに歩み寄る。「明日香、とうとう働く決心をしてくれたんだね。正直、心配してたんだよ? いきなり余所で働くのは大変だから、最初はウチで経験を積むのが一番だね。僕も助かるし――いやぁ、よかったよかった!」

 満面の笑みで素直に喜びを表現するマスターを目の当たりにして、私の心は逆に、暗く沈んでいた。

 は、はめられた――。

 どうにも、大鷹の話し振りが唐突だとは思ったのだ。どうせ、マスターに頼まれたに違いない。普段は腹芸なんて到底出来ないくせに、こういう時に限って真に迫る芝居をするから、腹が立つ。

「おぉ、アスカちゃんもとうとうウェイトレスデビューかい?」

 事情を察したらしい白井が軽口を叩く。

「礼子ちゃんや金髪オネーチャンが辞めた時はどうなるかと思ってたけど、こりゃ、しばらくこの店も安泰だなァ」

「ちょっと待ってよ」

 無駄だと思いつつ、抵抗を試みる。

「私、今まで働いたことなんてないし、いきなりお祭りの日に働くのなんて――」

「最初はオーダー取りだけでいいからさ。明日香ならできるよー。それに、色々と準備もしてあるんだから」

 やっぱり、最初から仕組まれていたんじゃないか。

 テンション高く喜ぶマスターの顔を見て、私は嫌な予感を抑えることができなかった。

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