夢の声
廊下に響く足音や笑い声は、いつもと変わらない。
昼休みの雑談、購買の行列、教師の小言。
どれもが、メアにとっては“遠くの出来事”のように感じられた。
(……眠気がひどい)
黒板を見ても、文字が波打って読めない。
教科書を開いても、視線が焦点を結ばない。
その代わり、脳裏にはあの黒い森が浮かぶ。
重たい泥の感触。
どこまでも追いかけてくる影。
そして――フードの青年の、淡い光を帯びた腕。
現実よりも、夢のほうが鮮明だ。
そう気付いてしまう自分が怖かった。
◆
放課後、昇降口を出たところで、親友の鷲尾アオイが声をかけてきた。
「メア、帰るの?」
「ん、今日はちょっと疲れてて……」
「そっか。でも、また悩みあるなら言ってよ? 最近ずっとぼーっとしてるし」
アオイはいつも通り笑っているけれど、その目は心配に揺れていた。
メアは曖昧に笑い返す。
(言えるわけ、ないし……)
夢の中で現れる謎の青年のことなんて。
影の化物に追われていることなんて。
SOMNIが異常を検出し続けていることなんて。
言ったところで、誰が信じるだろう?
「じゃあ、また明日ね!」
アオイは手を振り、校門へ走っていった。
軽い足取り。迷いのない背中。
(私も……昔はあんなふうに走ってた)
胸の奥が少しだけ痛んだ。
◆
帰宅した頃には、メアの体力はもう空っぽだった。
玄関で靴を脱ぐのも億劫で、鞄を放り投げるように部屋へ入り、制服のままベッドへ倒れ込む。
「……つかれた」
眠っていないのに、眠気が脳を支配してくる。
体が沈んでいくような、重たい感覚。
そのとき――手首のSOMNIが“コトリ”と微かな振動を返した。
《睡眠導入モード:推奨》
「また勝手に……」
SOMNIは装着者の疲労値やストレス値を解析し、
“今は寝たほうがいい”と判断すると睡眠を促す。
便利だという声もあるが、
“必要以上に脳波に干渉しているのではないか”と疑う声も後を絶たない。
(こんなのに頼りたくないのに……)
だが、メアは逆らえなかった。
目を閉じれば、すぐにでも眠りに落ちそうだったから。
SOMNIの黒い画面を指で撫でながら、メアはぼそりと呟く。
「夢……か」
夢の世界が“楽しい”と思ったことはない。
怖くて、苦しくて、逃げ場がなくて――それでも。
(……あの青年は、何者なの?)
夢だと分かっているのに、現実よりも鮮明に思い出せる。
光る紋様の腕の感触すら残っている。
考えるほどに、胸がざわめいた。
眠ったまま戻らない人々。
全国民装着義務。
導入後の劇的な症状の減少。
あれほどの“効果”を持ちながら、
SOMNIの内部仕様は企業秘密として隠されたまま――。
(こんな、小さな装置の中に……いったい何が?)
ぼんやりとした思考が漂う。
そのときだった。
パチッ。
SOMNIの画面が、突然ふくらみ上がったように眩い光を放った。
「え……?」
部屋の空気が震え、液晶が白く染まる。
光は瞬く間に広がり、メアの視界を飲み込んでいった。
次の瞬間――
意識が、ポトリと闇に落ちた。




