夕焼けと邂逅
ソムニの施設で心をいくらか整えた翌日、メアはアオイの家の前に立っていた。春の名残を引いた風が頬を撫で、胸の奥の不安を少しだけ和らげる。
インターホンを押すと、すぐに扉が開いた。
「おはよー……っとと」
そこに立つのは、松葉杖を脇に抱えたアオイ。片足にはまだ厚めの固定具が巻かれ、痛々しいはずなのに、彼女の笑顔は以前と変わらなかった。
「アオイ……その……大丈夫……?」
「大丈夫大丈夫、慣れたら意外と動けるもんだよ。ほら行こ、学校!」
軽快に言うアオイだが、段差に差し掛かるとわずかに体が揺れた。メアは慌てて支える。
「待って、わたしが持つ……ほら、肩貸して」
「ありがと。メアはほんと優しいんだから」
二人は並んで歩き出した。
通学路の木漏れ日が揺れ、メアの胸の奥には昨日とは違う緊張が広がる。
――言わなくちゃいけない。
「アオイ……あのさ」
「ん?」
「わ、わたし……夢の中で……アオイの足を、羨ましいって……思ったの。それで、それが……そのまま……」
言葉が震えた。言えば言うほど、胸が締め付けられる。
アオイはふっと目を丸くし、それから笑った。
「そっか。メアが気にしてたの、それだったんだ」
「アオイ……?」
「たまたまだよ、ほんとに。部活で張り切りすぎた反動、疲労骨折ってやつ? ……多分それだけ。メアのせいじゃないよ」
あまりにもあっさりと、真っ直ぐな声だった。
「でも……わたし……あの時……」
「メア」
アオイは立ち止まり、松葉杖で踏ん張ってメアの肩を掴んだ。
「わたしね、絶対治すから。治して、また走る。だからメアも前だけ向いてよ」
「アオイ……」
「また一緒に走るんだよ。約束」
その瞳には、痛みよりも強い光が宿っていた。
メアの視界が滲み、涙がこぼれ落ちた。
「……うん……うん……!」
アオイは泣きじゃくるメアを見て、嬉しそうに笑った。
「泣き虫だなぁメアは。ほら遅刻しちゃうよ」
その日、メアはアオイの歩調に合わせ、ゆっくりと校門をくぐった。
◆
いつも通り授業を受けたが、メアは少しだけ背筋を伸ばしていた。
「世界おもんな」と斜に構えていた、かつての自分を否定するように。
放課後、昇降口を出たところで、アオイが携帯を見て顔を上げた。
「そういえば今日ね、お兄ちゃんが迎えに来てくれるんだ」
「お兄さん……?」
「メアも会った事ないよね。仕事で県外行ってたんだけど、私の怪我の話を聞いてさ、せめて帰りだけでもって」
程なくして黒い車が滑るように停まった。
運転席から降りてきたのは、涼しい空気を纏った青年。黒髪を後ろで緩くまとめ、白シャツの袖を無造作に折り上げている。
鷲尾ムツキ。アオイの兄だ。
「久しぶりだな、アオイ」
「お兄ちゃんこそ」
ムツキは妹の頭を軽く撫でてから、メアへ視線を向けた。
「君が……内藤メアさんだね。いつもアオイと仲良くしてくれて、ありがとう」
「は、はいっ……!」
想像以上に落ち着いた声で、メアは一瞬、呼吸を忘れた。
(な、なんか……大人……!)
その反応をしっかり見ていたアオイが、にやっと肘でつつく。
「どう? うちのお兄ちゃん、イケメンでしょ?」
「ち、ちが……そういうんじゃ……!」
顔が一気に熱くなり、メアは耳まで赤くした。
ムツキは苦笑し、鍵を回しながら言った。
「もしよかったら、メアちゃんも家まで送るよ?」
「あっ、いえ! わたしこの後……その、行くところがあって!」
「そっか。気をつけて帰るんだよ」
「はい……!」
アオイも手を振る。
「じゃあねメア! また明日!」
「うん、また明日!」
メアが頭を下げて見送る背後で、車のドアが閉まった。
アオイはシートに座り直し、窓の外の小さくなるメアを見ながらぽつりと呟く。
「ふふん。可愛いでしょ、わたしの大親友」
ムツキは少し驚いたように目を細め、それから静かに笑った。
「ああ。とっても素敵だね」
車は夕焼けに溶けるように発進していく。
メアはその背中を見送ってから、深呼吸し、ソムニの施設へと向かって歩き出した。
前より少し、足取りは軽かった。




