自由を望めど……
言葉に込められている問いと答えの意味。
数年前、その人は私に問いかけた。そして私はその問いに答えた。
答えとしては間違っていない言葉だった。
その人も私の答えに納得しただろう。
しかし、私は数ヵ月後その人がしたその問いの意味に気がついた。もっとも、私の中でそうだと思っただけだけど……。
私は、その人のことを考えていた。
私は真面目に人を判断する時、その人間の中身を推測する。
知り得たことから中身を推測して相手を理解する。
理解したつもりでも修正の連続です。どこまでいっても、推測に過ぎないから……。
あの人は表裏が……というやつも、中身を推測する上で知り得たなら重要な判断材料だ。
表裏……表面だけで判断する場合は、相手を一人の人間として認める気がない時です。
そもそも中身あっての表面です。中身の無い人間はいない。
表だろうと裏だろうと中身は同じ人間でしかない。相手を認めるときは、表裏より中身が重要です。
と、まあ……その人の中身を推測し修正していた時、気付いたのですよ。
私は問いの意味を取り間違えていたことに。
私の答えをその人がどう受け取ったかは解らない。
そもそも、後から気づいた意味の方が間違えの可能性も否定できない。
確認しようにも、その人との縁は解けてしまっている。それに、その人が覚えている保証も無い。
いつも気づくのが遅いんだ。そうだ、もう遅すぎる。
縁が解ける時、言葉を使ってそれを防ぐことも出来るだろう。でも、私は防ぐどころか解けやすいように緩める言葉を使ってしまう。
解けることを望まない縁もある。今だって……。
私は自由を望んでいる。そして、相手の自由も望んでいる。
それぞれが選んで結ばれている縁が私は好きだ。
言葉にしない願いは望めど叶わぬものなのか……想いだけでは届かないものなのか。
縁が解け、旅立つ相手の自由を奪う魔法の意味を持つ言葉を一つ……私はいつか言えるだろうか。




