第3話 地縛霊ってなんだっけ?
地縛霊。
じばくれい。
……地縛霊地縛霊地縛霊。
こう何度も心の中で繰り返すと、なんかもう「地縛霊」って単語の意味すら怪しく思えてくる。
俺は辞書を片手に、机の上で頭を抱えていた。
「……地縛霊。“特定の場所に縛られ、そこから離れられない霊魂”。……うん、知ってた」
辞書の説明は、あまりにもそのままだった。
だが、まさかそれを“リアルタイムで体現してる存在”がうちのリビングにいるとは、誰が想像できるだろうか。
机の上には教科書とスマホと、開きっぱなしの辞書。
ケイゴは高校の夏課題をやるでもなく、ただひたすら「彼女の存在を論理的に説明できないか」考えていた。
「異世界の聖騎士で、地縛霊……。
いや、そんな単語、地理の教科書にも倫理の授業にも出てこねぇよ……」
頭を抱えてため息をつく。
そのとき、リビングの方から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
……なに、この和やかな空気。
恐る恐る廊下に出て、襖のすき間からリビングをのぞく。
――そこには、信じられない光景が広がっていた。
「ナナさん、そのお箸の持ち方上手ねぇ!」
「ふむ。慣れるまでは苦戦したが、麗奈殿の教え方が良かった」
「え~ナナさん、"殿"なんて堅苦しいっすよ~」
……妹の麗奈(カラオケ帰り)がすでに(というかめちゃくちゃ)打ち解けていた。
なんで!?
いや、そりゃ見た目は美人だよ?
ピンクの髪に紫がかった瞳、ちょっと冷たい感じのクール美人で、しかも鎧姿っていうギャップもあって確かなインパクトがある。
でもさ、幽霊なんだぞ!?!?
ガチガチの鎧女なんだぞ!?
(そもそもそんなレベルの話でもないと思うが…)
うちの家族、警戒心どうなってんだ!!
婆ちゃんはちゃぶ台の向かいでお茶菓子を差し出してるし、母さんなんてエプロンを貸して一緒に夕飯の支度までしてやがる。
その異常な光景が、なぜかもう“日常”として成立しているのが怖い。
ナナはフライパンを見つめながら真剣な表情で言った。
「油が跳ねるのだな。戦場の矢より厄介だ」
「戦場と比較しないで!?」
「だが、食材を扱うこの戦いも悪くない」
母さん笑ってるし。
婆ちゃんまで「ナナちゃん、焼き加減うまいねぇ」って褒めてるし。
妹なんて「ママより全然女子力高いじゃん」とか言い出してる。
――なにこの空気。
え、俺だけ時空ズレてない?
「……おかしい。どう考えてもおかしい」
ケイゴは再び自室に戻って、机に突っ伏した。
教科書の端には、ボールペンで“地縛霊とは”というメモが殴り書きしてあった。
「幽霊が家族と打ち解けるとか、ありえねぇ……。
いや、待て。もしかして、あれは幽霊じゃなくて人間……? どっかのコスプレイヤーが迷い込んだとか……?」
でも、透けたんだよなあ、ドアのところで。
あれ、見間違いじゃないよな。
物理法則的にそんなことがあり得るのか!?
…いや、無い無い。
混乱の渦に飲まれながら、頭の中で“常識”と“非現実”がケンカしていた。
と、そのとき――。
「圭吾、何をしている」
背後から、あの落ち着いた声。
振り向くと、そこに立っていたのはもちろん、ナナ。
「ひゃっ!? お、おまっ、ノックしろよ!!」
「した。二回叩いた」
「いや、聞こえなかったし!!」
彼女はすっと部屋に入ってきた。
鎧の金属音がわずかに響く。
夕陽の光を浴びたその姿は、まるで神話の登場人物のようだった――が、俺の心はそれどころじゃない。
「な、なんで来たんだよ」
「呼ばれた気がした」
「呼んでねぇ!!!」
「ふむ。だが様子がおかしいな。顔色が悪いぞ」
「そりゃお前のせいだよ!!」
思わず叫ぶ俺をよそに、ナナは机の上の辞書をちらりと見やった。
「……地縛霊、か」
「そうだよ。お前がそう言うから、調べてたんだよ」
「ふむ。学問の精神は悪くない。だが私に関しては、その書物に書かれているような“悪霊”とは違う」
「ほう?」
「私は、人を呪うためにいるわけではない。ただ、“ここから出られぬ”だけだ」
「……でも、なんでうちなんだ?」
「わからん。気づけばここにいた」
その声には、少しだけ寂しさが混じっていた。
彼女の瞳がほんの一瞬だけ曇るのを見て、俺はなぜかそれ以上言えなかった。
沈黙。
窓の外では、蝉の声が遠く響いている。
その空気を破ったのは――。
「ねえケイ兄! ナナさんの料理、めっちゃうまいよー!!」
階下から麗奈の叫び声。
「!? おいおいおい!もう名前で呼んでんのかよ!?」
「人懐っこいのだな。良い性格だ」
「いやそういう問題じゃなくて!」
「お前も食べるといい。……ふふ、私の作ったものが口に合えばいいが」
その言葉に、少しだけ胸がざわつく。
戦場の騎士だったという彼女の、柔らかい微笑み。
幽霊だろうが何だろうが――そこには確かに人としての“温度”があった。
「……なんか、ほんとに幽霊なのか怪しくなってきたな」
「私は私だ。それで十分だろう」
ナナは静かにそう言い残して、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
残された俺は机に突っ伏してため息をつく。
「……いやいやいや、やっぱおかしいって。
家族全員があっさり受け入れてんの、絶対おかしいから。
え? おかしいの俺だけ……?」
天井を見上げながら、ケイゴはため息をもう一度ついた。
外ではまた、穏やかな笑い声が響いていた。




