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罪悪感

 

 メアは、叫び声とともに――飛び起きた。


「っ……は、はぁ……っ!」


 肺が焼けるほど呼吸が荒い。額から首筋まで汗で濡れ、パジャマが肌に張りついている。


 夢の中の光景が、頭から離れない。


 走るアオイ。

 それを羨む自分。

 這い出た黒い鎖。

 締めつけられる足首。

 苦痛に歪むアオイの顔――。


「……ちがう……わたしじゃない……」


 震える手で髪を掻き上げ、布団からゆっくり体を起こした。


 その瞬間だった。


 ――軽い。


 足が、ひどく軽かった。


(え……?)


 そっと布団から足を下ろし、立ち上がる。

 いつもなら微かな痛みがあるはずの膝にも足首にも、どこにもひっかかりがない。


 廊下まで歩く。

 一歩、二歩――足が地面を滑るように運ばれていく。


(そんな、わけ……)


 家の前の道路まで出る。早朝で人通りはない。


 恐る恐る地面を蹴った。


 ――タン!


(走れ……る?)


 もう一度蹴る。

 もっと強く。


 ――たっ、たたっ。


 体が前へ弾む。

 久しく感じていなかった、風が胸に入り込むような感覚が全身を駆け抜ける。


(ほんとに……? 嘘……)


 何度も地面を蹴った。

 痛くない。

 重くない。

 足がただ前へ前へと伸びていく。


「……どうして……」


 息が震える。

 けれど、その答えは一つしか思い浮かばなかった。


 ――夢で、アオイの足を“奪った”。


「そんな、わけ……」


 否定しようとした瞬間、SOMNIが低く電子音を鳴らした。


 《覚醒値:3 身体負荷値:安定》


「……やめて……なに、これ……!」


 メアは手首を抱きしめるように握り込み、家へと戻った。


 ◆


「……アオイ、休み?」


 教室に入った瞬間、アオイの席に鞄がないことに気づいた。


 朝練のあるアオイが先に来ていないなんて、ほとんどない。


 胸がざわつき、担任に声をかけると――


「鷲尾なら今日はお休みだ。怪我をしたらしい」


 メアの心臓が跳ねた。


「け……が……?」


「ああ、詳しくは聞いていないが。おまえ、仲いいだろ? 放課後にでも様子を見に行ってやれ」


「……っ」


 息が詰まり、うまく返事できなかった。


 授業中、メアは一度も黒板を見ることができなかった。


(まさか……そんな……)


(夢で……わたしが……?)


(あれは夢で……現実じゃ……)


 自分に言い聞かせるほど、胸の奥が冷えていく。


 ◆


 放課後、メアは吸い寄せられるようにアオイの家へ向かった。


 インターホンを押す指が震える。


 数秒後、玄関の向こうからゆっくり足音が近づいた。


「はーい……」


 扉が開く。

 姿を見せたのはアオイの母親だった。


「あらメアちゃん……わざわざ来てくれたのね」


「こんにちは……あの、アオイはーー」


「えっとね……あの子はちょっと今は……」


 気不味そうにアオイの母親は視線を落とすと、それを吹き飛ばすようにハツラツとした声が後ろから聞こえた。


「あれ!? メアじゃん来てくれたの?」


 そこに立っていたアオイは――片手に松葉杖を抱えていた。


 右足に白いギプス。

 頬には泣いたような跡。

 それでも笑おうとしている、不自然な笑み。


「アオイ……その足……」


 声がひび割れる。


 アオイは困ったように眉を下げた。


「朝起きたらね……すごく痛くて、立てなくて……病院行ったら“骨にヒビが入ってますね”って……」


「なんで……? 転んだの?」


「わかんないの。夢を見たのは覚えてるんだけど……」


「……夢?」


「走ってたら……足を掴まれて……すごく痛くて……でも起きたら本当に折れてた、って……」


 アオイはぎこちない笑みを浮かべ、そして小さく肩を震わせた。


「大会、もうすぐなのに……なんでこんなことに……って、えへへ……ガラにもなくちょっと泣いちゃった」


 メアは――何も言えなかった。


 喉がひどく締めつけられる。

 足先が冷たくなる。

 目の奥がズキズキと痛む。


 あの夢。

 鎖。

 羨望の感情。

 倒れ込むアオイ。


 それが“現実の怪我”として目の前に存在している。


「……メア? なんか変だよ……?」


 アオイが心配そうに覗き込む。


 メアは息を呑んだ。


「……ごめん」


「え……?」


「……ごめん……」


 言葉はそれしか出なかった。


 玄関から逃げるように背を向ける。

 アオイが呼ぶ声が後ろから追ってくる。


「メア!? ちょっと待ってよ! 本当にどうしたの!?」


 振り返れない。

 振り返ったら崩れてしまう。


 家の角を曲がるころには、足が震えて力が入らなくなっていた。


(わたしが……やったの……?)


(夢が……現実を……?)


(違う……違う……違っててよ……)


 SOMNIが再び電子音を鳴らす。


 《心理揺らぎ値:高

 覚醒値:4》


「黙れって言ってるでしょ……!」


 メアは手首を殴るように叩きつけた。


 夕焼けの道でひとり、手には血が薄らと滲み、泣きそうな顔で立ち尽くした。

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