原作再現ってそんなに大事なこと?
昨今において、小説や漫画、ゲームなどの映像化に当たって金科玉条のように振りかざされるのが「原作通り」、「原作に忠実」、「原作に沿った展開」と言った言葉であるが、どうにも表現の世界が逼塞しているように感じる。
過去に一度映像化した作品を原作に忠実に再度映像化するということが流行っているように観察されるが、どれもあまり惹かれることがない。原作通りの面白さがあっても、それは原作の時点で味わっているものである。他のメディアで展開するからには、そのメディアなりの面白さを作り出してほしいと感じる。
先日最終回を迎えた「攻殻機動隊」というアニメ作品がある。
原作が言わずと知れた名作であることは間違いないが、原作をベースにした劇場アニメや独自路線に再構築したアニメシリーズなど、これまでの数多の映像化作品にもそれぞれに新しさ、魅力があったように思う。
さて、今回のアニメは最近の流行りに乗って「原作に忠実」を謳い文句にしていたが、最後まで熱中することはなかった。原作で知っている展開を、大した工夫もなく映像化しているだけという印象である。どういうわけか30年以上も前に世に出た原作よりも古臭いとすら感じてしまった。
原作はその当時においての最先端、あるいは今にも通じる新しさを持っている作品だが、それをただ再現するだけでは新しさは生まれない。それは原作が持っている新しさであり、映像作品としての新しさではないからだ。
新しさの根っこにあるのは独創性であり、表現者が独創性の発揮を怠れば、その作品は一気に古臭いものとなってしまう。原作は素材であり、映像作品は素材を元にした別の作品である。
素材をそのまま出すのは映像化ではない。素材に手を加えるに当たって創意工夫がなければ、素材の味さえも台無しにしてしまう。手の加え方を誤れば目も当てられないような作品になるのは間違いないが、初めから挑戦しないというのでは話にならない。
過去の不出来な映像化に対する反動から、原作に忠実という言葉がやたらと持て囃されているのだと思うが、この路線が続けばジリ貧になるのが目に見えている。
原作に忠実であろうと拘るあまり、一つの映像作品として成り立っていないような場合が多いように思える。繰り返しになるが、映像化作品は原作とは別作品なのだ。
映像化するのであれば、映像化する意義、原作から何を受け取り、何を表現したいかということを問う必要があり、それこそが原作への最大の経緯ではないだろうか。
そして、これは作り手だけの問題ではなく、受け手の姿勢も問われているように思う。
自分が知っている原作をそのまま映像化して欲しいというのは、安心感を求めていると言い換えることができないだろうか。別に安心感が悪いとは言わないが、そればかりではつまらないし、その安心感に歪んだ優越感が伴っている場合は危険である。作品の良し悪しではなく、自分本位で作品を語るようになれば、作品にとってもファンにとっても不幸な結果を招くことになる。
「原作に忠実で素晴らしい」というワードには危険な香りが漂っている。終わり




