第3話 どうして静かな安寿院で修羅場になるの?
翼鷹も止まらない出血に驚き、すっかり手足が出ず、
さっきまでの高ぶった気迫は完全に消えていた。
その表情はまるで、私が今日ここでこのまま死んで、
邸報の社会欄に載るのではないか、とでも思っているみたいだった。
それから私は何も言わず、反射的に彼の驚いた顔をよそに袴を引き裂いた。
小麦色で鍛えられた太腿に傷口を見つけると、すぐに布で強く縛って圧迫止血する。
応急手当の知識はある。安寿院の頼太医は、いわば私の義母だからだ。
「あなたは黄錦崇の従弟、黄翼鷹ね?私は梓談!
私の乗り物は外にあるし、ひとまず止血はできた。
これからは慎重に動いて!早く安寿院で治療を受けて!」
翼鷹は緊張した様子で頷いたが、まだ何が起きたのか理解できないという顔で私を見ていた。
このままここに置いておくのはまずい。
何を言えばいいかも思いつかず、私は身に着けていた絹の上着を脱ぎ、
彼が下半身を覆えるように渡した。
彼はふいに口元をひくりとさせて笑い、驚きから立ち直ったように、ぽつりと呟いた。
「……ああ、助けてくれて感謝する!
恩人、いい香りだ。なかなかの趣味だな。」
私は一瞬固まり、慌てて緩みそうになる顔をそむけた。
本当に錦崇とよく似ている。さっきの笑みなんて、やけに生々しかった。
錦崇の笑顔を、私はますます鮮明に想像してしまう。
これから会う彼の反応が、楽しみで仕方ない。
翼鷹を支えて立たせ、門までのわずか十メートルがやけに遠い。
どうにか乗り物に乗せ、ようやく安寿院へ向かう。
安寿院に着くと、私は翼鷹を支えながら、片足を引きずる彼と一緒に中へ入った。
事情を頼太医に説明すると、彼は穏やかに微笑み、すぐに翼鷹へ茶を一杯差し出す。
緊張を和らげるためだ。
だが、ほどなくして頼太医の表情が、わずかに引き締まった。
「本日はすぐに切開が必要です、翼鷹殿下!
臣のもとに西域から“酔仙桃”が届きまして、麻酔効果があるとか。縫合にちょうどよいのです。
ちょうど人体実験も……あっ!いえ、違います!
“新薬の経過観察”でございます!」
「俺は麻酔など不要だ!
俺は未来に大軍を率いて戦場へ立つ身。
この程度の痛みから逃げるわけにはいかぬ!」
冷や汗を浮かべた顔はどこか強張っていたが、その豪語の直後、
彼は糸の切れた人形のように、ぱたりと机に伏して眠ってしまった。
「おや、殿下は実に勇ましい。だが術中に暴れられては困る……おや、
ちょうどよくお休みになられた!」
先ほどまで白い布がゆるやかに揺れていた室内は、ぴたりと静まる。
私は義母と目を合わせ、思わず吹き出した。
そして頼太医は手際よく指示を出し、翼鷹を奥の手術室へ慎重に運ばせる。
……さきほどの茶から、濃い安魂散の香りがしていた。
つまり、門をくぐった瞬間に、義母はすべてを見抜いていたのだ。
「そうだ、梓談。
さきほど貴女の同窓、霜家の公子・参仁をここでもてなしていたの。
最近、先輩が二人ほど彼を困らせていてね。彼が二人の仲を煽ったとか何とか。
参仁が帰ったあとも、そのうち一人がまだ諦めずに来ているのよ。
水仙の簪を挿した女性を見かけたら、うまく追い返してちょうだい。」
私は義母に「任せて」と手で合図し、近くの灰白色の木製長椅子へゆっくり腰を下ろした。
安寿院は年中、冬は暖かく夏は涼しい。自室よりよほど快適だ。
そろそろ三つ時。
この静けさの中で、少しうたた寝してもいいかもしれない。
……だが直後、男女の言い争う声が私を夢の縁から引きずり戻した。
天よ。
今まさに、朝の続きを見るはずだったのに。
私はそっと立ち上がり、玄武の描かれた屏風の陰へ移動する。
息を殺して、耳を澄ませた。
「答えてよ、児墨!
なぜ妾と付き合ってくれないの?妾はもう両親に頼んで、
鄭家との婚約を解消するつもりなのよ!
今さらどういう意味なの?」
女性は大きく息を吸う。
対する男は異様なほど落ち着き、言葉を区切りながら告げた。
「意味は、そのままの意味だ。
それ以上の意味はない。どうか、その意味を理解してほしい。」
「本当に……ほかに道はないの?本当に?」
声は今にも崩れそうだ。
男は一度深く息を吸い、穏やかに声の調子を整えた。
「すまない、黛泉。やはり無理だ。
考えられる方法は……もう、方法にならない。」
ここは大学院でもないのに、なぜか国語の授業を受けさせられている気分だ。
中にいる黛泉と同じく、私も沈黙するしかない。
頼むから、人の言葉で答えてほしい。
「黛泉!最後に……幸せを祈るわ!」
男が出てくる気配に、私は急いで麗雉の描かれた屏風の陰へ移動する。
「いいわよ!どうせ妾も我慢の限界!
あなたが付き合おうが付き合うまいが、妾は婚約を解消する!
この前なんて、鄭家の許婚が『君の面影は永遠に』と揮毫した字帖を贈ってきたのよ。
まるで妾がもうこの世にいないみたいに……!」
そっと覗くと、出てきたのは――私の同窓だった。
黒い頭巾に包まれた青い髪。
憂いを帯びた褐色の瞳に、確かな決意が宿っている。
安寿院の門へ向けた視線は静かで、歩みも乱れない。
「もう、妾が見る目なかっただけ!最低な人ばかり!
何が“詩仙君白”よ!
あの日、妾の部屋に来て三時間も雑談だけして帰ったのよ!
妾の気持ちをどうするの!
口先ばかりの蘭児墨!うぅっ……!」
私は元の席に戻り、背後の大泣きなど聞こえないかのように去っていく彼の背中を見送った。
正直、今日は事件続きだ。
菓子も茶もないのに、妙に濃い一日だった。
そして翌日の授業中。
私は黒板を眺めながら、昨日の光景をこっそり思い出していた。
私もたぶん「君の面影は永遠に」って、美しいと思って普通に贈ってしまう側だと思う。
そして後日、全力で謝る羽目になる未来が見える。wwww
誤解を招きやすい優雅系フレーズ、他にもあればぜひ教えてほしい。




