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第三章 3 松岡健太

「……それで、どうなったんだ?」

「別に。どうもなってない」

「どうもなってないってことはないだろ。死体が消えたって、大騒ぎじゃんか。ってか、現に騒ぎになってるし。オレの店にも来たぞ、昨日の刑事たち。オレはそれで起こされたんだからな」

「いくら店が休みだからって、いい年した大人が昼寝してんじゃないわよ……」

 ノートに目を落としたまま、明日香は呆れたような溜息を漏らす。反論したかったが、何もうまい言葉が出てこない。

 夕方の喫茶宿木はそこそこ混み合っていた。

 オーダーを受け、飲み物や軽食を提供するのにマリアは大忙しだ。その一方で、マスターはテーブル席をくっつけ、おれが納品した花を飾り付け――と、この後に始まる大食い大会のシミュレーション会場設営に専念している。もちろん、新山が納品したステーキ肉を調理することも忘れてはいない。その合間合間に、客に出すコーヒーを煎れているのだから、器用なものだ。

 今回の主役、フードファイター大鷹大輔は、店の隅で組んだ手を額に当てて何やら集中している。明日香曰く、イメージトレーニングをしているのだとか。たかが大食いだと言うのに、大仰なことだ。

 そして、もう一人の常連客の明日香はと言えば――いつも同じカウンター端の席で、何やら思案に暮れている、いつもは文庫本なのに、今日は大学ノートなど開いて、何やらびっしりと細かい文字で紙面を埋め尽くしている。どうしたのかと声をかけると、どうやら、今日起きた出来事を自分なりにまとめているとの答え。ミステリマリアの悲しき性なのだろうか、こういった一風変わった事件には反応せずにはいられないらしい。

 刑事に昼寝を邪魔され、あーだこーだと聞き込みをされたおれではあるが、実際、事件の概要などは一切把握していなかった。明日香に解説役を頼んだのは、ある種必然だったのかもしれない。

 しかし、だ。

 はっきり言って、訳が分からない。それは、明日香の説明が下手だからでも、おれの理解力が乏しいからでもない。

 起きた事件が、意味不明すぎるのだ。

 事件の直前、明日香はマスターや大鷹、礼子といったいつもの面子で雑談をしていた、らしい。話が途切れたところで、明日香は店の外を見る。そこで、路地の入り口、つまりコインランドリーと居酒屋のある方に向かって歩く、パジャマ姿の少女を目撃する。その少し後に、バン、という板を割るような音が聞こえてきて、さらにその後には若い女性の悲鳴。ただならぬモノを感じた一行は店を飛び出し、そこで、腰を抜かしているマリアと、神妙な顔つきで穴を覗いている刑事コンビに出くわす。どうやら、誰かがブタ捕獲用の穴に落ちたらしい。後ろから覗くと、そこには首を折って死んでいるパジャマ少女の姿――と、まあ、ここまではいい。分かる。

 問題はその後だ。あの本間とかいう女刑事の咄嗟の判断で周囲の確認がされたが、路地の奥は突き当たりで突破不可。入り口も、白井たちの目があって、行き来のできない状況だったという。ならば、犯人はどこから来てどこへ消えたのか――

挿絵(By みてみん)

「……やっぱ、事故なんじゃねェの?」

 しばらく考えてから、おれは口を開く。

「それはない。死んでたのは中学生くらいの女の子だよ? そんな年の子が、落とし穴のことが分からないなんて考えられない。この町の人間なら尚更ね」

「じゃあ、余所から来た子なんだろ」

「それでも、あれだけ大きく、注意を促す看板があったのよ? 曇りとは言え、昼間で辺りは明るかったんだし、あの場所が危険だってことくらいは、判断できるでしょうに」

 確かにその通りだ。それなら――

「不幸な偶然が重なった、っていうのはどうだ? 石につまずいて転んだ先があの場所だった、とか」

「道と穴の間には一メートルもの段差があるの。意思を持ってよじ登らなきゃ、あの場所には行けないって」

「帽子か何かが飛ばされて、それを取ろうとした」

「あの時は無風状態でものすごく蒸し暑かった。それに、帽子みたいに風で飛ばされそうなものも、現場にはなかった筈」

「自転車でこけて、段差を乗り越えた」

「だったら、現場に自転車がなきゃおかしいでしょ。タイミング的に、第三者が持ち去る時間的余裕もなかった筈だし」

「車ではねられた」

「車の出入りもない」

「高い場所から落ちた」

「近くに高い場所なんてない」

「だったら、誰かに突き落とされたんだろ!」

「だから、人の出入りはなかったって言ってるでしょうが!」

 思いつきを次々と一蹴されて頭にきていたのだろう。意図せずして話が一周してしまう。しかし、殺人が無理で事故はあり得ないとするならば……。

「……まさか、自殺なんてことは――」

「ないね。穴に頭突っ込んで首を折る自殺なんて、聞いたこともない。成功率が低すぎる。だったら素直に首吊りでもした方がいい」

「……お前、さっきから人の考え否定するばっかだけどさ、お前自身はどう考えてんだよ」

「私が考えて分かるようなら、警察は苦労しないってば……」

 結局、明日香も分からないのではないか。自分の考えもないのに、人の否定や批判ばかりする彼女の態度に腹が立たないでもなかったが――大人なので、流してやることにする。

「話は変わるけどさ――その、死んでた子って、どこの誰だか、分かったのかよ」

「多分、今警察が調べてるとこだと思う。似顔絵書いてね。少なくとも私は、初めて見る顔だった。多分、この辺の人間ではないんじゃないかな」

 ――準ひきこもりでろくに地域コミュニティとも関わっていない明日香に、そんな判断はできないと思うのだけど……。

「……半分引きこもりみたいな私でも、あの子がこの辺の人間かどうかくらいの判断はできるんだよ?」

「お前ら兄妹は、どうしてそうやって、人の心を読めるんだよ! エスパー兄妹か!?」

「……あのね、言っておくけど、マスターも、礼子さんも大鷹さんもマリアさんも、それにあの刑事さんたちだって、皆知らないって言ってたんだからね。少なくとも、この商店街界隈の人間じゃないことは確か。呉藍町全体まで広げちゃうと、さすがに分からないけどね」

 やはり、ある程度離れた場所からやってきた人間らしい。

「だったら、パジャマなのは尚更おかしいな。しかも裸足だろ? どういうことだ?」

「さぁねぇ……よくない想像ならいくらでもできるけどねぇ……」

 瞬間、マンションの一室に拉致監禁されている女子中学生の姿が脳裏に浮かぶ。犯人の目を盗んで必死に逃走し、その挙げ句に不幸に遭う――あまり愉快ではない想像である。

 結局、想像は想像で、想像の域を出ない。根拠のない空想は、推理ではなく、ただの妄想だ。

「これに関しては、警察の捜査待ちじゃないかな」

 身も蓋もない言い方だが、もっともなので敢えて黙っておく。

「それより私は、あの子がどこから登場したのかが気になるかな」

 被害者の少女は、忽然と姿を消した犯人と同じく、路地に入ったところを目撃されていない。奥は突き当たりで、商店街の人間でもない。なのに、突然死体として現れたのだ。……いや、死ぬ直前に、目撃情報があったんだっけか。目撃者は、今目の前にいる明日香だ。

「目撃者はお前だけなんだよな?」

「私が見たのも、たまたまだけどね。この袋小路で、どこから現れたのか――これに関しては、一つ、考えがあるんだけど――今日は遅いし、雨も降ってるから、明日にでも確認してみようかな」

 どこか呑気な口調で、独りごちるようにそう言う明日香。その態度と発言内容に、おれは驚く。

「オイオイオイ、何か考えがあるんなら、警察に話した方がいいんじゃないのか?」

「冗談。私に思いつくようなこと、プロの刑事が気付かない訳ないでしょうに。あまり警察を過小評価しない方がいいよ」

 もちろん、警察に分からないようなことが、自分たちに分かるなどとも思っていないのだけれども。

「まあ、犯人消失や被害者の正体、どこから登場したのかってのも、当然気になるけど――やっぱり、おれは別のとこが気になるわ」

「何?」分かりきってるのに、明日香は敢えて聞いてくる。

「聞くまでもねぇだろ」だが、おれも律儀に答えてやる。

「死体消失の謎だよ」

 今回の騒動を一層混沌たらしめている点が、そこだ。

 ブタ捕獲用の落とし穴で死んでいたパジャマ少女は――正確に言うなら、その死体は――刑事や野次馬が少し現場を離れた隙に、忽然と消失したのである。

 豪雨の中、慌てて周囲が捜索されたが、死体はおろかその痕跡すら見つけられなかった。やはり、路地を出入りする人や車はなく、死体の運搬はほぼ不可能。ならば、それはどういうことなのか。

「全員揃って、夢か幻でも見てました、ってオチはないよな?」

「ない。集団幻想って言っても、限界があるでしょ」

「実はその女の子はまだ生きてて、自力で移動したってのは?」

「首が真横に折れてて、生きていられる人間はいない」

「人間じゃなかったってのはどうだ? 精巧にできた風船人形か何かで、空気を抜いて運び去ったとか――」

「その場には刑事もいたんだよ? 穴が深くて触ることはできなかったけど、それでも、生身の人間と人形を見間違える訳がない」

「じゃあ……えっと、そうだ、釣り竿か何かで――」

「もういいよ健太。思いつきの面白推理は、もういい」

 おれは真面目に考えていたのに、『面白推理』などというスチャラカな単語で一括りにされてしまう。何だか理不尽だ。

「実を言えば――現実的でそれらしい説が、あると言えば、ある」

「え?」

「それで、さっきの犯人消失の謎も一緒に説明できる」

 じわり、とおれの胸に重く黒い何かが広がっていく。恐らく、明日香が言おうとしているのは、おれも思いついていたことだ。思いついていたけど、敢えて口にしなかったことだ。

「要するに、ね――」

「分かるよ」だから自分の口から言うことにした。

「おれが犯人だって言いたいんだろ?」

「ん……正確には、健太か、新山さんのどっちかが、犯人」

 この路地の中には三つの店が存在している。喫茶宿木、フラワーショップマツオカ、肉の新山の三つだ。

「……今回の事件って、ミステリで言うところの、いわゆる密室殺人ってやつじゃない。今まで、色んな作家が色んな観点から密室の分類を行ってて――その中の一つに、『死体発見時、犯人が密室内にいた』っていうのがあるのね。今回の件は、まさにそれじゃないかって思って」

「確かに、俺と新山さんなら、その女の子を穴に突き落として、自分の店に慌てて戻ることもできるもんな。時間的にはかなりシビアだけど」

「その後、刑事さん達が現場を離れた隙を見計らって、死体を自分の店に運ぶことも、当然可能ね」

「……お前は、本気でおれか新山さんが犯人だって疑ってるのか? 中学まで同級生だったおれと、真面目で誠実な新山さんの、どちからかが犯人だって」

「あくまで可能性の話。そうすれば犯行が可能っていう、理屈だけの机上の空論だってば」

「じゃあ、おれからも空論を言わせてもらうけよ――それを言うなら、喫茶宿木チームだって、同じことが言えるんじゃね?」

 喫茶宿木チームとは、マスター、礼子、大鷹、明日香の四人を指す。最近はそこにマリアも加わったが、今回の件に関して言えば、彼女は別行動である――とは言っても、すぐ近くのランドリーにいたせいで、彼女こそが第一発見者となってしまった訳だが。

「私たち? え、だって……マリアさんは別として、私たち四人はほぼ一緒に行動していたんだよ? 女の子を穴に突き落としたり、その死体を隠したり――他の三人の目を盗んでやるのなんて、まず不可能だってば」

「四人がグルなら、それも可能だ」

 おれの意見に、明日香は目を眇めて反応する。

「あー……そりゃね。可能だよね。もしかしたら第一発見者のマリアさんも、証人の白井さんたちもグルなのかもしれないし? と言うか、いっそのこと、商店街全部がグルなのかもしれないし?」

「商店街全部って、その中にはおれの店も入ってるのか?」

「ウチの店もね。つまり、空論はどこまで行っても空論ってこと。空論を空論たらしめているのが、何か分かる?」

「お前の話は言い回しが小難しくて、分かりづらいんだよ」

「要するにね、アンタにも、新山さんにも、他の商店街の誰にも、そんなことをする理由がないって言いたいの。動機がないのよ。女の子を穴に落として、その死体を隠匿することに何の意味があると思う? それも、発見された後で、よ? まあ、身元を隠したいとか、そういうのは当然あるだろうけど、それより死体を抱え込むことの方がよっぽどリスキーじゃない。真夏のこの時期、死体を隠すのも運ぶのも大変だしね。そう考えると、アンタや新山さんが犯人ってのは、あまり現実的じゃあないのよ。机上の空論ってのは、そういうこと」

 外部の人間による犯行は無理、事故や自殺はあり得ない、路地内に店がある人間の犯行も現実的じゃないとするならば――

「結局、八方塞がりじゃねえか」

「そうなっちゃうのよね……」

 カウンターの隅、二人で膝を突き合わせて色々論じてはみたけれど、やはり、訳の分からない話には違いない。その場に居らず、ただ話を聞いただけのおれでさえ、ひどく座りの悪い気分になる。数日前には、連続して二件の通り魔事件が起こっている。今、この町で何が起きているのだろう……。

「捜査会議は、終わった?」

 突然、後ろから声をかけられて飛び上がりそうになる。振り向けば、マスターがいつものニコニコ顔で立っている。気配を消すのが上手くて、全く気付けなかった。忍者か。

「ねぇ、マスターは今回のこと、どう考える?」

 対する明日香は、驚く素振りも見せない。きっと、こうしたことには慣れているのだろう。

「考え? 僕が? いやいや、そんなモノはないよ」鷹揚に手を振って、妹の問いかけを払いのける。「ある訳ない」

「嘘ばっかり。いつもそんなこと言って、真っ先に真相を看破してるくせに」

「今回は本当だって。何も考えてないし、考えるつもりもない。それは、警察の仕事」

 言いながら、滑るように移動し、マリアと共にステーキの乗った皿を、二つのテーブルに並べていく。

「そして、今回のシミュレーションをアシストするのが、僕の仕事――健太、そろそろ始めるよ」

 忘れていた。納涼祭に向けた大食い大会のシミュレートが、これから行われるのだった。前日の成り行きで、おれは大鷹の対戦相手役に決まっている。出番だ。

 明日香との議論で周りが見えていなかったが、いつの間にかほとんどの商店主が顔を揃えている。恐らく、多くの店が今日を定休日にしているからだろう。だからこそ、今日をシミュレーション日に選んだのかもしれない。

「さあ、やるならやっちまおうゼ。俺も店を準備中にして来てるんだからよ」

 張り切った声の白井。そう言えば、あの店は年中無休なんだっけか。それも、昼から営業しているのだから頭が下がる。仕事熱心と言うか、何というか。

「お二人とも、席にどうぞ」

 最初、礼子に声をかけられたのかと思った。しかし、顔を上げると、そこには金髪マリアの姿。……何だか、随分と冷たい態度だ。いつもの快活、ハイテンションぶりは微塵も感じさせない。

 ――何だか、憮然としてるな……。

 ムスッとしていると言うか。昨日の、新山を睨んでいたあの目を、どうしても思い出してしまう。

「――マリアさん、何か怒ってるのか?」

「気にしなくていいよ。多分、健太に怒ってる訳じゃないから」

 何かを察しているかのような、明日香の言い方。気になったが、今は詮索している時間などない。

「あと、『憮然』の使い方、間違ってるよ」

 ……この女、本当にエスパーではないのか? 時々怖くなる。

 無表情のマリアに案内されて、おれは席を移る。カウンターの前に並べられた二つのテーブル。その前にはたくさんのギャラリー。彼らから見て、左がおれ、右が大鷹の席になる。

「――うしっ!」

 パシン、という音に驚いて横を見ると、大鷹が自分の顔を両手で張っているところだった。気合いを入れているのだろうか。気のせいか、顔つきも普段と比べて若干凛々しくなっている気がする。たかが大食いで、随分と大袈裟なことだ。

「では、レギュレーションの説明をします」

 二人の間に立ったマスターが、司会進行を始める。

「対戦方式は、三十分無制限。制限時間内により多くのステーキを食べた人間の勝ち。皿の枚数が同数の時は、残った肉の重さを計測して勝敗を決します。飲み物、調味料の使用は自由。いかなる理由があろうとも、対戦途中で席を立った場合は強制失格とさせて頂きます。同様に、途中で嘔吐してしまった場合も、失格です」

 言わずもがなのことまで、事細かに説明している。

 テーブルの上には、コップと水差しが置いてある。更には、塩、胡椒、醤油、ウスターソース、マヨネーズ、タバスコ、酢、味噌、七味唐辛子などの調味料も完備してある。ステーキ自体にちゃんと下味がつけてある筈なので、ここまでの調味料を揃える意味なんてないような気がするのだけど……。

「二人とも、準備はよろしいですか?」

 と、思っているうちに始まってしまうらしい。少し緊張する。

「では――スタートッ!」

 カン、とどこかでゴングがなる。

 見ると、マリアが冷めた表情で手提げのゴングを鳴らしていた。

「いただきますッ!」

 律儀に手を合わせる大鷹。

 おれは慌てて、ナイフとフォークを手にとったのだった。

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