潜夢局
家路を歩きながら、わたしは何度も足元を見た。
軽い。しかし、あの夢でアオイから“奪ってしまった”あの感触が、まだ足の奥に残っている。
罪悪感で胸が詰まる。息がうまく吸えない。
アオイの涙ぐむ顔が頭から離れない。
大会まであと数日だった。なのに……。
(わたしが……壊した。夢なのに……なんで)
自宅の門をくぐろうとした時――
「内藤メアさん、ですね?」
ぞく、と背筋が冷えた。
振り返ると、黒いスーツを着た男女が二人、そして白衣の女性が一人立っていた。
三人とも、あまりにも空気が違う。
特に中央の女性は、わたしを見る瞳が静かすぎて、まるで心を直接覗かれているようだった。
「あなた達……誰?」
問い詰めるより先に、白衣の女性が胸元から身分証のようなものを取り出し、淡々と言った。
「潜夢局ーーーーSOMNIの開発および、運用を担当している機関と言えば伝わるでしょうか?」
「……え? SOMNIの……?」
胸が一気に熱くなる。
「じゃあ……アオイの足も……あの夢も……全部、あんた達のせい!?」
「違います」
女性は即答した。
静かだが、断言するような強さがあった。
「あなたが見た現象は、あなた自身の“潜在意識”が生みだしたものです。あなたの中にある力……それが“覚醒”しようとしている」
「覚醒……? そんなの知らない! 義務だかなんだか知らないけど、わたし達に変な機械つけて、勝手に……!」
「SOMNIはただのきっかけです。メアさんが元から持っていたものが、表に出ただけ」
その言葉に、わたしは言い返せなかった。
喉が震え、胸がうるさく脈うつ。
(わたしの……中から……?)
アオイの足を鎖が締めた感触が蘇る。
わたしの影から生えて、わたしの“欲”をかたちにしたあの力。
「わたし、もう誰も傷つけたくない……何なの、わたし……」
「だから、我々が来たのです」
白衣の女性がわずかに歩み寄る。
その一歩に、わたしの足がすくんだ。
「内藤メアさん。あなたは今、“悪夢憑き”の発症直前です」
「……悪夢、憑?」
「眠りの中で精神を侵食され、やがて夢から戻れなくなる症状。五年前に初めて確認されて以来、我々が抑止を続けている症状です」
さらりと語られるが、内容は鋭い刃のようだった。
「その原因は、“漠徒”と呼ばれる存在。
夢に巣食う化物です」
「……あれ、やっぱり本物なんだ……」
呟くと、女性は頷いた。
「はい。そしてあなたの中で目覚め始めている力――“覚醒”は、本来それらから身を守るためのものです」
頭が追いつかない。
悪夢。
化物。
わたしの力。
アオイの足。
全部がぐちゃぐちゃになって、息がうまく吸えなかった。
「……わたし、どうしたらいいの……?」
「来てください。潜夢局の本部で、すべて説明します」
差し出された手は白く、細く、優しい形をしているのに――その奥に、何か底知れないものを感じた。
「あなたを一人にしたくありません。悪夢の世界は、放っておけばあなたを呑み込みます」
その言葉に、胸がぎゅっと縮む。
(あの黒い森に……また引きずり込まれるの? あの鎖が、また誰かを傷つけるの? そんなの……いやだ……)
わたしは、震える指でその手を取った。
◆
潜夢局の本部は、街の中心から少し離れた無機質な研究施設だった。
ガラス張りの廊下、低く光る白い照明、そして機械音が響く静かなフロア。
案内された部屋で、白衣の女性がゆっくりと椅子に座った。
「改めて自己紹介を。潜夢局・主任研究員の一ノ瀬ヒカリです」
「……一ノ瀬さん」
「メアさん。まず、あなたが初めて悪夢の世界に入ったとき――“漠徒”に襲われかけましたね?」
「……うん」
「しかし助けが入りました。あなたの記憶によれば――“青年”と」
レンの、あの虚ろな瞳が脳裏に浮かぶ。
「彼は何者なの? どうしてわたしを助けたの?」
「今の段階では、わたし達にも特定ができません。ただ……普通の夢にいる存在ではありません」
「……普通じゃ、ない」
「むしろ、悪夢に囚われる被害者のはずなのに……彼は“夢の中で行動している”。本来あり得ないことです」
胸がざわりと跳ねた。
「あなたは今、危険と可能性の両方を抱えています。だからこそ――」
一ノ瀬はまっすぐにメア見つめる。
「メアさん。悪夢の仕組みについて……少しずつでいいので、聞いていただけますか?」
逃げ場のない静けさ。
でも、もう逃げたくなかった。
わたしの中で何が起きているのか。
アオイを傷つけたあの力は何なのか。
あの青年――レンは誰なのか。
すべてが、この先にある気がした。
「……教えて。一から全部」
一ノ瀬は静かに頷き、モニターの電源をつけた。
黒い画面に薄く光が灯り――
“悪夢の正体”が、語られ始めた。




