表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/53

第二章 2 本間雫

目の前をトラックが通り過ぎていく。

 車体には、大きく『呉藍食肉センター』の文字。

 荷台には、無数のブタの姿。

 泥だらけで狭い空間に押し込められ、盛んに鳴き声を発している。少し離れた所に立っている私にまで、悪臭が漂ってくる。このトラックは、どこへ向かうのだろう。別の厩舎に搬入されるだけなのだろうか。それとも――

 ――やめよう。

 見れば見るだけ、陰鬱な気持ちになってくる。もっとも、私が顔を背けるまでもなく、トラックはもう遙か向こうまで行ってしまっているのだけど。

 この呉藍町は、ブタの畜産と共に発展してきた。それを象徴する食肉センターができてから半世紀近く経つが、産業をブタに依存している部分は、今でも変わらない。食肉センターは何度も増改築を繰り返し、町のど真ん中に屹立している。というより、呉藍町そのものが食肉センターの企業城下町と言った方が正確かもしれない。

 だからかどうか、ブタに関するトラブルも多い。センターからの脱走騒ぎはその最たるモノだ。捕獲用の落とし穴を設置したりと、対策を講じているが、それでも数年に一度は起きているのが現状だ。最近も、二頭のブタが脱走したばかりで、まだ発見には至っていないらしい。

 また、最近では海外の環境保護団体・守護者(ガーディアン)の動向も話題にあがることが多い。ブタ脱走には彼らが一枚噛んでいる――などという、噂も囁かれているらしい。

 ――いずれにせよ、刑事である自分には関係ない話だけれど。

 顔を上げ、歩みを進める。止まっている時間などない。コンビニの袋を提げながら、私は呉藍署の門をくぐった。


「あ、先輩、昼飯これからですか?」

 捜査一課の机についた途端、後輩の滝山が声をかけてくる。

「……これからだよ。私の昼は、コレ」

 言いながら、コンビニで買ってきた総菜パンを持ち上げる。

「それだけですかぁ? さすが、細いだけあって食細いですねぇ」

「滝山クン……後輩でも、それはセクハラだからね?」

「えぇ!? 今の何がセクハラなんですかぁ!?」

「体型、体重、恋愛経験や異性関係を尋ねるのは、全部セクハラ。覚えておいて」

「はぁ……すみませんでした」

 素直に謝る滝山。実際、私自身はそういったことはほとんど気にしないのだけど、この素直で律儀な後輩を相手にすると、思わずいじめたくなってしまう。我ながら、Sっ気が強いと思う。

「いいって。それより、滝山君はどうするの? 今日も出前?」

「ええ。カツ丼の美味い店を見つけたんで」

 またカツ丼か。

 焼き肉、串焼き、豚丼、しょうが焼き、カツカレーにカツサンド――この後輩刑事、体育会系だからか、やたらと肉を好む傾向にある。それも、ブタ肉を、だ。世間一般では、それはただの嗜好であって、特筆すべき点ではないのかもしれないのだけど――私にしてみれば、それこそ軽い嫌がらせである。

「よければ、今度先輩も一緒にどうですか?」

「絶対に嫌」

「……そこまで露骨に拒絶しなくても……」

「私なんかじゃなくって、誰か別の、若くて可愛い女の子でも誘いなさいって言ってるの。私みたいなオバサンと一緒にご飯食べたって、楽しくないでしょ?」

「それもそうですね」

 滝山の言葉を受け、私はメガネのフレームに指をかけながら、顔を近づける。

「……うん。滝山君。そう言うときは、嘘でも『先輩だって若くて可愛いですよ』とか言うものなんだよ?」

「あああっ! すみませんっ! 別に悪気があった訳じゃ! すみませんっ! 先輩も若くて可愛いですっ!」

「そんなに必死に謝らなくてもいいってば。滝山君に悪気がないのは分かってるから」

 むしろ、悪気があるのは私の方。真面目で実直で、だけど少し鈍感でデリカシーがないことを見越して、わざとああいうことを言ったのだ。結果、滝山は見事に思い通りの反応を示してくれた。表面的にはムスッとした態度をしているが、心の中では大笑い。

 冷房の効いた署内で、素直な後輩をからかう午後。

 現実は、それほど呑気にしていられない状況なのだけど。

『呉藍町住宅街男性殴打殺人事件』は、昨日のうちに捜査本部が置かれ、今は県警が主体となって捜査を行っている。所轄署の人間である私たちは、当然のように現場周辺の聞き込みにあたったのだが、未だに有用な情報にありつけていない。昼間の住宅街というのは、逆に人の目がないものらしい。

 被害者の本原繁周辺も調べられているが、こちらも収穫はゼロ。三年前まで食品会社の部長を務めていたらしいが、定年退職した今は、散歩と家庭菜園、時々遊びに来る孫と戯れるくらいが生き甲斐らしく、至って人畜無害と言っていい。相続トラブルを起こす程の財産がある訳でもなく、恨みを買うこともない。怨恨の線は捨ててしまってよさそうだ。

 昨日確認した通り、財布や携帯などは手つかずのまま。遺族にも確認してもらったが、遺品にも、なくなったモノや不審なモノはなかったらしい。つまり、物盗りでもないということだ。

 やはり、通り魔なのだろうか。

 白昼堂々と、住宅街で――という点が気になるといえば気になるが、過去にそういった事件がなかった訳でもない。人生に絶望し、自棄になった人間は、時として大通りで凶刃を振るう。今回も、その種の事件なのだろうか……。

 否。

 今回犯行に使われたのは、ナイフや包丁ではない。被害者は、ブロック塀に頭を叩きつけられて殺害されていたのだ。……もしかすると、通り魔云々ではなく、喧嘩の延長線上で、このような惨劇になってしまったのかもしれない。散歩中の被害者と何らかのトラブルがあって、頭に血が上った犯人が、力任せに被害者をブロック塀に叩きつけた――そうは、考えられないだろうか? もっとも、性格温厚、人畜無害な小市民にしかすぎない被害者が、そこまでのトラブルを引き起こすとも思えないのだけど……。


「――先輩、本当に怒ってないんですか?」

「え?」

「いや、急に黙り込んじゃったから、どうしたのかなって……」

 まだ気にしていたらしい。

「違う違う。事件のことを考えてただけよ」

「ならよかったですけど――って、よくないか。今回の事件、訳分かんないですもんね……」

 軽口を叩く場面ではないと判断したのか、滝山は不意に真顔に戻る。精悍な顔立ちをしているのだから、普段からもっとしゃんとしていればいいのに、と思う。決して口には出さないけど。

「まあ、私ら所轄は、地道に聞き込みするだけよ」

 そうなのだ。こちらは所轄署の一捜査員にすぎない。事件の全貌を解き明かすのは、上の人間の仕事だ。

「取り敢えず、ご飯食べたら駅前の方に行きましょうか……」

「そっすね」

 話が一段落したところで、ようやく私は今日の昼食にありつける。総菜パンと、ペットボトルの日本茶。質素というか、シンプルな昼食である。

 ――食が細い、か……。

 私は、人知れず含み笑いをこぼす。

 この人が良さそうな後輩刑事は、私の過去を知ったら、どのようなリアクションをするのだろう。それが知られることは、未来永劫ないのだろうけど。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ