スキコワイ
隙間。
私は隙間が嫌いだった。ベッドの下や、半開きのドア。冷蔵庫と食器棚の間に出来た妙なスペース。全てが恐怖の対象だった。いつからかは分らないが、中学生になる頃には既に恐れていたと思う。それは高校三年生になっても変わらない。
何故怖いのか、知らない。親も友達も担任の先生も知っていることだが、誰も深くは考えてくれなかった。何故ならみんなも多少は怖いからだ。隙間を題材にしたホラー映画や小説もある。それらを見た後は皆例外なく隙間を怖がるが、そこまでだ。次の日には隙間のことなんて忘れてアイドルやらファッションの話なんかを始める。それもそうだ。何故”それもそう”なのかは自分でもわからない。分らないことだらけだが怖かったのだ。願望が叶うのなら世界の隙間を無くしてほしかった。でもそんなこと出来るわけがない。生きる上でどうしても隙間は存在する。仕方のないことなのだ。
「君が、隙間を怖がってるって女の子?」
そんな風に優しく声をかけてくれたのは、茶髪で眼鏡をかけた好青年――――所謂イケメンだった。
彼は「俺もさー怖いんだー隙間」なんて言いながら駅のプラットホームに腰掛ける私の横に立つ。隙間が怖いのだと豪語している私は気味悪がられ、男性経験はおろか女友達も少なかった。そのため、彼が横で立っている間始終ドギマギしていた。
「俺、鏑木修斗。サッカー部やってる。同じ高校だよな?」
「え、えと私はあの…」
「及川さん…ね」
鏑木は私の胸元の名札を掴んでいた。
「きゃっ!///」
予想外の接近に悲鳴をあげる私。
「ご、ごめんごめん。あんまり近づくの嫌なんだ?」
彼のつぶらな瞳が私を掴んで離さない。
かっこいい…。思わずそう思ってしまった。
「そ、そういうわけじゃ…」
恥ずかしいのでついつい下を向いてしまう。
「可愛いね」
「え?」
この男は何を言っているのだろう。初対面の女性に対して何を……。
「あは、何てね。びっくりした?」
「ひ、酷い…」
私は安価な嘘に騙されてしまったことでムッとしていたが、どこか楽しくもあった。この男と話していると心が軽くなる。そう”錯覚”していた。
電車に乗って数十分。私の降りる駅に着いた。それまでも二人で色々はなしていたのだが、数分前に疲れて二人ともで寝てしまった。まるでカップルみたい…何て思ったり。
「鏑木君…私降りなきゃ」
「あれ、絵美ここなんだ? 珍しいなぁ、俺もここなんだよな」いつの間にか下の名で呼んでくるが、全く不快ではない。
「えっ?! ほんと?!」
思わぬ偶然に心が沸いた。
「うん。一緒に帰ろ、家どっち方面?」
「南だけど…」
「マジかよ! 同じだわ。案外家近いかもな」
イケメン君は私の手を握ると、電車を降りた。
「あの…手……」
「ん? 何か問題でも?」
鏑木君はそう言って無邪気に笑う。可愛くてかっこよかった。
「絵美、やっぱ付き合おっか。しちゃったわ、一目惚れってやつ?」
「え…」
鏑木君がそう言ったのは私の家に帰る途中の公園でのことだった。
「好きなんだー、俺。か弱い女の子」
言いつつ私の唇に触れる。
「やめて!」
私は直感した。こいつは危ない。初めから体が目当てだったのだろう。誰が予感しただろう、その甘いマスクの下にはこんなにも凶暴な欲に満ちた顔があるなんて。
「おら! 大人しくしろよ!!」
鏑木の口からダラダラと濁った涎が出ている。
ふと公園を見回すとすぐ横の住宅と住宅の間に隙間があるのを見付けた。これだ。
服を剥こうと乱暴にしてくる鏑木の腕を押さえながら、私は心の中で唱えた。
”○×△□!!”
「あああ?! うぎゃぁああああぁぁぁああああぁぁああぁああああああ!!!」
私は隙間が怖い。ベッドの下や、半開きのドア。冷蔵庫と食器棚の間に出来た妙なスペース。全てが恐怖の対象だった。
今日も隙間に、”彼”はいる。
………私は隙間が怖い。