第6話 地縛霊、家事を覚える
◇
――地縛霊が、家事(単独で)を始めた。
その朝、俺は自室で目をこすりながら、何やらカチャカチャと金属音が響くのを聞いた。
寝ぼけ眼のまま階段を下りると、そこには――異様な光景が広がっていた。
「……なにしてんだよ、お前」
「見ての通り、洗い物だ」
キッチンに立つナナ。
全身鎧姿で。
しかも真顔。
金属の手甲でスポンジを持つものだから、ギチギチと嫌な音がしている。
泡立ちも悪く、洗剤は床にまでこぼれていた。
「……いや、どう見ても“洗い物できる格好”じゃねぇだろ」
「戦場に立つ者は、どんな状況でも任務を全うする。それが鉄則だ」
「ここ戦場じゃねぇから!!」
俺のツッコミをよそに、ナナは真剣な表情で皿を磨いていた。
しかし、手甲のせいで細かい部分が全然洗えていない。
しかも金属同士がこすれるたびに「ギィィィ……」という音が鳴る。
「なぁ、それ、皿傷だらけになってね?」
「敵の装甲を削る気持ちでやっている」
「やめろおおおおおお!!!」
慌てて止めに入り、ナナからスポンジを取り上げる。
泡まみれのキッチン。
金属の隙間にも泡が入り込み、鎧がシャボン玉みたいにテカテカしていた。
「……ふむ、これはこれで清潔感があるな」
「どこにだよ!!!」
リビングの方からは婆ちゃんの笑い声が聞こえる。
「ナナちゃん、手伝ってくれてありがとねぇ」
「いえ、当然の務めです」
ナナが姿勢を正して答える。
――いや、その“当然”の基準がまずズレてんだよ。
そのとき、麗奈がリビングに顔を出した。
「ナナちゃん、次は洗濯やる?」
「ふむ、よかろう」
「え、ちょっと待て待て待て」
止める暇もなく、ナナは庭に出て洗濯機の前に立つ。
鎧の肩当てがガコンッとドラムにぶつかる音が響いた。
「この中に服を投げ込むのか?」
「投げ込むって言い方やめろ。丁寧に入れろ」
麗奈が洗濯物を次々渡し、ナナはそれを両手で持って洗濯槽に入れていく。
が――。
「ふむ。では……戦いの始まりだ」
ガチャン! と力任せに蓋を閉めた。
「ちょっ、それ壊れる!! 戦いじゃねぇ!!」
洗濯機のスイッチを押すと、ナナは真剣な目で回転を見守った。
中の水がぐるぐる回るのをじっと見つめながら、低く呟く。
「……まるで渦の魔法陣のようだ」
「違う違う、ただの遠心力!!!」
「ふむ……恐るべき技術だ」
完全に原始人が文明を見たリアクションだ。
麗奈は爆笑しながらスマホを構えていた。
「ナナちゃんかわいい~! “文明の驚きリアクション”シリーズ撮れた!」
「撮るな!!」
止める俺を無視して、麗奈は動画を保存している。
将来この家がニュースに出る未来が見えた気がする。
――その後、ナナは掃除にも挑戦した。
「埃を排除する戦闘、了解」
「違う、戦闘じゃない!!」
彼女はモップを槍のように構え、床を“突く”ように掃除していた。
床板がミシミシ鳴るたびに俺の寿命が削れる。
「ナナちゃん、モップは刺すもんじゃなくて滑らせるの!」
「……滑らせる?」
麗奈が実演して見せると、ナナは感心したように頷いた。
「なるほど。舞うように掃くのだな。剣術にも通ずる」
「なんでも戦闘に結びつけんな!」
それでも、ぎこちないながらも真面目に覚えようとする姿勢は本物だった。
ただ、慣れないモップを両手で扱うせいで力加減がわからず、何度も勢い余ってよろめいていた。
「おっと……っ」
ガシャン、と鎧が鳴る。
滑りのいい床に足を取られ、ナナは思わず壁に手をついて体勢を立て直した。
その様子を見て、婆ちゃんが笑いながら声をかけた。
「ナナちゃん、鎧で動きづらいんじゃないの?」
「問題ない。この程度の装備で足を取られるなど、未熟の証だ」
「いやいや、床で転びそうになるのは未熟とかじゃなくて普通よ!」
婆ちゃんのツッコミに、ナナは少しだけ苦笑を浮かべる。
麗奈と婆ちゃんに見守られながら、彼女は何度もモップを動かす。
動作はぎこちないが、確実に形になっていく。
少しずつ上達していったのか、掃除が終わる頃にはリビングの床はピカピカになっていた。
だが、家の中に響く金属音だけはどうにも止まらなかった。
「……ふむ。達成感というものは、悪くないな」
ナナが小さく微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、俺は一瞬だけ、ツッコミを忘れた。
真面目すぎて、ちょっと不器用で。
それでも“誰かの役に立ちたい”って気持ちは本物なんだろう。
そんな彼女を、否定しづらくなる瞬間がある。
――いやいやいや、騙されんな俺。
地縛霊だぞ、地縛霊。
異世界から来た幽霊が、家事マスターになってどうすんだ。
そう自分に言い聞かせながらも、
俺はリビングに広がるきらめく床を見て、ほんの少しだけ口元が緩んだ。
「圭吾」
ナナが振り向く。
「な、なんだよ」
「次は料理を覚えたい」
「……やめてくれ、それは命に関わる」
その瞬間、麗奈がキッチンから顔を出した。
「え、ナナちゃん、オムライス作る?!」
「えっ、ちょ、待っ、やめろおおお!!」
俺の絶叫が響いたときには、すでに冷蔵庫のドアが開いていた。
ナナの手には、卵と――なぜか包丁。
「……これが、戦いの武器か」
「違う! それは食材用!!!」
その夜、田中家のキッチンから、
「ジュワァァァ!」「ギャーッ!!」「なんで卵が爆発してんだよ!!」という悲鳴と煙が立ちのぼった。




