桎梏(しっこく)
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ソムニが管理する“安定夢領域”――通称・テストドリームは、実際の悪夢より格段に静かだった。薄暗い空間に白い霧が薄く漂い、漠徒も凶暴化しにくいよう抑制されている。
メアは慎重に息を整え、指先に集中する。
「……出て」
黒い蒸気のような紋が腕に浮かび、そこから鎖が音もなく伸びる。前よりずっと滑らかだ。ユウタが軽く口笛を吹いた。
「いい感じじゃん、メアちゃん。もう“発現の瞬間に手がプルプルする”段階は卒業したね」
「うるさい」
「照れてる?」
「殺すぞ」
「はいはい、今日も元気でよろしい」
「んで、それ名前つけたの?」
唐突に、背後から聞き慣れぬ女の声。
メアとユウタが振り返ると、金髪を巻いた派手な女性が頬杖をつきながら浮かんでいた。薄い褐色の肌に、目元にはラメが輝いている。
「よっ、メアっち。初めましてー。あたしは佐渡アリサ! 特技は接近戦と瞬間的に男のハートを砕くこと。お硬い現場の中でもビジュ担当なんでヨロシク!」
「いる、後半の説明?」
「メ……メアっち?」
アリサの不慣れな呼び方にメアは目を丸くした。
「要るっしょ。人生で大事なスキルなんだから」
アリサはにかっと笑い、メアの鎖を見て目を丸くした。
「それがメアっちの力? やば、めっちゃ厨……いや、なんでもない」
「いま厨二って言いかけたよね!?」
ユウタが目を細める。
「あはは、ごめんて。てか名前あるの? その黒いの」
「あるよ。俺が今つけた。ズバリ《桎梏》」
「…………」
「…………」
「…………やっぱり厨二かよ!!!!」
アリサの全力ツッコミが空間に響いた。
「いや、いいだろ! なんかこう……縛る力だからさ……重い名前が……!」
「語感だけで選んだろ絶対!」
メアは苦笑しつつも、少しだけその名が気に入っていた。
(桎梏……うん、いいかも)
逃げ場のない苦しみを象徴するような名前。それは、わたし自身の足枷のようであり、同時に“向き合うべき力”のようにも思えた。
やがてテスト領域に配置された“訓練用漠徒”がひとつ、ゆっくり姿を現す。SOMNIが捕獲した個体らしく、実戦よりはだいぶ弱いとの事だ。
メアは鎖を握り直し、前へ踏み出した。
――ギチ。
桎梏が漠徒の胴に絡みつく。圧縮するように締め上げ、黒い影を握り潰すように斬撃と拘束を合わせた感覚が腕に走った。
「……っ!」
霧散する瞬間だった。
あの感覚が、また来た。
「……う……っ」
胸の奥がざわつき、黒い何かが体へ逆流してくるような、“悪夢の冷たさ”そのものが混ざって入ってくるあの感触。
ユウタが気づいて駆け寄った。
「どうした!?」
「……漠徒が消える時、なんか……ゾワって。冷たいのが入ってくる感じがする」
アリサが顎に指を当てる。
「やっぱり。それ、吸ってるんだよ。漠徒の残滓みたいなの。無自覚にね」
「す、吸ってる……?」
「うん。メアっちの能力は鎖の“顕現”だけじゃなくて、付随する“吸収性”がある。きっと桎梏って、相手を締めるだけじゃなく、同時にエネルギーを吸っちゃうっぽいね」
メアは震える。
「……じゃあ、わたし……漠徒の何かを取り込んでるってこと?」
「まぁ、簡単に言えば」
「嫌っ……!」
反射的に後ずさるメアに、アリサは手を広げて落ち着かせた。
「大丈夫大丈夫。あたしらも解析してるし、その作用は止められる可能性あるから。むしろ試したいのよね」
ユウタが次の漠徒を指さす。
「メアっち、もう一回やろ。今度は“吸わない”って強く意識してみて」
「意識……?」
「そ。能力ってさ、基本はイメージ。吸うイメージを拒否すれば止まるかもしれない」
メアは震える指を握り、深く息を吸った。
――もう、負けたくない。
――何かに飲まれるなんて嫌だ。
漠徒が姿を現す。
メアは腕を振り上げ、叫んだ。
「……来いっ!」
桎梏が噴出し、黒い鎖が瞬時に漠徒の身体を圧縮する。さっきと同じ光景。だが――
(吸わない、吸わない、吸わない……!)
心で必死に拒絶した。
霧散した瞬間。
冷たい流れは――来なかった。
メアは目を見開いた。
「……入って……こなかった……!」
アリサが手を叩く。
「ほら! やっぱり制御できるじゃん! すごいじゃんメアっち!」
「ほんとに……止められたんだ……!」
膝が少し震えた。
でも、胸の奥には小さな光が宿ったように感じた。
ユウタが穏やかに笑う。
「よかったな、メアちゃん。これで“暴走するんじゃないか”ってビビらなくてもいい」
「……うん」
ようやく、ほんの少しだけ、胸の重さがほどけた。
その笑顔を見てアリサが肩をすくめた。
「しかしさぁ……桎梏って……」
「まだ言うの?」
「だってさ! “束縛して吸収しちゃう”とか、どこまで中二設定なのマジで!?」
「やかましい!」
「いいじゃんメアっち、SOMNI内でも“黒系ヒロイン”で人気でるよ絶対」
「出ないから!」
泣き笑いのような声が、静かな夢の世界に響いた。
そしてメアは、ようやく気づいた。
――ここには、わたしの力を恐れず、ちゃんと“見てくれる”人たちがいる。
その事実が、ゆっくりと胸を温めていくのだった。




