第八章 1 宿木明日香
「待ってくださいよッ!」
今までずっと黙っていたマリアが口を開いたのは、その時だった。
「まさか、これで終わりじゃないですよね!?」
皆の視線を一斉に受けても、マリアは怯まない。逆に皆を睨み返して、彼女はさらに続ける。
「何、いい話っぽくまとめようとしてるんですか。そんな、笑って許して大団円なんて、ワタシ認めませんよ!? ここで終わりじゃ、困るんですよッ!」
「マリアさん、空気読んで……」思わず、そんな言葉が口をつく。
「読んでますよッ! 空気読んで、敢えて言っているんですッ! まだ、肝心なことを話してないじゃないですかッ!」
泣きはらして、赤い目をさらに真っ赤にした礼子に指を突き付け、マリアは声を張り上げる。
「礼子さんが人間になった課程――マスターは特殊な巡り合わせ、なんてぼかした言い方してましたけど、結局その部分には一切触れてませんよね!?」
そう言えば、確かにそうだ。完全に失念していた。
「うやむやにして誤魔化さないでくれませんか!? そこも、しっかりちゃんと説明してくださいッ! じゃないと、ワタシ、納得できませんからッ!」
今まで大して興味なさそうに聞いていたマリアが、何故急にテンションを上げたのか――その部分に関してのみ、何故そこまで執着するのか――気になる点は多々あったが、礼子が如何にして人間と成り得たのか、知りたいのは私も同様だった。
「うぅん、でも、そこは事件に直接関係ないんだよなァ……」
当のマスターは、明らかに気乗りしない様子だ。
「調べたこと分かったことは、全部話すって約束です。まだ、全部じゃないです」
マリアの目には力が漲っている。どうしても、この部分だけは譲れないらしい。
「分かったよ……。そこまで言うなら、全部話そう。礼子ちゃんも、いいよね?」
「……はい。私はもう、何も隠すことなんてありませんから」
ずっと俯くだけだった礼子は、その顔を、今はマスターに対して向けている。
もう、下は向いていない。
どこか晴れ晴れとした表情だ。マスター、新山の二人によって、彼女は救われたのだろう。
かくして、マリアの強い要望で、補足と言うか、エクストラの真相解明が始まろうとしていた。
「かつてこの町の食肉センターで生まれ、他の多くの『くれなひ』と同じようにブタとして育てられていた彼女が、どうやって人間と成り得たのか――この部分には、二人の人間が深く関わっている。一人は、彼女を逃がした人間。一人は、彼女に教育をした人間だ」
「逃がしたって――礼子さん、自力でセンターから脱走したんじゃないの?」
そう、紅太郎やオハラのように。
「違う。オハラは十四歳、紅太郎は十九歳だ。ヒトである以上、肉体的には人間と変わらないから――このくらいまで成長すれば、それなりに筋力も発達して、それ相応のパワー、俊敏性を発揮できるようになる。飼育員の隙を突き、力尽くで突破することも、まあ、不可能ではない。だけど、礼子ちゃんが自由になったのは、およそ十歳くらいの頃だと思われる。人間で言えば、まだ小学校四年生という年齢だ。いくら『くれなひ』が筋力面で人間より優れているとは言え、その歳で単独脱走をするのは、やはり無理がある」
「じゃあ、センターの飼育員がわざと逃がしたってことか?」
「会長がそう思うのも無理はないけれど、残念ながらそれも違う。センターの飼育員が故意にブタを逃がすとは考えづらい」
「なら、誰が逃がしたってのよ」
「明日香――お前、呉藍小学校の卒業生だよね?」
「何よ急に。まあ、私は呉藍小のOGだけど――って、それはマスターも一緒でしょう?」
健太や新山、そして恐らく白井も同様だろう。商店街は呉藍小の学区内だから、私立に行かない限り、商店街の人間は皆、呉藍小のOB・OGになる筈なのだ。
「小学校がどうかしたの?」
「うん――明日香は知らないかな。十五年前に呉藍小で起きた事件」
文脈上、それはブタが関係した事件なのだろう。十五年前と言えば、私はまだ五歳の幼稚園児だ。だけど、何かが引っ掛かる。十五年前、呉藍小、ブタ――以上の単語で脳内検索を始めると、程なくして一つの単語に行き当たる。
「――もしかして、『いのちの給食』のこと?」
どこかで、ガタンと音がした。
しかし、私がそちらを見るより早く、マスターが口を開く。
「ご名答。僕はもう中学生だったからよく覚えてるんだけど、当時五歳の明日香がよく知ってたねぇ」
「うん。道徳の時間にやったから」
「……ああ、『いのちの給食』って、あの、ブタを育てる話か」
遅れて、健太も思い出したようだった。
「オイ、何だよソレ。オレにも分かるように説明しろって」
大鷹が不平を漏らす。彼は隣町の小学校だったので、その出来事を知らないのだ。
「うん――十五年前、呉藍小、六年一組の教室で、一頭の子ブタが飼われることになったんだ。名前は『アカネ』。クラスは飼育当番を決め、校庭の隅に飼育小屋を建てて、その子ブタを飼い始めた。期間は一年。クラスの子供達は、皆、愛情を持ってアカネの世話をした。だけど、飼育期間の終了と共に、子ブタのアカネはセンターに連れられて行ってしまう。そこで潰され、食肉加工される訳だね」
「子供達は反対しなかたのかよ?」
「最初からそういう約束だったんだよ。子供達はアカネが肉にされるのを分かってて、そういう前提で飼い始めたのさ。もちろん、中には肉にすることに強固に反対する子もたくさんいたんだけど――そういう子も皆、何度も話し合い、議論を重ねて、納得していく。自分達が何によって、何を犠牲にして生きているかを、身を持って実感するんだね。小学生にはかなり重いと思われるテーマを、子ブタの飼育によって学んだ訳だ。自分たちが育てた子ブタを、自分たちの手でセンターに引き渡し、給食に出されたその肉を実際に食べる――これが、『いのちの給食』と呼ばれる特別授業だ」
そうそう、確かそんな話だった。その年以降の呉藍小児童は、皆、道徳の時間にこの話をやるのだ。
「――と、まあ、ここまでが世間一般で知られている話。明日香や健太も、道徳の時間にやって知っていたみたいだね。当時は全国紙で取り上げられたりもして、一部では有名だったりもしたんだけど――実は、この話には裏があるんだね。その当時の人間でないと知らない、ちょっとした騒動だ」
何やら不穏な空気になってきた。一同を順に見渡しながら、マスターは続ける。
「話では、最終的に皆納得したことになってるけど――実は一人、最後までブタを潰すことに、反対し続けた女子児童がいたんだね。その子は飼育当番関係なくアカネを可愛がり、相当に感情移入してしまっていた。ほぼ毎日のように放課後、飼育小屋に通って、アカネ相手にお喋りしている様子が目撃されている。当時、その子の両親は喧嘩が絶えず、それで家に帰りたくなかった――っていう背景も関係しているんだろうけどね。彼女は、どうしてもアカネを死なせたくなかった。家畜であり経済動物である子ブタを、ペットとして――いや、友達として見なしていた訳だ。彼女、教師や同級生の説得にも耳を貸さず、一人で頑張ってたらしいけど――結局、アカネはセンターに連れて行かれることが決定してしまう。そこで彼女は、ある行動を起こす。センターに連れて行かれる前日、飼育小屋のアカネをこっそりと逃がしてしまったんだ。どうにか生き延びてほしい――そう願ってね。だけど、願いは届かなかった。アカネは捕獲され、結局は潰されてしまう。後日、給食に出されたのが、ポークステーキと肉のスープだ。その子は、泣きながらそれを食べたらしい――」
「食べてない」
マスターの話をばっさりと切る、低く固く、冷たい声。
「口に入れただけで――全部、戻したの。食べられる訳ないじゃない。あの子のスープなんて」
床に視軸を固定し、顔面蒼白になりながら、本間刑事は続ける。
「その時の女子児童が――貴女ですね」
――飛鳥雫さん。
マスターの声が、店に響き渡る。
「……何から何まで、よく調べてあること」
俯いたまま、彼女は眼鏡のフレームを押し上げる。
「え、アスカシズクって――刑事さんの名字は『本間』だろ!?」
健太が頓狂な声を上げる。驚くべきポイントはそこじゃない気がするが、知らない人間にとっては、それも充分に意外な事実ではあるのだろう。
「今はね。でも、彼女が高校生の時までは飛鳥姓だったんだ。高校卒業と同時にご両親が離婚して、親権者である母方の姓、本間を名乗るようになったって訳」
「昔、大食い番組で大鷹さんと対決した時はまだ飛鳥姓だったのよ。だから逆に、店に来た刑事さんがあの時の女子高生だって気付けなかったのよね」
マスターの話を引き継ぐ形で、横から補足する。
「ん? どういうことだ?」
「だからね――健太、初めて刑事さん達がこの店に来た時のこと、覚えてる? あの時、刑事さんは『呉藍署の本間です』としか名乗らなかったでしょ? 容姿の雰囲気がだいぶ違う、ってのも勿論あるけど――それ以上に、名字が変わっていて、下の名前が省略されたことで、私も大鷹さんも、目の前の刑事があの時の対戦相手――飛鳥雫だと見抜けなかったのよ」
ちなみに、商店街の会合の時に皆で見た動画では、冒頭の選手紹介の部分が省略されていた。だから健太も、今の今まで、本間刑事の旧姓が飛鳥だと知らなかったのだろう。
「でも、それはどうかな。あの時、ちゃんと警察手帳開いて見せてたじゃない。そこにはちゃんと、『本間雫』ってフルネームで書かれていたよ? 珍しい名前だから、僕はすぐに気付いたけど」
「そういうところが、目ざといって言ってるのに……」
「でもさ――アスカって、お前もアスカじゃん。偶然とは言え、随分とややこしいな」
「雫さんは名字で、私は下の名前だけどね。それに漢字も違う。雫さんは『飛ぶ鳥』で、私は『明日香る』――音に出すと一緒で、確かにややこしいんだけどね」
「だから、呼び方には気を遣ったよ」
私の説明を、再びマスターが引き継ぐ。
「僕たちは基本、妹の明日香と区別するために、彼女を下の名前で呼んでたんだ。『雫ちゃん』とか『雫さん』とか――ちょうど今、明日香が呼んでたみたいにね。再会した後、僕たち兄妹は揃って呼び方の確認をしたよね? 新しい名字になったことで、わざわざファーストネームで呼ぶ必要がなくなったからだ。案の定、彼女からは新しい名字で呼ぶように、と要請された。会長は馬鹿だから、何度訂正されても下の名前で呼んじゃうみたいだけどね」
「……一言多くね?」
大鷹のクレームを、マスターはキレイにスルーする。
「逆もまた、然りだ。雫ちゃん、明日香に対しては一貫して『妹さん』とか『宿木の妹』とか言い続けている。どうやら、『アスカ』という音そのものを口にしたくないみたいだね」
飛鳥とは、別れた父親の姓だ。かつて家族間で何があったか知らないが、いい印象を持ってないのは確かなようだった。
「――で?」
健太との遣り取りを黙って見ていた本間――ややこしいので、呼称は本間で統一することにする――が、再び口を開く。
片方だけ口角を上げた、やや挑発的な表情。
しかし、顔色が悪いため、無理をしているようにしか見えない。
「十五年前にそういう出来事があって、私がその当事者だとしたら、どうなの? まさか、その時のアカネが、この高崎礼子だって言うんじゃないでしょうね? そんな訳ないじゃない。アカネは、捕まったのよ!? 捕まって潰されて、肉にされて給食に出されたの! 私は――あの子を、救えなかった……」
「それがトラウマになって、以降、ブタ肉を口にすることが出来なくなった、と?」
「そうよ悪い!? 私のせいで、あの子は肉にされたの! あの子は――私の、友達だった! 友達を食べられる訳がないでしょう!?」
「ううん、そうだなぁ……」激昂する本間を尻目に、マスターは間延びした声を出す。十中八九、意図的なモノだろう。ああやって、相手との間合いを計っているのだ。
「言いたいことは色々あるんだけど、順に一つずつ」
「何よ」
「まず――アカネは、捕まってなんかいませんよ。潰されてないし、肉にもなっていない」
「先生達が嘘を吐いたって言うの?」
「そうです。しかし、それは悪意のある嘘じゃあない。あの特別授業は、皆で育てたブタを皆で食べて、それで初めて成立するんです。児童一人の想いで、一年間のクラス全体の頑張りをフイにしてしまう訳にはいかなかった。だからセンターの委託した捕獲業者に逃げたアカネを捕まえてほしかったのだけど――生憎、どれだけ探しても、逃げたアカネは見つからなかった。それで、学校側はよかれとと思って嘘を吐いたんです。別のブタ肉をアカネのモノだと偽り、児童達に食べさせることで、『いのちの給食』を完成させたんです」
「フン。よくある、大人の嘘って訳ですか」
「平たく言ってしまえばそうですが――しかし、これは貴女のためでもあるんですよ?」
「はァ? それが、何で私のために――」
「考えてもみてください。子ブタのアカネを逃がしたのは、貴女の独断――言ってみれば、貴女の我が儘です。それで、クラスの一年の努力が台無しになってしまうところだった。そうなると、貴女が責められるのは必至でしょう。もしかすると、イジメの対象になっていたかもしれない。学校側はそれを見越して、敢えてそうした嘘を吐いたんです。決して、悪意のある嘘ではなかった。貴女を傷つけるつもりはなかったんですよ」
「……想像、でしょう?」
「まさか。ちゃんと、当時の関係者に聞いたんですよ。裏を取った、ってやつです。想像でも推理でもなく、これは事実です。アカネは、捕まってなどいないんですよ」
「で、でも――」
忙しなく瞳を動かしながら、言葉を探す本間。
かなり、揺れている。
「仮にアカネが捕まったのが嘘だとして、逃げ延びたのが本当だとして――それがこの人だって根拠は、どこにもないでしょう?」
「根拠も何も、この時期、センターから脱走したブタは一頭もいないんですよ。自由の身を手に入れたのは、貴方が逃がしたアカネだけなんです。これは次に繋がる話なので、詳しい説明は省きますが――アカネ=(イコール)高崎礼子としないと、逆に整合性がとれなくなってしまうんです」
「そんなこと言ったって……」
「と言うより、本間さん――彼女を見て、分からないんですか? 一年間、全力で可愛がったんでしょう?」
「…………」
しかし、本間は決して、礼子を正面から見ようとはしない。視界の隅で捉えながら、さらに顔を青ざめるだけだ。
「礼子ちゃんの方は、貴女があの時の女子児童だって、しばらくして気が付いたようでしたけどね」
「えっ……」
虚を突かれたような表情で、本間は顔を上げる。
それに呼応するように、礼子が口を開く。
「明日香ちゃん――これは妹さんの方ですけど――前に話してくれたの、覚えてる? 捜査をしている刑事さんが、かつて大鷹さんと対戦した女子高生だったって話」
そう言えば、そんな話もしたような。
「刑事さんの昔の名前が『飛鳥雫』で、今もブタ肉が食べられないって聞いて、ピンと来たの。歳も、ちょうどそれくらいだったし――もっとも、その時は私の正体がバレるんじゃないかって、そのことばかり心配していたんだけど」
その話をした時、礼子の目の奥に闇が広がっていったのを、今さらながらに思い出す。私は私で、無意識に彼女を追い詰めていたらしい。
「本当に――アカネ、なの?」
本間はようやく、礼子を正面から見る。
喉が渇いているのか、僅かに声が掠れている。
「あのまま逃げて……今まで、生きていたの?」
「……ずっと、お礼を言いたいと思っていました」
注意して見ないと分からないレベルで、礼子は口元に笑みを浮かべている。うっすらと温度を感じる――そんな微笑みだ。
「いつだったか、三人組の男子にいじめられていたところを助けてくれたの、覚えてます? あちこち擦り剥いて、血もいっぱい出て――その応急手当てをしてくれたのも、飛鳥さんでしたよね。――あ、今の飛鳥は、本間さんの昔の名前の方で――」
「礼子ちゃん、ややこしいから明日香と本間さんで統一しようか」
マスターが苦笑している。偶然とは言え、本当にややこしい。
「本間さん――その時の傷、まだ残っているんですよ」
言いながら、礼子は赤い髪をかき上げる。
生え際に、大きくて古い傷跡が見えた。
どんな怪我でそうなったのか、状況を知らない人間には推測のしようもないのだけれど――本間には、それで充分だったらしい。
「あ、あ……」
礼子に近付こうとして、足をもつらせ、その場に跪いてしまう。普段の、クールさからは想像もできない崩れっぷりだ。
「何で助けたのか、生かしたのか――色々あって、恨みに思うこともありましたけど……今は、素直にお礼が言いたいです」
――本当に、ありがとうございました。
跪いたままでいる本間の肩にそっと手を置き、礼子は優しく、お礼の言葉を述べる。
「そんな、お礼なんて……」
跪き、俯いたままで、本間は言葉を絞り出している。
「私、ずっと、死んだんだって――捕まって肉になっちゃったんだって、思ってから……。ずっと、辛くて……。アカネを救えなかったのが、悔しくて……。全部、私のせいだって、思ってたから……。お礼を言われる資格なんて、私には――」
「それは違うんじゃないですか?」
懺悔めいた本間の独白に、マスターが口を挟む。
「さっきから聞いてると、どうも心得違いがあるみたいですね。あくまで、アカネは家畜であり、経済動物だったんですよ? 肉になるのが当たり前の存在なんです。それを、勝手に感情移入して、救おうだとか逃がそうだとか考えるのは、やはり勘違いと言うよりありませんよ」
「何だよ、マスターは、礼子ちゃんが肉になった方がよかった、ってのかよ」
「そうじゃないよ、会長。いいかい? 十五年前、センターから呉藍小に預けられたのは、アカネという名の紛うことなきブタだったんだよ? これは肉にされるのを前提として生きている存在で、救うも何もないと、僕はそう言っているんだ。それに対し、今僕たちの目の前に立っているのは、高崎礼子という人間だ。アカネと礼子ちゃんは、確かに同一で連続した存在ではあるのだけれど、そのカテゴリは全く違う。アカネはブタで、礼子ちゃんは人間だ。そこをごっちゃにしちゃいけない。かつてアカネという名のブタだった存在が、どこかの時点で高崎礼子という人間になった――この経緯は、後で詳しく話すけど――とにかく、僕が言いたいのはね」
そこで一旦言葉を切り、本間の顔をキッと見据える。
「本間さんが抱える屈託も、背負う十字架も、負った傷も、そんなのは丸ごと全て、ナンセンスだってことだよ。そんなもの、初めからどこにも存在しないんだ。それなのに、本間さんは自ら進んで苦痛の道を選んだ。自分で勝手にもがき、苦しんでいたんだよ。馬鹿馬鹿しい。そんなのは、いい加減に終わりにするべきだ。実際問題、アカネは逃げ延び、高崎礼子として生まれ変わり――まあ、色々と間違いはあったけど――今もこうして、ここに生きている。その礼子ちゃん本人が逃がしてくれた貴女にお礼を言っているのだから、それは素直に受け取るべきだ」
――貴女は、もう、救われていいんですよ。
マスターの声が、店内に広がっていく。
その余韻の中で――本間は無言で、コクリと頷いたのだった。