幕間 18
――レイコ。
ひさしぶりに、おばあちゃんの声をきいた気がした。
ぼくは今、レイコちゃんの部屋にいる。
レイコちゃんはベッドに横たわって、ぴくりとも動かない。
その横の椅子に座るおばあちゃんも、ほとんど動かない。
ずっと。
ずっと、動かないでいる。
いつもみたいに大ゲンカをして、いつもとちがって大きな音がして、階段の下にレイコちゃんが倒れていて。
おばあちゃんが大きな声を出して。
レイコちゃんを、ベッドに寝かせて。
夜になって朝になって、また夜になって朝になって――その間、ぼくは寝たり、キッチンから勝手に何か食べたりしていたんだけど――おばあちゃんは、ほとんど動かなかった。
レイコちゃんは、『しんだ』のだと言う。
『しぬ』っていうのが、ぼくにはよくわからない。
ただ、ずっと動かなくて、しゃべらなくて、いっしょに遊ぶことも笑うこともできなくなるのを『しぬ』って言うのなら――
それは、とてもかなしい。
だから、おばあちゃんは泣いているのかな。
ボタボタと涙を流して、声をおしころして、泣いているのかな。
「レイコ――ごめんなさいね……」
ときどき、おばあちゃんはこうしてレイコちゃんに話しかける。
レイコちゃんは、『しんだ』のに。
しゃべることができないのなら、きっと、声をきくこともできないはずなのに。
「私は、貴女にとっていい祖母ではなかったかもしれませんね……。少し、厳しくしすぎたのかもしれません。ブタたちのことを想って、私は私で必死だったんですが……必死になりすぎて、大切なものを見失っていたようです。一番大切なモノが何かなんて、考えるまでもないことなのに……」
そう言いながら、おばあちゃんはまた、一筋の涙をながす。もう、出つくしたとおもっていたのに。
「夫に先立たれ、娘夫婦を事故で亡くし、貴女だけが残りました。貴女は、私の宝物だったんです。それなのに――こんな――」
声をつまらせて、おばあちゃんはレイコちゃんの上に突っ伏する。
「ごめんなさい――レイコ、ごめんなさい――馬鹿なおばあちゃんを、許して……」
ぼくはどうしていいか分からなくて、そっと、部屋を出ていくしかできなかった。
どのくらいの時間がたったんだろう。
リビングにおりてきたおばあちゃんは、前よりもずいぶんやつれている気がした。
「――マーガレット、大事な話があります」
改まって、ぼくの前にひざをつくおばあちゃん。ぼくなんかに、どんな大事な話があるって言うんだろう。
「私は、私の愚かな行いで、世界で一番大切なモノを失いました。きっと、天罰が下ったんでしょう。客観的に見ればあれは不幸な事故なのでしょうが、私にとっては同じことです」
言っていることがむずかしくて、ぼくにはよく分からない。
「しかし――私はどうしても、孫の死を受け止められないでいるようです。高崎レイコが死んだことを、私は認めたくない。レイコには、まだまだ生きていてもらいたいのです」
そんなこと言ったって。
「もちろん、私の我が儘ということは百も承知です。死んだ人間は生き返らない。事故だろうが天罰だろうが、死者は悼み、弔うのが当たり前なのでしょう」
おばあちゃんの顔が、すごく近くにある。なんだかこわい。
「レイコを生き返らせるのは不可能です。しかし――新たに人間を生み出し、レイコとして生きてもらうことは、できる」
何を、言っているんだろう。
「もちろん、私は神ではありません。呪術師でも錬金術師でもない。ただの、半ブタ食主義の老女です。ただ――私には、貴女がいる」
おばあちゃんの目が、まっすぐにぼくを見ている。
「貴女を人間にすることは、可能なんです」
ぼくが、人間に?
そんなの無理だよ。
だって――ぼくは、ブタなんだから。
「ブタも人間も、生物学的には大差ありません。育つ環境が違うだけです。今からでも、徹底的に教育すれば、貴女は人間として生まれ変わることができる。レイコとして、第二の生を授かることはできるのです」
そんな。
「大丈夫。私が何とかします。難しいことは考えず、貴女はただ、学び続ければいい」
おばあちゃんは手を伸ばし、その手に握られていたものをぼくに見せる。
それは、レイコちゃんのロザリオだった。
「名前は、漢字表記に改めましょう。礼節を重んじる人間になってもらいたいという意味を込めて、『礼子』にしましょうか」
そう言って、おばあちゃんは、ぼくの首にロザリオをかけた。
「貴女は今日から――高崎礼子です」