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第五章 2 本間雫

 現場は騒然としていた。

 町の郊外――畑や田圃が広がる、その一画。普段は農家の人間しか使わないやや広めの農道が、今は人で敷きつめられている。人垣の中央には、作業服を着た数人の男達。麻酔銃や刺又、ネットランチャーなどを手にしているところを見ると、恐らくはセンターが委託している捕獲業者なのだろう。その後ろには、制服警官が何人か固まっていて、私服刑事の姿もちらほらと見られる。

 目を引くのは、業者や警察と対峙している団体だ。

 皆、迷彩服を着ている。背中には、大きく赤い『G』の文字。アジア系も多いが、ほとんどが大柄な白人や黒人で占められている。どこぞの傭兵部隊のような物々しさだ。

 こいつらが――守護者(ガーディアン)か。

 Gはガーディアンの頭文字なのだろう。今まで悪行ばかりが耳に入っていたが、その姿をはっきり見るのは、これが初めてだった。

 業者、警察、守護者(ガーディアン)――それらの中心には、全ての元凶である、例の脱走ブタがいる。目撃証言や様々な痕跡から足跡を辿り、ようやくその姿を発見し、ここまで追い詰めたのだ。生憎と、人垣のせいでその姿を目にすることはできないが――逆に言えば、これだけの人なのだ。ブタに逃げ場はない。捕まるのは時間の問題――だと思われたのだが、そうは問屋が卸さない。守護者(ガーディアン)の連中がしゃしゃり出てきて、事が穏便に済む訳がないのだ。案の定、奴らはとんでもない要求を口にする。

 脱走ブタの身柄を預かる、と言い出したのである。

 とんでもない話だった。横槍以外の何物でもない。センターから脱走して、二人もの人間を殺めた疑いのあるブタを、何故守護者(ガーディアン)などに渡さねばならないのか。平気でそんな提案をする神経が理解できない。

 当然、警察も業者も、そんな要求は突っぱねる。すると、奴らは交渉に応じられないのなら実力行使に出ると言い出す。最初からそのつもりだったくせに――よくもまあ、そんなことが言えたものだ。

 しかし、それで困ったのは警察だった。郊外とはいえ、今は野次馬も報道陣も大勢いる。こんな場所で銃撃戦でも始められようものなら、民間人に被害が及ぶ危険性大だ。結局、慎重な態度を取らざるをえなくなる。恐らくは、それも守護者(ガーディアン)の計算の内なのだろう。狡猾な連中だ。

 今は各々の代表がブタの横で粘り強く交渉を行っているが、議論は平行線で、どう考えても結論など出そうもない。大人しくブタを渡すか、戦うかの二択しかない状況で、否応なしに場の緊張感は増していく。業者、警察、守護者(ガーディアン)、マスコミ、野次馬――張り詰めた空気の中で、皆が皆、場の成り行きを見守っている。

 しかし。

 雁字搦めの膠着状態は、意外な形で終焉を迎える。

 きっかけは、一つの咆哮だった。

 ブタだ。

 ブタが鳴いている――否、吠えているのだ。

 相変わらず人垣が邪魔でブタの姿は黙認できないが、迷彩服の連中が困惑しているのだけは伝わってくる。どうやら、暴れだしているらしい。追い詰められ、ただでさえ興奮しているところを、一度にこれだけの人間に取り囲まれたのだ。パニックになるのも無理はない。加えて、今日は記録的な猛暑でもある。暑さに弱いと言われているブタが、炎天下と人混み、双方のもたらす熱に耐えられる訳がない。我慢の限界を迎えたブタは、近くにいる人間に牙を剥く。

 一番近くにいたのは、強引に保護しようとしていた守護者(ガーディアン)幹部の男だった。怒りの突進を受けて呆気なく突き飛ばされ、隣の水田へ、背中からダイブしていく。その周囲の守護者(ガーディアン)メンバーも同様だった。ある者は強烈な突き上げに腰を強打し、またある者は下腹部への頭突きに悶絶して膝を突き――気が付くと、あれだけ物々しいオーラを発していた守護者(ガーディアン)の連中は、一人残らずブタの餌食となっていた。業者や警察ではなく守護者(ガーディアン)が狙われたのは、ただ単に近くにいただけという純然たる偶然なのだろうが――本来保護すべき対象に為す術もなくやられていく様は、ひどく滑稽で痛快だった。畜産農家に嫌がらせをしている暇があるなら、もっとブタの攻撃性や凶暴性を勉強しておくべきではないだろうか。

 しかし、溜飲を下げているばかりでもいられない。守護者(ガーディアン)の連中がやられた所で、事態は振り出しに戻っただけなのだ。数瞬の間、呆気にとられていた捕獲業者たちも、すぐに自分の仕事を思い出し、素早く陣形を作る。発煙筒で煙幕を張り、威嚇射撃で対象を怯ませ、ネットランチャーで捕獲網を発射し――数分前まで極度の緊張状態にあった現場は、今や、極度の狂乱状態に陥っている。


 その一部始終を、私はテレビ画面で傍観していた。 


 呉藍署の刑事部屋である。午前中、例の事件における被害者の身元割り出しのために、私は照会作業を行っていた。そこで脱走ブタ発見の一報を聞き、それからずっと、テレビ中継の様子を見守っていたという訳だ。万が一、ブタ捕獲に駆り出されていたら、あそこにいたのは自分だったかもしれない。土まみれになりながらブタ捕獲に奔走する自分を想像し、私は溜息を吐く。

 ――こんなの、刑事の仕事じゃないでしょうに……。

 首を振り、刑事部屋を出て行く。

 自分たちは、事件の捜査をしているのだ。脱走ブタを捕まえるのは捕獲業者の仕事だ。仮にあのブタが二人の人間を殺めていたとしても、やはり、警察の出る幕はない。取り調べができる訳でも、立件して起訴できる訳でもない。幾つかの裏付け捜査をして、書類を書いて終わりだ。ひょっとしたら被害者遺族が食肉センターを訴えるかもしれないが、それはそれで民事事件になってしまう。警察は関与しない。

 何をやっているんだろう、と思う。

 廊下の突き当たりにある休憩所、そこの自販機で缶コーヒーを買いながら、思いを巡らせる。

 ガード下での殴殺事件も住宅街での一件も、脱走ブタが巻き起こしたことで間違いはない。現場や遺体からはブタの毛が大量に発見されているし、これで今追いかけているブタとDNAが一致すれば確定となる。それに関しては、私だって一切異論はない。

 問題は――商店街での事件をどう見るか、だ。

 署内では、それも脱走ブタの仕業ではないか、という意見が大多数を占めている。地理的にも、タイミング的にも、そう考えるのが自然なのだろうという考えだ。それは、私もそう思う。

 ならば――ブタは、どうやってあの路地から消えたのだろう。

 死体は、どこへ消えてしまったのだろう。

 結局、謎はこの二つに集約されてしまう。

 ここが分からない限り、前には進めない気がする。一応、私なりの考えもあるのだが――それはまだ、ただの思いつきにすぎない。一昨日暴走したばかりだし、ここは慎重に動くべきだ。

 ――あのブタが、何もかも自白してくれたら。

 そんな、馬鹿な想像が頭をよぎる。脱走ブタが自分の身に起きたことを洗いざらい白状してくれたなら、こんなに楽なことはない。それなら、一連の事件は全て解決する。しかし、当然のことながら、現実はそうではない。恐らく、あのブタは今日中に捕獲されて、色々と調べられて――最終的には、殺処分されるのだろう。

 ブタ。

 殺処分。

 血。

 肉。

 ――赤。

 目眩がした。

 嫌な想像など、するものではない。

 自分は何故、ブタの事件などに関わっているのだろう。

 ――早く、この悪夢から解放されたい。

「センパーイッ!」

 廊下の奥から滝山の声が響く。そんな大声で呼ばずとも、聞こえるのだけど。

「ああ、こんな所でサボってたんですか!?」

 息を切らせ、なかなか失礼なことを言っている。

「大変ですッ! 事件ですよ、事件ッ!」

「何よ……さっきのブタ、もう捕獲された訳?」

「それどころじゃ――いや、ブタの捕獲も大事ですけど、それとは別で――あ、いや、別じゃないのか――」

「落ち着いて滝山クン。事実だけを話して」

 滝山は軽く息を整え、声のトーンを落とす。

「南部の廃工場で、男性が倒れているのが発見されたんです。どうも背後から鈍器で殴られたらしく――現在意識不明の重体ですが、命に別状はないとのことです」

「ああ、そう」確かに事件だが、大騒ぎする程のことではないと思う。それとも――「まさか、それも脱走ブタの仕業とか言い出さないわよね? それは無理よ。今まさに大捕物の真っ最中なんだから」

「んなこたぁ分かってます。そうじゃなくて――」

 幾分顔を紅潮させながら、滝山は続ける。

「財布に免許証があって、被害者の身元はすでに割れているんです。被害者氏名は新山守――あの、商店街の肉屋店主なんですよ」

「――行きましょう」

 飲みかけの缶コーヒーをゴミ箱に投げ捨て、私は立ち上がった。

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