理由
案内された部屋は病院の一室に似ていた。白を基調とした壁、無機質なベッド、淡い光を放つモニター。SOMNI管理局――通称・潜夢局の研究施設は、静けさの底で機械音だけが規則正しく響いていた。
椅子に腰を下ろしたわたしの前で、一ノ瀬が端末を操作している。淡い青の光が彼女の白い横顔を照らし、瞳に静かな緊張が宿っていた。
「内藤メアさん。さっそくですが……現時点で判明している“悪夢”の正体について、お話します」
静かに告げられたその声音に、わたしは息を呑んだ。
「悪夢の正体……」
「はい。“悪夢”と呼ばれていた症状の正式名称は――悪夢憑。原因は夢の世界に発生する負性意識の集合体、漠徒と呼ばれる存在です」
グリード。
前の夢で、わたしを襲った黒い化物。
「私たちはこれを 『意識の深層に寄生する未知の精神外因』 と定義しています。簡単に言えば、不安や恐怖といった負の思考に反応し、夢の中で膨張する怪異です」
「……じゃあ、眠ったまま目を覚まさなくなった人たちは?」
一ノ瀬は一拍置き、ゆっくりと言った。
「漠徒に“喰われた”のです。意識の深層を占拠されると、肉体は眠り続け、やがて生命維持が難しくなる」
胸の奥が冷えた。
レンの姿がよぎる。
あの黒い森。
あの鎖。
アオイの足を奪ってしまったあの瞬間。
「……わたしの夢に出た化物も、漠徒?」
「はい」
一ノ瀬は画面を指先で弾く。そこにはSOMNIが解析したメアの睡眠データが映し出されていた。
波形が大きく乱れ、脈打つように高い山を作っている部分――その横に警告色の赤文字が浮かぶ。
《覚醒値 上昇》
《異常干渉を確認》
「メアさん、あなたの夢には通常より強い“侵食”が起きています。しかし同時に――」
一ノ瀬の瞳は真っ直ぐにメアを見据えた。
「あなたには“対抗できる力”が眠っている可能性が高い」
「力……?」
「詳しいことはまだお伝えできません。ですがあなたの夢の中の反応は、一般の悪夢憑とは明らかに異なります」
――異なる。
――特別。
そんな言葉は、正直嫌だった。
でも、自分がアオイにしたことを思い出すと、逃げ出すことはできなかった。
「……わたしを、どうするつもり?」
「保護します。同時に監視も必要です」
その瞬間、扉が軽い音を立てて開いた。
「よっ、キミがメアちゃん?」
入ってきたのは、メアと同じぐらいの年に見える青年だった。柔らかい茶髪、明るい笑み。だがその目はどこか、笑みの裏で鋭さを隠し持っていた。
「紹介します。彼は芦原ユウタ。当局所属のフィールドエージェントです」
「芦原…ユウタ、くん? それにエージェントって」
「ユウタでいいよ。これから俺が君の“パートナー”になるらしいからさ」
「パートナー?」
「ほら、ヒカリさんが保護と監視って言ってたでしょ? あんまり怖がらなくていいよ。俺、見かけによらず仕事できるからさ」
ユウタの軽い調子が、逆にメアの緊張を助長させた。
一ノ瀬が続ける。
「メアさんの夢の解析を行うため、今夜はこちらの施設で眠っていただきます。その間、ユウタがそばで待機します」
手首のSOMNIを見つめた。
そこに映る自分の脈拍は、やや早い。
「……家には?」
「“友達の家に泊まる”と伝えてあります。ご家族の了承も取れています」
そこまでしている――つまり、後戻りはできないということだ。
メアはゆっくり頷いた。
「……わかった。やるよ」
ユウタが軽く片手をあげて笑った。
「よし、じゃあ準備しよっか。メアちゃん、夢の世界で何が起きてるか――確かめてみよう」
研究員たちが部屋から出ていき、照明が落とされた。
白いベッドの上に横になると、SOMNIが静かに光を灯す。
――アオイの足。
――レンの声。
――黒い森。
それらが胸の奥でざわめき、わたしは深く息を吸った。
(もう……逃げない)
そう言い聞かせるようにして、まぶたを閉じた。
次の瞬間、耳の奥で柔らかな電子音が鳴る。
《睡眠導入開始》
《深層夢エリアへ接続――》
世界の底がゆっくりと沈んでいく。
そしてわたしは、再び闇の森へと落ちていった。




