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第一章 2 本間雫

 蝉時雨が、飽和状態となっている。

 容赦なく降り注ぐ日差しに、絶え間なく汗が噴き出していく。

 平日の昼下がり――丘の上の住宅街。時間帯のせいか、住宅街だと言うのに、人通りは皆無に近い。この場にいるのは、私たち捜査員と、モノ言わぬ亡骸(なきがら)だけ。

 頭を潰されて絶命している死体を見下ろしながら、私はまた、一筋の汗を垂らす。

 本当なら、このクソ暑い中で死体など目にしたくない。だけど、私は呉藍署の刑事なのだ。捜査のためには仕方がない。

「財布、携帯電話は手つかずのままです。物盗りの仕業ではなさそうですね」

 横では、後輩刑事の滝山(たきやま)宗司(そうじ)が報告をしてくれている。滝のような汗を流しているが、疲弊したところは見られない。これが若さだろうが――なんて、卑屈めいた感想に囚われる。私だって、まだ二〇代なのに。

「――ってことは、通り魔ってこと?」

「どうでしょうねぇ……。いくら人通りがないって言っても、白昼の住宅街ですからね。変質者でも、もうちょっと時間と場所を選ぶんじゃないですかね……」

 滝山の言う通りだった。もっとも、その理屈だと物盗りも怨恨も考えづらくなっってしまうのだが……。

「身許は?」

「財布の中に免許証が入ってました。氏名は本原(もとはら)(しげる)、六十三歳。住所は……ここから、すぐ近くですね。散歩中を襲われた、ってとこでしょうか」

「そうね……」同じ考えだった。被害者は、ジャージのズボンに肌着という、極めてラフな格好である。どこかに出掛けるところと言うより、散歩の途中と考えた方がしっくりくる。 

「……に、しても……」二人は、思わず顔を見合わせる。「どうやったら、こんな風になるのかな……」

 状況の異常性は、一目見た時から明らかだった。

 被害者は、ブロック塀に頭をめり込ませて絶命していたのだ。

『めり込ませて』という表現は大袈裟かもしれないが、実際、その表現が一番適切に思える。民家の敷地と公道とを分ける平凡なブロック塀――地面から一メートル数十センチ程の部分が陥没し、派手に血飛沫が飛び散っている。死体は、その真下に崩れ落ちるようにして倒れていて――どう見ても、ブロック塀に頭を叩きつけられて殺されたようにしか見えない。

「馬鹿力ってことですかね……」

 滝山が、それこそ馬鹿みたいなコメントを述べる。しかし、実際そうとしか思えないような状況である。白昼堂々、住宅街の片隅で、散歩中の老人をブロック塀に叩きつけて殺害する――何とも、常軌を逸した犯行である。額に滲む汗は、何も暑さばかりのせいではないようだ。

「この前の事件と、関係あるんでしょうか……」

 独りごちるように、滝山が呟く。

「…………」私も同じことを考えていた。同じことを考えていただけに、何もコメントできない。そういう意味では、自分の方が馬鹿みたいなのかもしれない。

 滝山が言っているのは、五日前に呉藍駅の高架下で起きた、今回同様の通り魔事件のことである。被害者は飲み屋帰りのサラリーマン。鞄、財布、携帯電話は手つかずのまま。仰向けの姿勢で殺害されていて、それを別のサラリーマンが発見した。

 殺害方法は――殴殺。

 否、突き飛ばした、と言った方が正確だろうか。

 被害者は、後頭部を地面に打ち付けて絶命していた。突き飛ばされて転んだのか、あるいは地面に叩きつけられたのか――後者の場合、やはり、人間離れした怪力の持ち主と言える。犯人は熊かゴリラか――と、冗談めかしていう同僚がいるくらいだ。

 高架下の事件は、今回のそれと酷似している。ブロック塀に叩きつけられ、スイカのように破壊された頭――あまりにも、酷すぎる。

「……ん?」

 潰された頭から視線をスライドさせた私は、被害者の手に、妙な違和感を覚える。

「これ、何だろう……?」

 屈み込んで注視してみる。少し伸びた爪に、何か糸のようなモノが絡みついている。

「髪の毛ですか?」

 いつの間にか、横の滝山が同じように屈んで覗き込んでいる。

「叩きつけられる瞬間に、犯人の頭を掴んだのかもしれない」

 だとしたら、これは重要な遺留品である。丁寧に摘み上げ、それ専用の袋に保管する。

 ――に、しても。

「随分と、明るい色だね……」まじまじと注視する。「……赤毛?」

 光の加減でよく分からないが、赤とピンクの中間色のような、とにかく派手な色である。男にせよ女にせよ、こんな頭をした人間がいたら、相当に目立つ筈である。もちろん、この毛の持ち主が犯人と決まった訳でもないのだけれど。


「……どうなってるのかな……」

 メガネのフレームを外し、ハンカチで汗を拭いながらその場を離れる。鑑識作業も終了していないし、これ以上、この無残な死体と対面する意味はない。

 丘の上の住宅街――少し離れたところには、呉藍町が一望できる高台がある。そこには大きな桜の樹があって、日差しを避けるのに最適だ。私は湿った溜息を吐きながら、その樹にもたれ掛かる。

 ――平和な街だったのに……。

 高台から臨む街を眺めながら、私は独りごちる。呉藍署に配属されてから五年――否、その前の交番勤務もこの呉藍町だから、実際はもっとか――こんな残忍な事件は、初めてだった。

 気が滅入る。

 訳の分からなさも相まって、気は重く沈んでいた。捜査員がこんなことではいけないんだろうが……。

 駅、駅前商店街、小学校、食肉センター。

 その向こうに広がる紺碧の海。

 高台からの風景は、子供の頃から何も変わってないと言うのに。

「そういや、先輩、知ってます?」

 サボっているのを見抜いたのか、滝山が半笑いで近付いてくる。

「知ってる」

「まだ何も言ってないのに……!? エスパー刑事(デカ)ですか?」

「滝山君が彼女にフラれたって話でしょ?」

「――――ッ! 何故それを……ッ!」

「署の人間ならみんな知ってる」

「ええええええええッ!」

「周知の事実ってやつだね」

「そんなあ……」

 やりすぎただろうか。項垂れる後輩刑事を見ると、何だかひどい罪悪感を抱いてしまう。

「冗談よ。彼女にフラれたって話は、偶然耳にしたの。署の人間がみんな知ってるってのは、話を盛っただけよ」

 結局、自分からネタばらししてしまう。

「……そうですか。まあ、事実だからいいんですけどね……」

「それより、何よ? 滝山君、自分の失恋話を披露したくて近付いてきた訳じゃないんでしょう?」

「分かっててそういうこと言うんだから、人が悪いよなァ――いや、僕は、食肉センターから、またブタが脱走したって話をしたかっただけで……」

「ああ……」

「知ってるんですか!?」

「この町の人間なら、みんな知ってる」

 高台から見える食肉センターを眺めながら、そう言い放った。

 その施設がいつ出来たのか、詳しいところは誰も知らない。町の中心にあって、沢山のブタを飼育し、繁殖し、潰し、加工して、周辺地域に流通させている――ある種、呉藍町の経済拠点とでもいうべき施設である。その食肉センターから、二頭のブタが脱走したのが、ちょうど一週間前。地方紙に載る程には話題になったので、当然、私も知っていた。滝山に教わるまでもない。

「話って、それだけ?」

「まさか。いや、その脱走騒ぎなんですけど――俺、ちょっと気になる話を耳にしたんですよね」

「気になる話って?」

「あの脱走騒ぎ――守護者(ガーディアン)が絡んでるって噂があるんですよ」

守護者(ガーディアン)――って、あの?」

「そう、その、守護者(ガーディアン)です」

 守護者(ガーディアン)とは、ここ数年、国内外で暴れ回っている過激な環境保護団体のことである。各国の畜産関係に対する暴力的な抗議行動が有名で、その過激さゆえ、一部のメンバーは有罪判決を受け、国際手配されている程である。その一方で、ブタ食に否定的な一部の国やメディアなどから賞賛されている。もっとも、一介の警察官である私などからすれば、迷惑な存在以外の何者でもない。

 彼らの活動内容――と言う名の犯罪行為――は大小含めて多岐に渡っていて、それを全て克明に把握するのは困難である。

 だから、ある種のデマも大量に流布している。

「下らない。それも、デマの一種じゃないの?」

 ブタに関連しているからと言って、それが即、守護者(ガーディアン)の仕業と決めつけてしまう訳にはいかない。私たちは、警察官なのだ。裏をとらない限り、動くことはできない。

「どうせそれ、どこぞの週刊誌か、ネットが情報源でしょ? 簡単に鵜呑みにしちゃ駄目だよ」

「先輩は真面目ッスねえ……。ただの世間話じゃないですか。どっちみち、俺らの管轄じゃないんだし」

「世間話だったら、尚更やめて」

 ブタの話なんか、したくもない――ちょっと口調がキツいかと想いながらも、そう言わずにはいられなかった。守護者(ガーディアン)の思想とは全く別のベクトルで、私はブタが苦手だった。

 思い出したくもない。

 今は、ブタのことなど、どうでもいいのだ。

「……さあ、署に戻るよ。捜査会議始まるから」

 怪訝そうな顔の滝山を視界の隅に捉えながら、私は踵を返した。

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